ちゅうさんのひとり言

その58 新型コロナウィルスの蔓延、パンデミック (2020.03.20)

このページを書く時の常套句、久々の更新。今回も2年ぶりに書く。
世の中、新型コロナウィルスの影響で、世界中がパニックだ。7月に控えたオリ ンピックも危うい感じだ。人が外に出れない、人に会えない、近づけない、スキ ンシップもできない。学校の休校、海外から来た人は2週間隔離。目に見えない ウィルスに翻弄され、隣人が信じられない事態に。
世界中の人がストレスにさらされ、そのストレスが免疫機能を後退させ、社会に 蔓延する。戦争時代のような外出禁止令。いつ終息するのかが気になる。
こういう時こそ、人類が知恵を出し合って困難に立ち向かわなければならないのに、 まだ権力争いが見え隠れする。曇った天気はいつも曇りではなく、必ず晴れた青空 が顔を出す。希望を持ってその日を迎えたい。 筆者は、家に籠ってウズウズしているよりも、外に出ていい汗をかきたいと思い、 サイクリングに出た。河川敷はいつもと同じように自然の美しさ、菜の花が出迎え てくれた。

小貝川の河川敷です




その57 ウォークマンを聞く (2018.6.30)

思い出したように、半年ぶりの更新だ。今日の 気になるワードはか欠かさず更新しているが、このページまでは気が回らず、 思い出したようにたまに見ると、更新していないのに気付く。 今、32ギガの容量を持つウォークマンを持っているが、しばらく眠って いたが、最近頻繁に聴くようになった。音楽をあまり聴かないということは、生活に ゆとりが無い証拠なのかもしれない。そんなに忙しくしているつもりも無かったが、 あまり手に取らなかった。このメモリーをジャンル別に分けて タイトルを付けているが、最近はジャンルで聴くのではなく、曲名アルファベット順(50音順)で聴いている。だから、ポップスの次はジャズ、次は抒情歌、次は民謡、次は演歌、といった具合いに流れて来る。これが面白い。いまのところ、7千曲くらい入って いる。ただ、ここ5年くらい更新していないから、新しい曲が入っていない。不自由はしていないが。

その56 クッキングが楽しい (2017.10.3)

このページ、なかなか更新できない。ほぼ1年ぶりの更新だ。今回はクッキングの話題。
月曜日から金曜日、自宅に居る時は夕食のクッキングをしている。(土曜・日曜は カミさんの担当)。5年前に定年退職 した時から続いているのだが、今では煮物・揚げ物・炒め物・蒸し物・焼き物、ほぼいろんな 調理ができるようになった。中でも今年の3月から始めたCOOK PADというクッキングサイト のブログ、これに写真を掲載し、レシピを掲載しだしてから、作り方が変わった。 ちゅうさんの男の夕食というブログにクッキングしたものをすべて掲載している。ブログに掲載するとなれば、写真映えしなけりゃならないし、メニューも有る程度系統だっていなければならない。 ちゅうさんの料理ポリシーが有るので、これに沿ったテーマを考えて調理するようになった。時々レシピを 参考にした方からレポートが届いたり、アクセス数が増えると、やる気が増す。食は大事な生活習慣であり、健康の源、最近のカミさんとの話題は、もっぱら料理のこと。レパートリーは違うが、基本技はカミさんから盗むことにしている。

その55 映画を観る(2016.9.27)

月に1回くらいのペースで映画を観る。シネプレックスというシネマの全国チェーン店があるが、 ここでは、往年の名作を1週間から2週間交代で『午前10時の映画祭』というタイトルで10時から 1回だけ上映する。料金は1,100円、シニア料金と一緒だ。
昭和27年作、黒沢明監督の生きる を見た。名作がデジタル技術で復刻されたが、モノクロ映画だ。画面の繊細な質感がカラーに比べて 温かみが有る。場面転換は今の映画のようなスピード感は無いが、ゆったりと時間が流れるテンポ。 けばけばしい音楽が挿入されてなく、自然の音づかい中心。使われていることばが日本語に忠実。 俳優たちの息遣いが画面から感じられる。そういった昔の映画の良さが滲み出る。
64年たっても ストーリーは色あせていない。東京都庁の市場問題で揺れているお役人さんたちに見せてやりたい。 生きる力をいっぱいいただいて来た。最近に無い感動の映画だった。

その54.またまたあれから2年8か月 (2016.7.15)

このページ、またまた2年8か月ぶりの更新だ。 2013年11月以来の更新となってしまった。 今日の気になるワードは毎日更新しているが、他のページには あまり手が回らなかった。前回2013年11月以来変わったことと言えば…、孫が1人増えた、四国巡礼を含む日本一周の旅を完結させた、 東京都知事の辞任が2回有った、2014年の流行語大賞が「ダメよ〜ダメダメ」(なんて、とうに忘れてる!)、熊本地震が発生した、 アベノミクスがうまく行っていないのに自民党の圧勝…などいろいろあった。
個人的には定年退職して4年目、生活をエンジョイ(し過ぎている感有)している。健康に恵まれ、家庭に恵まれ、 友に恵まれ、好きなことをして暮らせる倖せ感だ。変わっていないのは体重。60キロをオーバーしない ようにコントロールしている。60キロというのは、マラソンする時のベスト体重、この体重が自分にとって 一番体調が良い状態。だから飲みすぎるとオーバー、そしてハードな筋トレとなる。朝のウォーキング9千歩、 そのあとの腕立て、スクワット、もも上げ、風呂上りの腹筋、筋力は増えないが衰えないように それなりに努力している。

その53.あれから2年8か月(2013.11.6)

何とこのページ、2年8か月ぶりの更新だ。津波災害、原発災害で被害を被られた方々の傷は今も癒えることは無いだろう。忘れようとしても忘れられない。しかし、マスコミなど、社会からは昔の出来事であったような印象を免れない。筆者もまたそうかもしれない。楽天が優勝して、世間にその思いを伝えたように、いつも心の片隅にそのことを置いておきたい。そしてその後さまざまな事件、事故、災害が起き、暗いニュースも明るいニュースも、連日起こってきた。季節は確実にめぐり、桜が咲き、夏の猛暑があり、味覚の秋が来て、木枯らしが吹く。1年の周期は確実にやって来るが、時として自然が暴れだす。天気予報の注意報が「今まで経験したことが無いような豪雨」などと表現されるようになった。そしてほんとうにそこで災害が起こる。筆者の身の周りにもこの2年半に大きな変化が有った。思うようになったこと、なかなか考えたようにはならず、イラ立つこと、理不尽さに歯ぎしりするくらい力が入ること、思わぬ嬉しい出来事に幸せな気持ちになること。そうやって人生を刻んで行くんだな。あまり力まないで木の葉が波に揺られるような、自然に身を任せた暮らしが理想なのだが。


その52.東日本大震災(2011.3.19)

2011年3月11日、関東地方は寒さが少し和らぎ、晴天だった。午後2時46分少しグラグラっと来た。また宮城県沖地震か、と思った。2日ほど前から震度3の地震が発生していた。揺れはなかなか止まらない。だんだん強くなる。2分間くらい続いた。会議をしていた部屋は停電、カップに入っていたコーヒーは半分以上こぼれおちた。筆者は自宅から100キロ以上離れたところで罹災、家に帰れず、会議をしていた建物で夜を明かした。帰宅難民になってしまった。都内の電車は翌朝から少しだけ動いた。自宅には午後3時やっとの思いで到着。周囲の瓦屋根が傷んでいる家が多い。自宅は2階の本棚がひっくり返り、足の踏み場もない。風呂場のタイルにクラックが、食器だなの皿も何枚か割れた。ひどい地震だった。大津波が襲ったというのはTVニュースで知った。時間の経過とともに被害の状況が報道される。信じがたい地獄絵のような津波の映像も流される。余震はひっきりなしに起こり、震度3くらいではあまり驚かなくなる。今日の発表では、亡くなった人が7千人を超えたという。知り合いの何人かが仙台に出張していて罹災したと聞いた。2日から4日かかってやっと家に着いたということを聞いた。地震だけでなく、原発の想定外の事故、政府は原子力政策を改めなければならない。


その51.マラソン人口増える(2011.1.30)

第59回勝田(茨城県)全国マラソンを走って来た。27年連続の完走だった。今年は参加者が異常に多く、特に若い女性がデザインのいいスマートなウエアーで参加しているのが目立った。参加者はフルマラソンが1万2千人、そのうち女性が3千人だった。 東京マラソンの異常な人気、これに外れた人が申し込んでいるのかもしれない。参加費4千円は安くは無い。大阪でもシティマラソンを計画中だ。市民マラソン熱が上がるのは、健康志向の高まりで、ウォーキングとジョギング人口が増えているからだろう。それにしても、27年も走っている筆者としては、新参の若い人たちのマナーの悪さが気になるところだ。勝田マラソンは、走る人と沿道で応援する人の掛け合いもおもしろく、応援する人が途切れることなく、それぞれのスタイルで沿道に出ている。篠笛を吹いて力を与えてくれる人、マイク片手にラップ風に応援するおばちゃん、声を枯らしてハイタッチをする若者、着ぐるみで応援する人、いい大会だ。だから27年も完走できるのだ。


その50.ハイブリッド車に乗る(2011.1.8)

マイカーをハイブリッド車に乗り換えた。ハイブリッド車が発売になった時から興味があり、自分も乗ってみたいとは思っていたが、価格がまだ高いこともあり、市場価格が安定するまで、と思って我慢していた。が、昨年ホンダフィットのハイブリッドカーがリーズナブルな価格で発売になったことから、思い切って今までのフィットからハイブリッドカーに乗り換えた。今までのフィットでもエコ運転をすればリッター18キロくらいまで伸びたが、更に燃費がよくなるようだ。快調に運転している。


その49.季節は冬(2010.11.7)

いや〜あ、今年の夏は暑かった!10月の初めまで夏の陽気、秋らしい陽気が無く、いきなり各地の山で少し早目の初冠雪。いきなり冬になってしまった。この夏の陽気は百数十年ぶりの記録、観測史上初だった。友人のおばあちゃんが、長い間生きていて、こんな暑いめに遭うとは思わなかった!と言ったそうだ。地球温暖化の影響ではないか?と素人でも思ってしまう。各地の山間部では熊の出没が続いており、被害の報道もある。今まで起こらなかったいろいろな現象が出ているのは、多分人間が自然を冒涜し続けて来たことに対する警鐘なのかもしれない。


その48.男の化粧品(2010.7.28)

最近、薬屋さんの売り場に男の化粧品アイテムが増えた。今までは ヘアトニックやへアレキッドなど整髪用品中心だったが、体臭を押さえる スプレー、男の香りの石鹸、汗を止めるスプレー、クリーム、増毛剤など、 売り場の面積も増えた。若い男性などはオーデコロンなども使っておしゃれ しているという。小生も今まではヘアレキッド、ヘアスプレー、シェービング フォームを使っていたが、最近1アイテム増えた。毎日ジョギングや筋トレ をしているが夏になると、運動後の汗がなかなか引かない。そこで、運動の あと、シャワーを浴びてからつけるスプレーを買った。これがなかなかいい。 余り匂いがしないし、少し振り掛けると、肌がサラっとして気持ちいい。 手放せないアイテムになりそうだ。


その47.友人が和食の店を開店(2010.5.13)

15年ほど前にボランティアで知り合った仲間の男性は料理が好きだった。 彼は調理師学校に通いながら仕事もできるやつだった。2、3年ほどして会社 を辞め、調理師の武者修行に旅発った。有名な和食を出す店を数店経験 し、修行を積んだ。昔の同じボランティア仲間からの連絡で、今は築地で朝働き、 魚の吟味をアルバイトで行い、夜は新宿においしい魚料理の店を持って それを生業としているということを知った。その店に行って来た。専門誌で 紹介されるほどの店になっていた。 12人ほどしか入らない小さな店に、定員いっぱいの昔の仲間が集まり、おいしい 料理に舌鼓をうった。お酒も厳選されたものばかり。この15年間は 彼にとって夢を実現する曲がりくねった道だったようだ。


その46.桜を 満喫(2010.4.12)

今年は桜を楽しんだ。こんなにいろんな楽しみ方をしたのは50数年生きて 来て初めてのような気がする。3月中旬には満開の河津桜を見た。3月末 には中央高速から遠くに見える里山の中腹の5部咲きの桜を見、首都高速 からは千鳥が淵、隅田川堤防の夜桜を見た。近くのスポーツ公園の桜も ジョギングの途中で見事だった。4月10日(土)には筑波山中腹の3キロの 山道が桜のトンネルになっているが満開の桜から青空のコントラストが絶妙 だった。朝の通勤車窓からは花の移ろいを毎日見られる。今年は早く咲き、 早く観桜が終わるかと思いきや関東地方は4月12日の日曜日まで何とか 持った。3寒4温の天候のおかげだ。もしかして、5月の大型連休は東北に 行くので、また見られるかも知れない。 年々、桜を愛でたいと思う気持ちが強くなるような気がするが、年齢と関係 あるのだろうか


その45.月日のたつのが早い(2009.7.17)

えっ?もう7月半ば?早い早い、光陰矢のごとし。先日、かみさんが誕生日を迎え、 何歳?って聞いたら55歳!。そんなにおばさんだっだの?と思いきや自分は更に2歳上なんだ!来月その日を迎える。50代半ばって、シニア以上、高齢者未満の年齢なのだ。自分ではそんなに年齢を重ねた(年を取る、という表現よりも年齢を重ねる、の表現をするように気をつけている)とは思っていないが、精神的にはそうであっても、失っていくものが大きいのは受け入れるしか無い。例えば、頭が薄くなる、小さい字や近くのものが見えない、夜更かしすると回復まで時間がかかる、トイレが近くなった、歯が弱くなったなどなど。失うスピードを遅くするのは可能らしい。好奇心を持って、頭を使い、運動し、友人をたくさんつくり、目標を持つ。今年は春先から急に時間の流れが早く感じるようになったが、振り返ってみると、イベントや講演が多く、その準備で追われていることが理由だ。追われるのは嫌いなのだが…


その44.継続は力(2009.1.25)

第57回勝田全国マラソン(茨城県ひたちなか市)でフルマラソンを完走して来た。 25回連続完走は自分の勲章だ。20回連続で辞めようと思っていたのだが、まだまだできる!とばかりに、継続して25回になった。今日は有森裕子さん並に『自分で自分を褒めたい』の気持ちだった。この大会に趣味のスクエアダンスの仲間が応援に来てくれた。横断幕も手づくりで何とも嬉しい限りだ。
応援に来てくれた仲間と

その43.1年の計は元旦にあり(2009.1.1)

2009年が始まった。いつもだと前夜紅白歌合戦を見たあと遅くまで起きているので朝ゆっくりと寝ているのだが、徐夜の鐘とともに就寝。朝6時半に起きた。天気がいい、という予報なので、元朝マラソンをすることにした。タイツを履いてウィンドブレーカを着て出かけた。空はだいぶ明るい。日の出は6時51分の予定。東の空を見ながらジョギングした。雲ひとつない空が茜色から明るい青空に変わって予定の時間に鋭い光線が目に飛び込んで来た。神々しい光に2礼2拍1礼した。今年はいいことがありそうだ。

その42.ホームページの訪問者10月は久々に月200名さま(2008.10.30)

マイページへのお客様が久々に月間200名を超えた。大体100人前後だったが、ここで急に増えたのは、 多分ぶらっとというブログを始めたからかもしれない。このブログ、 全国の概ねシニア世代の方々が参加するコミュニティ、とてもおもしろくて、いろんな情報のやり取りができる。 このブログの自己紹介欄でホームページのアドレスを紹介している。

その41.秋はやっぱりコスモス(2008.10.17)

世の中、暗いニュースが多いが、花を見ていると癒される。自然の中でただ美しく咲いている。秋は何といってもコスモスだ。このコスモスの種が落ちて早いものは8月初め頃に咲く。花が終わるのが11月末、長いあいだ楽しませてくれる。
コスモスの花

その40.企業は社会の公器のはずなのに(2008.9.18)

久々にこのページを更新する。このところの経済情勢は実にめまぐるしい変化が続いている。ガソリン価格は 一時180円になって、今160円前半、相次ぐ米国の大手保険会社の破綻、中国では考えられない食品偽装、日本でも食べられないからと工業用に売却した米を流通業者を幾社もかませて食用に偽装販売、 企業は社会の公器、と新入社員教育で教わった。人類の平和と発展のためにあるはずの企業が金に目がくらんで悪いことをしてまでも儲けようという行為を平気でする。今、まじめにやっている経営者もみんな悪に見られている。 社会は悪人を糾弾することも大事だが、本来のことを粛々とやって社会に貢献している人たちへの サンクスキャンペーンもやっていいと思う。

その39.世の中、親切な人が多い(2008.5.12)

4月18日、近所の体育館でスポーツの最中、右足ふくらはぎの 筋肉断裂で10日間ほど松葉杖生活になった。会社に行かねばならない。 松葉杖で出勤した。この松葉杖、初めて使ったが、なかなか使い方が難しい し、長い距離は疲れて歩けない。 出勤途中、雨が降り出した。両手が塞がっているので傘をさすことができない。 小雨の中を歩いていると、後ろから知らない若者が「濡れますから、一緒に 歩きましょう」朝の出勤時の忙しい時間帯だから悪いと思って、「いいです、いいです、ご親切有難うございます」と言ってお断りした。今思えばその親切を受けるべき だったなぁ、と反省。扉を押さえて通してくれる人、お店に入ったら買ったものを持って くれる人、多くの人の親切に遭遇した。こんなにボランティアしてもらったのは初めてだ。世の中、親切な人が多い。

その38.市議会選挙戦真っ最中 (2008.1.26)

明後日は市議会議員選挙の投票日。今週日曜日から1週間の選挙戦、市町村合併後の初選挙で、定員28名に対して39名の立候補。今回の選挙戦の特徴は、選挙カーのスピーカーの音声がやたら大きいことだ。一昨日など、自転車を運転する私の後ろを同じスピードで付いて来て、「お勤め、ご苦労さまです。自転車の後ろからお騒がせしております。○○、○○は頑張っております…」うるさい、うるさい。こんな候補者に誰が投票するものか!。朝の駅自由通路では、名前だけをカラフルな布地に印刷したのぼりが目立つ。昨日の通路では壮観なのぼりの列だった。朝の急ぎ時間帯だったので写真を撮れなくて残念!選挙の直前だけ、名前を連呼されてもちょっと1票はムリじゃない?と候補者に言ってやりたい。市民の見方となる明確なビジョンを持って行動し、日ごろから住民にその活動報告をし、市民の声に耳を傾けてくれる候補者に明後日は投票したい。

その37.今年は”偽”から遠ざかりたい(2008.1.7)

前回その36で書いたが、その結果、2007年の漢字1字は、”偽”だった。予測は当たり、そのあと、老舗の料亭の偽装、食料ではないが、鉄骨メーカーの偽装が社会問題になった。またか〜!の次にまたか〜!。ある企業の人は、騙される消費者がいるから偽装は起こる、と言ったが、これも、当たらずとも遠からずだ。消費者が文字面だけで信じてしまい、本物の舌や取捨選択するカンを持っていないことも原因だ。企業は利益のみの追求だけでなく、社会の公器であることを忘れてはならない。
(追記、1月26日。その後も出るわ、出るわ。食品業界の次は製造業が標的か?古紙の配合率を偽った製紙業界ぐるみの偽装事件。各社社長6人がそれぞれの会社で頭を下げる写真の並びは今の日本経済を象徴している光景、環境問題を偽ビジネスにしてしまった。ついに総理大臣は 消費者行政の担当大臣を新設すると言い出した)

その36.食品の賞味期限偽装事件(2007.10.13)

またか〜!伊勢の名物餅菓子が賞味期限を偽って31年も創業していた!社長は記者会見で、需要に応えるためにそうせざるをえなかった、と。そこまでして需要に応える必要はあるのだろうか。関西方面に行くと、必ずと言ってもいいほど駅の売店でピンク色の包装紙を目にする。コンプライアンス(法令遵守)がうるさい最近は、内部告発が許される。勇気ある社員は内部告発しても法的に守られる良い制度がある。経営者は悪いことをしたら、必ずバレる。正直で消費者に優しい経営が必要だ。

その35.原子力発電(2007.7.19)

起こるべくして起こった原子力発電所での火災。7月16日に起こった新潟中越沖地震、「発電所の真下に活断層があったのは知っていたが、想定外のマグニチュードだった」という。すべてのことを想定して住民を説得して建てられたはずなのに…。新潟県と柏崎市は発電所の操業停止を命じたという。当たり前なことだ。これによる電力供給の影響は当然あることだろうが、日本列島が放射能汚染されるよりはまだマシなことだ。各地の原子力発電所で事故が起こるたびに関係者は真実の隠蔽に走る。必ずだ。しかし、嘘は必ずあぶりだされ、責任者の陳謝、という流れになってしまう。今回も海水に放射能汚染された水が流れた量、倒れた廃棄物のドラム缶の本数が少なく報告されていた。まだまだウソが出て来そうだ。このページを書いている今もニュースで新たなウソが出たことを報道している。
そこまでして発電量を確保しなけれならない社会になぜメスを入れないのだろう。経済社会はそこまでして人間の享楽を追い続けるのだろうか。

その34.やればできる!(2007.5.19)

庭に6畳程のウッドデッキをつくった。毎年、今年の自分の目標を記録に残しているが、今年のひとつに、「8月の自分の誕生日にできたてのウッドデッキの上で入れたてのコーヒーを飲む」と書いた。どうやって作るかもよく解かっていないのに、とにかく作りたい、という一心だけ。やりたいことが決まれば、あとは調べりゃいいさ、といった具合の軽い乗り。自分が何か事を起こすときはいつもこんな感じだ。
8月完成の目標だったのだが、5月の連休に、家内のお母さんと姉妹が遊びに来る、というので、「よし、少し早めて客人と一緒にコーヒーしよう」と思い立ち、設計に取り掛かった。それからが大変!。家内は、忙しいおとうさんじゃ無理よ!という始末。 そういわれりゃ、意地でもつくるぞ、てなわけでやってしまった。 ウッドデッキ
完成直前の写真だが、5月3日にはこの上でテーブル、椅子を出して、テーブルにはお気に入りのクロスをかけて、入れたてのコーヒーを飲んだ。格別の味だった。

その33.奇跡は起こった(2007.1.28)

ちょっとオーバーな表現かもしれない。が、自分にとっては それに等しい感慨を持ってゴールした。今回で23回連続 出場となる、茨城県ひたちなか市で開催された「勝田マラソン」 の出場をあきらめていた。いつもなら10月から身体づくりの トレーニングに入り、年末年始は走り込み、スタミナを付けるところ だが、10月は左太ももの筋肉に肉離れのような痛みがあって 走れず、養生していた。さて、そろそろ走ろうか、と思っていた 矢先の11月17日には、私の自転車に一次停止無視の軽乗用車 がぶつかり、骨には異常が無かったものの、背中とおしりを強打、 また走れなくなってしまった。正月まで全く走れず、ストレスは 溜まる一方。1月4に体重を量ったら、かつて経験したことが 無いウェイト。「このままではいけない」と思い、すぐにランニング の支度をして外に飛び出した。これをきっかけに「もしかすれば マラソンを走れるかもしれない」という希望が湧いて来た。1週間 続き、休日には10キロ走ってみた。「できた、よしやってみよう」 という希望に変わっていった。レースまであと2週間で何ができるか わからないが、希望だけは捨てないで、という気持ちで、何とか 2時間走ジョグを2回練習できた。目標タイムを1キロ6分と決め、 完走タイムを4時間半と設定した。当日は穏やかな気候、25キロ までは目標通り、そのあと足が全く上がらなくなり、つらかったが、 4時間43分で完走。23回連続を何とか達成できた。目標をあきら めずに続けたことが良かった。自分への勲章だ。思い出深いレース となった。ゴールでスクエアダンスの仲間が2人、横断幕を持って 待っていてくれた。嬉しい、暖かいゴールだった。そのゴールの瞬間 の写真。満足、満足。
ゴールの瞬間

その32.初めて救急車に乗った(2006.11.20)

初めて救急車に乗った。まさかこんな形で乗るとは思っていなかった。 11月17日(金)朝、いつもの道を自転車で進行中、信号の無い交差点を 出かかったところで、左から来た乗用車に自転車後輪をひかっけられ、転倒。 とっさにハンドルを離したところ、身体は宙に舞い、水平に近いかたちで背中と 腰を道路に強打。背中に鞄を背負っていたので、これがクッションになったのかも しれない。しかし、しばらく立ち上がれず息苦しい。子どもの頃足の骨折を2回も 経験しているので、足が骨折していないことでまずひと安心。救急車で病院に 搬送され、レントゲン。結果脊髄のひとつのブロックにズレが見られる、という のでMRI(断層写真)検査をすると言われた。状況次第では即入院、という診断。 MRIの結果が出たのは午後2時頃、それまでの間、入院してしまったら、仕事は どうなるのだろう、○○に連絡しなければ、□□はどうしよう、△△は困っちゃう なー。いろんなことが頭を駆け巡る。家内は家から入院の支度をしてバックひとつ を持って来てくれた。結果、脊髄に異常はなくとりあえず家で静養、という診断、 ほっ!とした。4日後の今日、まだ痛みは残るが、命拾いした。車の一時停止無視 と前方不注意が原因だったが、「相手はそこで止まってくれるだろう」と思って いた自分も甘かった。「相手は止まらないかもしれない」と思わねば、と思った 事故、「だろう」運転ではなく「かもしれない運転」を、ということを以前講習で 聞いたことがあるが、後遺症が無ければ…と思っている。

その31.50代…(2006.10.1)

昨夜、NHK教育TVで団塊世代の社会デビューの番組をやっていました。水割りを飲みながら見たこの番組、なかなか良い構成で、知り合いのNPOの人も出演していて、心に響くものでした。テーブルの上にあった広告の裏側にその時にメモしたものです。ちょっとは素直な自分の思いが入っている感じです。

『小さな字はちょっと見にくいし
頭は白いものが多くなった
肉よりも魚が好きになったし
少し涙もろくなった
まだまだ若いと思っていたが
受け入れなければならないことが多い
素直に受け入れればいいのに
少し突っ張ってしまう
そんな50代

書類に年齢を書かねばならないとき
こんなに大きな数字?と思ってしまう
心の中ではまだまだ止まった年齢
子どもは育ちあがり、家のローンは減ったけど
2階の子ども部屋は今は物置
居間のソファは洗濯物置き場
エレクトーンは人形のための台
ひとときの夢の生活も一段落
やっと2人だけの生活になったけど
今はちょっぴり寂しい
そんな50代

いつも若々しく、なんて思ってもいない
ありのままの自分で居たいと思う
夢や希望も捨てちゃいない
今のこの時しかできないことがいっぱいある
時間の深さを味わいながら生きたい
良い音楽と旨いコーヒー、
何もしゃべらなくても良いが
たまには女房と過ごす至福の時間
何もかも忘れて没頭する趣味の時間
目標に向かって自分を追い込む時間
色あせた写真をめくりながら足跡を味わう時間
今だからできるこんなひととき
そんな50代』

その30.民謡は良いなぁ(2006.9.18)

今日は敬老の日で代替休日。昨日は久々に76歳になるお袋に電話をして元気な 声を聞いた。お茶でも送ろうか、と思いながら、思っただけで忙しさにかまけて 何もしていないのが悔やまれる。午前10時頃、なにげなくラジオのスイッチを入れて NHK−FMに合わせたら、民謡日本一の大会をやっている。全国あちこちの民謡 日本一、例えば茨城では磯節、秋田では秋田長持歌、福島の相馬孫歌、といった具合の日本一が300人居るそうだ。この中から30人の人が次々に登場 する生放送だった。しばし聞き惚れた。25年前、会社に民謡の先生が居て、その素晴らしさに惚れて、民謡部に入って毎週昼休みに稽古をしていた。そのうち、伴奏してみない?って言われて三味線を1年ほど習った。腹に響く玄のうなりは、ギターのそれとは比べ物にならないくらい、心に染みる。先生からも、ギターをやっているから、勘所を押さえているし、筋が良いねぇ、なんて言われて すっかりその気になって、三味線を買いたくなっていた。歌う方も、フォークソングや ポップスに無い、心に染みるもの。続けたかったが、転勤で辞めざるを得なくなった。今、ラジオの歌いに聞き惚れたのも、25年前の懐かしさがこみ上げて来たからだ。 その後、いろんな趣味に挑戦、今夢中になっていることがあるので、ちょっと民謡までは時間が割けない。でも、良いなぁ。日本のうた。

その29.今年の夏休み(2006.9.8)

今年の夏休みは、8月の最終週1週間をいただいた。高い山に 行きたいから、あまり人が居ない、山小屋が空いた時期を狙って のことだ。職場の了解を得、贅沢な山行きを楽しんで来た。 行き先は槍ヶ岳、3,190Mと、日本で3番目に高い山だ。 上高地から22K、10時間の道のり、途中霧雨で少しつらかった。 山頂から約50M下の山小屋に1泊、翌朝頂上アタック ガスが 突然切れて良い眺めだった。これも良かったが、そこから峰を縦走して 11時間かかってたどり着いた奥穂高岳山荘、2回目の宿泊だが、 そこから翌朝登った奥穂高岳から見た槍ヶ岳が絶景、何しろ自分の登った 山頂がはるか向こうにうガスの合間から美しい景色として見えている。 思わずヤッターと叫んでしまった。またひとつ私の思い出の風景が追加 された。3千メートル級の山はどこもごつごつした岩山、鎖、梯子は普通、 足場を探しながらのロッククライミングもずいぶん経験した。 下を見ると怖いから見れない経験もした。新しい経験もまた今になって見れば 楽しい思い出だった。

その28.20年ぶりに昔の仲間との再会(2006.5.19)

茨城県水戸市の民生委員さんたち423人の総会があり、 会議のあと、1時間の講演を行った。テーマは『ボランテ ィアが支える豊かな社会』。民生委員といえば、厚生労働 省から任命され、地域社会の福祉に関することの相談、助 言、行政とのパイプ役など、その任務は多岐にわたること から、比較的年配の方で、地域社会に明るい自治会関係、 自治体・学校・警察OB、社会福祉団体の代表の方が多い。 講演前にいただいた名簿に、確かこの人は昔ご一緒したこと がある方、と思わしき名前があった。彼の顔を思い浮かべ、 講演中ホールの中を見回してどこに座っておられるのか気に したが、見つからなかった。終了して控え室で歓談していると、 彼が訪問してくれた。老けて貫禄が出たが、確かに彼の 顔だ。いや〜あ懐かしい。昔、レクリーダーの仲間として 一緒に活動したことがある。「そうか、民生委員をやるような 立場になったんだ」ということは自分の年齢もそうだったんだ。 そういえばその時の仲間で市長になっている人もいる。この 20年はそれぞれがそれぞれの人生を歩んでいたのだ。 再会の嬉しさと共に自分の年齢を自覚したひと時だった。

その27.NHK教育TVのフォーラムに出演(2006.4.13)

2005年年末、文部科学省・生涯学習局のお役人さんから電話 があった。「井上さん、文部科学省のボランティアフォーラムが 来年2月18日に開催されるんですが、ご出演いただけますか?」 この手のフォーラムには何回か参加しているので、日程も空いて いるし、気楽に「わかりました」と答えた。ところが、そのあとの ひとこと「この模様はNHKの教育テレビで放映されます」ドキッ! だとすれば、いつものように、自分の持論を好き放題には言えない、映像も 残るし、「ここだけの話!」なんて言うこともできない。 そう思っているうちに収録日の2月18日が迫って来る。エイ、 格好つけずに自分のことばで語ろう、と思ってキーワードをピック アップ、私に与えられた課題、“団塊の世代の社会参加促進”につい て発言の用意をした。相手は手強い。法政大学社会学部教授、 タレントのマリ・クリスティーヌさん、社会福祉団体理事、司会は 福島敦子さん。収録の前に30分程度の軽い打ち合わせをしただけで フォーラム突入。200人の聴衆に3台のカメラ、まぶしいライト、 初めて経験することばかり。カメラがあると、目線の配りに気をつけ ながらしゃべらなければならない。論点を逸脱しないように考えながら 聴衆に語りかけるのは難しかったが、良い経験になった。 3月11日の放映日は研修を抱え、自宅ではなく、千駄ヶ谷の日本青年館 でTVを見た。番組が終わって、携帯に1通のメール。女房からだった。 自宅で近所の奥さんとコーヒーを飲みながら見たとか。「おとうさん、 カッコ良かったよ!」これは結婚28年目で初めて女房から褒められた 記念すべきメールだった。

その26.空いた山の手線(2006.2.26)

渋谷まで行こうと思って滑り込んできた山手線に乗った。 他の車両に比べて空いているなぁ、「ラッキー」と思って 開いたドアから勇んで入った。????臭い。鼻をつく ものすごいにおい。長椅子には女の人が一人だけ座っている。 よれよれのズボンにボサボサの髪の毛。これで理由がわかった。 いわゆる路上生活者の女性が一人乗って寝ているのだ。しかし このにおい、隣の車両に移動してもまだ薄まらない。強烈なにおいだ。 今年になってから2回目の遭遇、おそらく山の手線はぐるぐる 回っているし、暖かいし、居心地が良いのだろう。あとから乗って くる人たちも鼻を押さえ、私と同じ車両に移動して来る。 あの人はいつまで乗っていたのだろうか。

その25.心のエンジン(2006.2.8)

「心のエンジン」このエンジンが上手く回転すると自身が 前進するエネルギーとなってくれる。このエンジンが回転 すると、人間の行動するモチベーションが高くなる。エン ジンに必要な燃料は、“食べること”、“学ぶこと”、 “身体や精神を鍛えること”、“友達を持つこと”などが ある。そして、そのエンジンの回転を持続させるための潤滑、 エンジンを載せるシャーシー、駆動力を路面に伝えるタイヤ、 それを運転するドライバーのハンドルさばき。 道路は平坦な所ばかりでは無い。でこぼこ 道、坂道、風雨にさらされたり渋滞に巻き込まれたりする。 タイヤがパンクすることもある。エンジントラブルに見舞 われることもある。そんな中で自分のゴール(目的)に 向かって行く。

その24.フルマラソン22回完走(2006.1.29)

今年も茨城県ひたちなか市で開催された勝田全国マラソン大会に出場、完走を果たした。今回で22回連続出場となった。現在はひたちなか市というが、以前は勝田市といったので、勝田マラソンと言っている。参加者が1万人を越える大きな大会だ。
毎年この行事が終わると、正月が終わった気持ちになる、自分にとっては1年に 1回のビッグイベントだ。完走はしたものの、自己ワースト記録を更新、ここ3年 連続で更新している。始めたときは31歳だったから、50歳を超えて 年齢とともに体力が落ちるのは当たり前…と思えば年齢のせいにできるのだが、 ちょっと残念。しかし、参加できたことには喜んでいる。自身が参加できる環境を整えておかなければならないし、まずは健康を維持しておかなければならない。10月の トレーニング開始から風邪ひとつひかないのはマラソンのおかげだ。20回連続参加を目標にして始めたフルマラソン参加だが、30回目標も良いなあ、と思っている

その23.電車の中の4人家族(2005.7.31)

7月31日(日)今日で7月が終わり、明日からは葉月だ。 仕事で小田原に出張の帰り、缶ビール片手に東海道線の快速に乗車した。 休日の夕方の時間は行楽帰り(海に行って来たのだろうか)の家族連れ が多い。空席に座ってかっぱえびせんをつまみにビールを楽しむ。 斜め向かいにはトランプに興じる4人家族、4人掛けのボックスシートには 片方にお母さんと中学生くらいのお姉ちゃん、片方におとうさんと小学校 6年生くらいの弟、4人でババ抜きに興じている。 思えば自身も15,6年前はこんな生活があったんだ、という懐かしい思いで この家族のババ抜きを盗み見た。男の子からおかあさん、おかあさんから娘さん、 娘さんからおとうさん、とババがまわる。ところが、おとうさんから息子さんに なかなかババがまわらない。うまくひいてくれないことにややイライラのおとうさん。 最後には息子がひいて、お母さんにババが回って、お母さんが負けて事なき?を得 るのだが、見ていて何とも微笑ましいシーンに一緒になって笑ってしまった。 「ああ、こんな時代もあったんだなあ」と。

その22.身の丈で生きる、等身大で生きる(2005.4.14)

私が加入しているメーリングリストで今日流れて来た一文、 少し感じる点がありました。私は「等身大の自分で」とか、 「身の丈に合った行動で」などという表現を良くします。 このことについて、村上陽一郎さん(科学史・科学哲学・ 国際基督教大大学院教授)は最新著『やりなおし教養講座』 (NTT出版)の中でこう言っているそうです。
「よく識者が、身の丈にあった生き方をしなさいというようなことをいうでしょう。 自分の限界を最初から決めてしまって、自分の限界はこのへんにあるから これ以上のことはやらないという生き方も、おかしいと思う。 いまの貧しい点を自覚し、乗りこえる。超えたい、と思って努力する。 そんなことまで否定されてしまう。努力に対して冷笑したり、 意味を認めない、価値を認めないという方向に社会が進んできて しまっている。」と言っています。
身の丈を意識してそこから脱皮しないことを言っていますので ナルホド、最もなことだと思いました。私が身の丈とか等身大と 言っているのは、自己を誇張して生きたり、できないことをできる、 と広言したりすることに対する戒めのつもりで言っていること。 同じ身の丈・等身大でも、使い方を誤ると困ったことになるもんだ、 ということを気づかせてくれました。
そういえば、最近見たドキュメンタリー 掘るまいかという映画 は、身の丈を考えない貧しい山古志村の村民が夢を実現した話でした。 その夢の実現のあとは、本当に身の丈に合った暮らしをしていたのです。 しかし、そこに大震災が襲ったのです。この映画、自主上映会だけで 上映されていますがじわじわ人気が出ている、感動ものです。

その21.ITが開く夢の社会(2005.3.13)

最近、IT技術のすごさに気付かされることが多い。日常の 仕事や趣味でパソコンや携帯電話を活用する時にも、その利便性 を感じることが多い。しかし、これらのIT機器が身体に障がい がある人たちには今まで想像もできなかった夢の社会が出現しているのだ。 例えば、視覚障がいがある人は手紙を書くことができなかったし、 読むこともできなかった。誰かに読んでもらうか、口述で書いて もらうしかなかった。中途失明した人は点字が使えないから、 補助手段すら無かった。しかし、今はパソコンを使ってメールの やりとりがいとも簡単に出来るようになった。パソコンの画面を 読んでくれるソフトが活躍している。私の友人は、今まで彼女に 手紙を出せなかったし、読んでもらうこともプライバシーだから 出来なかった。しかし、今は毎晩メールのやりとり、と言う。肢体 不自由の人もいろいろな入力をサポートする機器の登場で、時間はかかるが メールのやりとりをしている。
聴覚障がい者の人は今まで電話機は使えなかった。しかし今はメールの やりとりに不可欠な機器になった。 今流行のFOMAの携帯で視覚障がい者がテレビ電話機能を使っている、 という事例もある。視覚障がい者がデパートのネクタイ売り場で その画像を映し、友人にこれを送り、そのアドバイスで欲しいものを 買う、といった障がい者の目のかわりになる使い方をしている。
今や切符の予約、銀行の決済、辞書の検索、公民館の予約、などなど インターネットが使える人と使えない人の格差がどんどん大きくなってきている。
ただし、便利なものの裏側には大きな落とし穴がある。ネット犯罪や ウィルス侵入などに巻き込まれない知識も必要なのである。

その20.新年早々の貴重な体験(2005.1.6)

1月3日のお昼すぎ、縁側でうららかな陽射しを浴びながら お茶を飲んでいた。傍らには三毛猫が毛づくろいをしている。 こんなのどかな光景、めったに無いことだ。ここは東京都青梅市 にある、妻のお姉さんの嫁ぎ先。毎年ここを妻の母親、兄弟で 年始に訪れ、家族で落ち合うのを楽しみにしている。 外は12月31日に降った雪がまだ溶けず、白銀の世界だ。
突然、「ドスン」という鈍い音、交通事故のようだ。近くを走る 旧奥多摩街道の日陰部分がアイスバーンになっていて、 昨日車で来た私は「危ないなあ」、と思っていた。怪我人でも いたら大変、とすぐに現場に駆けつけた。車1台がスリップして、 信号の柱に突っ込んで1車線を妨げて止まっている。運転手に 怪我がないようだが、エアーバッグが飛び出している。(時速25 キロ以上でぶつかると時速300キロくらいでエアバッグが飛び 出して来るそうだ)車線を妨げているから、片側通行しかできない。 とっさにやはり近所から飛び出して来た男性の方と協力して 交互通行の誘導を始めた。パトカーとレッカーを呼んだので、 来るまでと思っていたが、何と1時間半も来なかった。この間、通る 車にできるだけ迷惑を掛けないように誘導する初めての経験 をさせてもらった。年始早々の貴重な体験だった。妻は女兄弟で スコップを持って来てアイスバーンを削っていた。 あとで聞いた話だが、このようなケ-ス、法的には何の権限も 義務も無く、自身が2次災害にあっても何の保障も無いそうだ。 まさに自己完結のボランティア行為だったのだ。
「危ないから止めろよ」という人もいたが、やってなければすごい パニックになっていたかもしれない。何もなかったからのこと だが、やって良かったのでは、と一緒にやった方と共通の思いを持った。 ボランティア=やりたいからやる&自分ができることをする&社会の 役にたつ&自己責任で&報酬は自分の満足、を地で行く出来事だった。

その19.グッドネイバーズ(Good Neighbors)(2004.12.2)

川崎市では7つの区で「グッドネイバーズ研修」というものを やっている。福祉部局が予算を確保し、社会福祉協議会に 運営を委託している。グッドネイバー=良き隣人、と訳して いる。アメリカでは、隣に引越しして来た人に対して、まだ 荷物も解けてないだろうから、と夕食にバーベキューを用意 してもてなしてくれると言う。そういう光景がこのことばから 彷彿とさせてくれる。そんな隣人関係も今はすっかり無くなって しまったことから、このような講座が人気があるのだろう。 新潟県中越地震で被災した方々は地域のそんな濃密な 関係があったからこそ、助け合えたのではなかろうか。 NHKの木曜日夜9時15分からの「ご近所の底力」という 番組では、地域力が問われる。同じ痛みの何か困りごと があると、人は協力し、互いの理解を深める。そこに目を つけたのがこの番組だ。宮前区の「グッドネイバー研修」で コミュニケーションの単元の講師を行って、地域のコミュニ ケーション力が地域力をつけるものであることを強く思った。 コミュニケーション力はだまっていては何も生まれない。 自ら近隣に関心を示し、自ら汗をかかないと生まれない ものだと思う。

その18.おとうさ〜ん出番ですよーーその2。(2004.10.2)

9月19日(土)10:00役場の駐車場に藤代町おとうさん友の会 のメンバーが集合、今年の学習会に行くためにバスに乗った。 今年は隣市、龍ヶ崎市が経営する『湯ったり館』という風呂施設 で学習会のあと、ひと風呂浴びてから食事付き懇親会の企画だった。 参加者はおとうさん友の会25名、隣町、利根町のおとうさんボランティア グループ「リアクティ」のメンバーも12名参加、双方のグループの 交流の場となった。両方とも設立に関わった者としてこのように 自治体をまたがってシニアのおとうさんたちが交流できたことに 感慨の念がある。懇親会では各自の思いをショートスピーチ、 様ざまな特技や価値観で人生を楽しんでいる様子が語られ、 皆互いに刺激になった様子、また来年もやろうよ、ということで 次回の幹事役も決まり、心が満腹になって帰りのバスに乗った。 交流はこれからも続くだろう。

その17.おとうさ〜ん出番ですよーー。(2004.8.1)

最近、あちこちの社会福祉協議会、生涯学習課、シニアに関する NPO法人の方々からのご依頼で、「おとうさん講座」の企画に 加わったり講師をしたりする機会が多い。時によっては、60歳以上 のご夫婦が受講者ということもある。大手の企業などでは定年直前 の方を対象に、年金の担当部門や健康保険組合がセミナーを開いて 経済的なこと、健康面のこと、地域への参加のこと、仲間作りのこと、 趣味のことなどを研修している事例が多い。 地域での講座の場合には、企業での実施と違い、学歴や肩書きなど が無い集まり、ということが特徴であろう。それぞれに人生を生きて 来た自身の年輪をバックボーンとしての研修が始まる。地域でこの ような講座を企画する理由は、少しでも多くのシニア世代に地域参画 をしてもらい、まちづくりの一端を担ってもらいたいからであろう。 このような講座に出て来るならまだ良い方、友達もいなく、趣味も地域 でできることを持たず、家に閉じこもっている、「ひきこもり退職者」が 多いと聞く。特に現役時代に役職が上だった人は難しいとも聞く。 いつも指示するばかりで自身をサポートする人がいた。細かい現業 のことを知らない。人から指示されたくない。いろんな理由があるにせよ 地域社会でのつきあいは、その人が今ここでこの課題に対してどの位 力を発揮できるかが問われる。人に対して心から信頼される行動 ができ、人として周囲と上手に付きあえ、共感し合えるバランス感覚が 問われる。しかし、定年後になって生き方や価値観を変えるのはなか なか難しいことも事実。自分の価値観を変えずしても他人の価値観を 理解できる寛容さが大事だと思う。

その16.縁(えにし)(2004.3.1)

出張先の富山県高岡市、仕事が終わった頃友人が迎えに来て下さり、井波町のご自宅に初めて訪問。ご家族の皆さんが歓迎してくださいました。その友人が社会福祉協議会に勤務されていた時に仕事で知り合い、5年ほどのメル友、出張先が近くだったので、是非わが家に、ということでご招待いただいたのでした。彼女のご主人は盆栽づくりの名人、盆栽の最高峰の展示会国風盆栽展のご案内を頂戴し、その逸品を見させていただき、あまりの美しさに息をのみました。そのご主人と初めて対面、盆栽の話をいろいろ聞かせてもらいました。世の中には自分の知らない奥深い世界があるものです。縁(えにし)があってこのような時間を持てたこと、不思議なつながりを味わいながら、友人の手料理を肴に一杯やるのは至福の時でした。

その16.20年越しの目標達成(2004.2.11)

このコーナー、その8(2003.2.11)にも書きましたが、1年に1回のフルマラソンを走り始めて20年、最初に走った時に心に誓ったことをついにやり遂げました。20年かかって20回のフルマラソンを完走。今年の大会はとりわけ自分にとって意味のある大会、コンディションづくりも入念に行いました。記録は…歳のせいでしょうか、4時間11分もかかりましたが、それでも満足、自分を誉めてあげたい…。今年は友人夫妻が寒い中ゴールを待っていてくれ、有り難い応援をしてくれました。20回走ったら止めよう、と思っていたのですが、ゴールの感動を思うとやめられない感じです。これは自分ひとりの力で完成できたものではなく、まずは家族に感謝したいと思います。

その15.忘れられない味・忘れられない空間(2003.11.7)

昨夜は東京・新橋の小料理屋でおいしい料理に舌鼓を うちながら気のおけない仲間と語らう時間を持つことが できた。何と男性は私ひとり、他の3人は同世代のいずれも 市民活動をする心優しい女性たち。うち一人は初対面、 他の2人は講座を受け持った関係で知り合い、4回しか 会っていない。というのにすっかり心は打ち解けている。 そのお店で出て来る料理は、いずれも初めて食べる、 “これ、素材は何ですか?”と聞かなければわからない ような、それでいて見て美しく、食べて口にとろけるような 味、一気に飲み込むのがもったいない。忘れられない 味だ。ご亭主がまた良い、いちいちうんちくを語らず、 客の反応を見ながらさらりとその料理の訳を教えて くれる。間口2間、奥行き3間ほどの店は狭く、14,5人 しか入れない。カウンターに座った客がお料理や飲み 物をテーブル席に手渡す仕組みのようだ。 知らない客同士がここで会話できるのも良い。ご亭主 は生涯学習講座で市民にこの秘伝の調理法を教えて いるという。トイレで焚いているお香の匂いも印象に 残った。お客を喜ばせる仕掛けがいたるところにあり、 忘れられない味、忘れられない空間となった。紹介して くれたこの日のオーナーに感謝。

その14.スクエアダンスクラブ創立5周年パーティ(2003.10.30)

10月5日日曜日は代表をしているスクエアダンスクラブ「藤代 リバーサイドスクエアーズ」の創立5周年アニバーサリーパーティ を行いました。わが町藤代町には適当なフロアが無いところから、 千葉県我孫子市に会場を借りて行いました。会場予約とゲストコ ーラーの予約は昨年12月に、詳細の準備は会員67名の総力を あげて3月始めから行いました。メンバーそれぞれの分担事項に ついて月に1回のミーティングを繰り返しながら当日を迎えました。 天候が見方して、爽やかな秋晴れ、コスモスなど秋の花が出迎える 中、会員はこの日のために新調した爽やかなブルー地のコスチューム でお客様の出迎えました。パーティには300人を超える近隣の愛好者 がお客さまとして来てくださり、1日を楽しく交流しました。 打ち上げでは会員の顔が皆輝いていました。この日のためにベスト を尽くして関わった者のみが味わえる美酒に酔いました。いくつ年齢 を重ねても、こんな心が震える体験を仲間と共に味わえる幸せを感じました。

その13.ホームページ開設1周年(2003.8.5)

このホームページを開設して1周年になりました。 制作する前は、できるかなぁと思って躊躇したの ですが、やっちゃいました。ただし、今はどこの ホームページを見ても画像やアニメなどスゴイ技術 を使っているのに、このホームページはごくごくシンプル に、伝えたい情報を重視(ホントはテクニック不足の ため、すごい技術は使えない!)しています。 個人の名刺にもアドレスを記載して、自己紹介に役立って います。ホームページをつくったことで、自分という人間は 何物で、何に興味を持っていて、どんなネットワークが あって、どこに向かって行こうとしているのかを考える きっかけになりました。12メガまで無料のサイトを使って いますが、7メガまで来ました。まだまだ掲載したいことが いっぱいあるのですが、マイペースでやって行きます。

その12.スクエアダンスのビギナー卒業(2003.7.10)

スクエアダンスクラブ「藤代リバーサイドスクエアーズ」の第5回 卒業式がにぎにぎしく終了した。3月8日から毎週土曜日の夜 7時から8時50分まで15週連続で行われた。平均年齢は? 多分50才は超えているだろう。メンバー50名がお世話し、16 名のビギナー生たちが卵から羽化した。よちよち歩きの彼らを 長い目で育て、一人前のダンサーになってもらうのはこれからだ。 このビギナークラスのお世話をしたのは、昨年のビギナーさん 12名、昨年の自分たちの気持ちを思い出しながら新人に対して 木目細かいホスピタリティでサポートしてくれた。前記年齢の世代 の人が毎週学び続けるということは大変なことだと思う。でも、そ こに行けば同じことを学ぶ仲間がいる、優しく声をかけてくれる 先輩ダンサーがいる。そして覚える苦労やストレスよりも大きい、 目に見えない価値を感じる。だからこそ続けられるのかもしれない。 苦労して勝ち得た楽しみは簡単に得られる楽しみよりも味があり、 より大きな喜びとなる。そしてそれを味わった友と共に共有できる からこそ本物となって行くのだろう。

その11.シニア世代の旅行(2003.6.20)

5月は2回、飛行機を利用した出張をした。2回とも九州までの日帰りの旅。 朝9時台に羽田を出発して夜9時くらいに帰って来るが、朝のビジネスマンの 姿に混じって、シニア世代のご夫婦の旅行姿が目立つ。このところ、イラク 戦争などの影響で出発ゲートのチェックが厳しいため、長い列になっている。 ダークスーツ姿のビジネスマンに混じって、赤や黄色のカジュアルスタイルが 目立つ。年齢は60歳代くらいだろうか。ご主人がスタスタと先を歩き、後から 小走りに奥様が付いて行くご夫婦、奥様がテキパキと切符を渡したり何か指示をしているご夫婦、搭乗口はどこだと言い争っているご夫婦、 ゆっくりとコーヒーを飲みながら談笑しているご夫婦、ご主人の車椅子を奥様が 押しているご夫婦。朝の搭乗の待ち時間、いろんなご夫婦を観察できた。

その10.久々の披露宴司会(2003.5.10)

5年ぶりに披露宴の司会を行った。赤坂の素敵なレストランが会場 だった。最近は結婚式場よりも、式そのものはきちんとした神社や教会 で行い、場所を移してお好みのレストランでパーティを行うのが流行り らしい。今日は若い新郎新婦に大いに刺激を受けて来た。あゝ自分の25 年前もこんなんだったかなあ。でもあの時は式場の人にただ右に左に 動かされて、あっという間に終わってしまった。できたらもう一度披露宴 をやってみたいものだ。もちろん今の女房とですよ!

その9.古い友人との再会(2003.2.25)

このところ、昔の古い友人に会う機会が重なった。それも20数年前とか30数年前 とか ものすごく久しぶりの再開だった。不思議なもので2,3年前のことよりも、名前も 顔も その当時の情景も鮮明に記憶が甦るものだ。 先日、ある社会福祉協議会のボランティア講座で講師を担当したが、事務局の方が 受付の女性が井上さんのことを知っている、という。○田△子さんという方ですが… という。○田さんは存じ上げないので、多分結婚されて姓が変わられたのかなあと 思った。△子さんには、記憶をたどると30年前に入社した時にお世話になった女性 がいるのでもしや、と思ったらその通り、30年ぶりの再会となった。懐かしかっ た。 まだういういしい?私をいろいろ面倒見て下さったその方は結婚されて東京の府中か ら 茨城県にお住まいになったそうだ。もう一人は□藤○恵さん。港区生涯学習センター の講座で 講師を担当した。休憩時間に○恵さんは、井上さんは以前レクリーダーをされてたで しょ? と声をかけて下さった。少し色黒で丸顔で眼鏡をかけて…なかなか思い出せない。 20年前に一緒に学んだ時の講師の方の名前を言って下さった。そうそう、そう言え ば…。 あの頃一緒にレクを学んだ光景が浮かんで来た。 古い友人に会うのは嬉しいものだ。そして記憶の糸をたどってその当時のことを考え てみると、 互いに違った年輪を重ねて来て今ここでその当時の共通体験をその頃の気持ちで話題 にできる 不思議さを感じる。古い友人、大切にしたいものだと思う。

その8.19回目のフルマラソン完走(2003.2.11)

1985年2月11日、初めてのフルマラソンを感動でゴール。タイムは3時間58分。申し込んで みたのは良いけど、本当に走れるんだろうかという未知の体験への不安でいっぱいだったの ですが、何とかゴールしました。毎年2月11日(祝日・建国記念の日)に開催される 勝田マラソンは1万人以上の市民ランナーが参加するマラソン大会です。
初めての完走の時に、何となく20回は連続して出場しよう、と心に決めました。 そのためには自分の体調をきちんと維持しなければならないし、出場できる環境も整えて おかねばなりません。あと1回、来年でこの20年来の目標が達成できるとなると、今回の完走 は実に意味のある出来事でした。走りながら、今この1歩がなければゴールできないんだ、この 1歩の積み重ねがゴールの感動を生むんだ、とばかり考えていました。今までは、自分ともう 一人の自分がその隣にいて、歩けば楽になるよ、収容車に乗れば楽になるよ、という自分が、 頑張れよ、皆苦しいんだ、走りつづけろよ。という本来の自分に語りかける2人の自分が心に 内在していました。ところが、今回はひたすらこの1歩、という気持ちだけでした。不思議なものです。足も幾分 軽い感じでした。
私の心の1年もこのマラソンでピリオド。20回目の出場に向けてまた新しい年度がスタートです。

その7.アクセス2000件(2003.1.31)

2002年8月3日(私の50才の誕生日)に立ち上げたマイホームページのアクセスカウンター が2000に達しました。181日で2000ですから、1日11件ということになります。皆さまにご覧 になっていただき、有り難く存じます。はっきり言って自己満足のページですが、自身にとって、 自分のコンテンツをまとめる、ということは、自分の棚卸しになります。
夕刊フジの取材で、井上さん、今年やっておきたいことは何ですか?と聞かれ、とっさに 自分のホームページを持ちたいですね、でした。これが記事になって しまったのですから、公約は守らねばなりません。さ〜てどうやったら良いものか、全くその知識 が無いところから始まりました。負けん気はもともと強い性格、何とかなるさ、との開き直りが 良かったのでしょう。何とかカタチを作らないと…という気持ちでしたが、2か月位前までまだ目処 が立たず、困り果てました。ここで現れた救世主が 昔の友達。参考となるCD−ROMをわざわざ 送ってくれました。それからが一気に加速。8月3日午前3時、何とかできちゃいました。 この時の達成感は近年に無い?ものがありました。 今はすっかりこのページにはまっています。メンテナンスが楽しくなって来ました。
アクセスカウンターは、ホームページのトップページを訪問した時に数字がひとつ上がる 仕組みですので、トップページの下「○○人目です。」は正確に言えば人の数では無いのです。しかし、 やはりページを作っている立場からすれば、このカウンターが上がることが励みになります。 少しでも自己満足から脱して、皆さんのお役に立つような情報や絵を出したいなぁと思っています。


その6.初詣の神社で(2003.1.1)

初詣はいつも車で15分位のところにある千勝神社に行きます。
ここはわが家の氏神様。神棚はここでご祈祷いただきましたが、毎年初詣で買い求めた新しい 『家内安全』のお札をお宮に納めます。古いお札は社務所の横にあるお札納め所に賽銭と共に 納めますが、何とここに達磨の(中国禅宗の開祖、達磨大師の座禅姿を模して作った張り子)が 置いてあるではありませんか!神社にだるま、ねえ。考えてしまいました。
そういえば、拝み方も最近は乱れていますね。普段の信仰心も無い方々が何かの時だけ神頼みする 時代、神様はお願いに応えるのが大変じゃないでしょうか。精進したいですね。
あっ!これ仏教用語でした。大辞林には、禁忌を避けたりして心身を清らかに 保ち、信仰に励むこと、と書いてあります。


その5.スクエアダンスパーティ会場で(2002.12.8)

東京・江東区文化センターで開催されたスクエアダンスパーティに参加 して来ました。楽しいパーティを更に楽しくさせてくれるエピソードがありました。あれっ?あの女性 見覚えがあるなあと思って休憩時間に声をかけました。私の記憶は当たっていました。その女性とは 13年ぶりに再会しました。私から覚えてる?井上です、と話し掛けたら、声を覚えてくれていました。
その女性は13年前に縁あって結婚退社した方で、私の仕事の部下の女性で、凄く積極的で行動派 でした。ただ、網膜はく離の病気で目がほとんど見えない状態でした。その彼女がスクエアダンスを 楽しんでいることがとても嬉しかったのです。スクエアダンスはバリアフリーなダンスで、車いすでも 楽しめるし、聴覚障がいの人も楽しめるのです。彼女は目が見えないけど、頭の中にきちんと フォーメーションがインプットされていて、コーラーの指示にきちんと応え、普通と同じように すいすい踊っています。その彼女とこうやってダンスを一緒に楽しめた、これだけで私の胸は 熱くなりました。
彼女のクラブの会長さん始め、クラブの皆さんは彼女に対してスクエアダンスの楽しさを極く極く 普通に伝え、そしてサポートしていらっしゃる。これこそ、遊びのユニバーサル化だなあと思いました。


その4.大阪で(2002.11.28)

久々に大阪に出張しました。日帰りの旅なので、駅とシンポジウム会場の往復だけでしたが、 新大阪・梅田・環状線野田駅で気づいたことが3つあります。
◇ひとつは、エスカレーターの追い越しラインが東京と逆なこと。エスカレーターを急ぐ人の ためにどちらか片方に立って片方を空けておく…。東京では右側を空けて急ぐ人は右側 を通行します。ところが、大阪では左側を空けておいて、急ぐ人は左側を通行していました。 つまり、階段に立つ人は東京と大阪では逆になるってことです。因みにアメリカでは左側を空けて いました。なぜ東京と大阪で違うのか、どっちが合理的なのか、わかる方はメールを下さい。
◇2つ目は、JRに12月から女性専用列車が走ること。東京でも一部の私鉄がやっていますが、 JRではやってないと思いました。朝の通勤時間帯と夕方5時以降ということですが。乱齬p車輌のステッカーが貼ってある車輌には日中でも男性は乗りにくいかもしれませんね。
◇3つめは、JRの切符自動販売機の前に立つと“ピーン”と音が鳴りました。視覚障がい者のため にガイドしてるんだな、と気がつきました。ユニバーサルデザインは良いですね。因みにJRの一部の 自動販売機でお金を入れるスリットが大きくなっているのがありますが、これは指の運動機能に障がい がある人が使いやすくなっているんですね。

その3.朝の通勤電車の中で(2002.11.27)

朝の通勤電車、7時過ぎに私が乗る駅では、つり革につかまれる場所に何とか立てる。 座るなどまずムリだから、ここに立てただけで幸せ。約50分間、本や新聞を開く空間があるから 乗っている間にいろんなことが出来る。電車が停車するごとにたくさんの人が押し込まれて 来る(という表現の方が良いかな?)。先週、出入り口で週刊誌を開いていた若い男性が後ろから 押されながらも、何とか自分のスペースを固持して確保しようとしている。そこへ中年の男性が 墾田だからやめて くれよー。若者、ブツブツ。中年、みんなに迷惑かけてんだからよー。若者、……。もちろん若者の言い分はみんなの反感を買うような勝手な言い分。そこへ別の中年氏、 ウルセ〜〜ンダヨッ!。この2人のやりとりに頭に来た様子、隣にいたおばさん、当たり前のこと言ってんだから、いいじゃないの!!電車の中はシーン!
私はヘッドホンステレオで音楽を聞いていたのですが、耳はそちらの方に行っていました。 電車の中はホントにいろんな人間模様が現れる空間です。思いやりがある人、自分勝手な 振る舞いをする人、いろんな方々が狭い電車の中で長時間同じ空気を共有している 不思議な空間でもあります。

その2.私の立場が無くなった場面(2002.11.17)

パーティ会場での話です。お茶をいただこうと思っていたら、向こうの方から〜井上さぁー ん〜と いう声、久しぶりにお会いしたその女性と親しく話していました。とそこへその 方の“先生”が通りかかったのです。するとこの女性は〜お久しぶりですー。 お元気でしたかー?〜………〜あっそうなんですかー〜………。私との 話は中断したまま…私はそこにただ突っ立っているだけ。 私はどうすれば良いの?こんな時はひとこと、〜すみません、この方は私の○○さん、こちらは 井上さんです〜と紹介してくれれば何てことはないのに、ちょっと配慮が足りませんね、 この人は。私はそーっとその場を離れたのでした。
あなたならどうします?

その1.さわやかな声(2002.11.10)

富山県井波町の友人から、声の郵便というカセットテープをいただきました。このテープ は、同町内に暮らすひとり暮らしのおとしよりの方々に地域の話題を声で届けているものです。 身近な地域で起こった話題や季節の移り変わり、地元の住職の方の法話などが優しい 声とともにたくさん詰まっています。このグループは、ボランティア活動で厚生労働大臣表彰 もいただいている素晴らしいサークルです。
私も聴いていて心がほぐされる思いがしました。きっとこれを待っているおとしよりの人たちは 私以上の感慨を持って毎日聴いてくださってるんだろうなあ、と思いました。


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