きょうの気になるワード(ちゅうさん流の解釈)


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新聞・テレビ・週刊誌・どこかの掲示板・電車の中吊りなど、オヤッと思ったワードや
フレーズをヒントに、筆者の体験や気づいたことを加えて毎日コメントしています。
2008年4月21日に開始、13年目に入りました。
2020年7月13日までは、文末でLINKしています。


2020.7.13 『♪四季のうた (好きな歌シリーズ27』

1963年、作詞家の荒木とよひさが作曲も行い、発表した。日本のうた100選にもなっている、国民的な歌だ。 作の荒木は、妙高高原でスキーで怪我をし、入院中世話になった看護師たちにこの歌をプレゼントした、という逸話が有る。 1972年にレコーディングされ、 芹洋子のバージョンがミリオンセラーになった。 芹は、レコーディングの後で、この曲の作者が友人の荒木の作品であることを知ったという。

春を愛する人は 心清き人
すみれの花のような ぼくの友だち

夏を愛する人は 心強き人
岩をくだく波のような ぼくの父親

秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような ぼくの恋人

冬を愛する人は 心広き人
根雪をとかす大地のような ぼくの母親

マイナーの調の曲でありながら、ちっとも哀愁を帯びていない明るい希望に満ちた曲だ。


2020.7.12 『♪高校3年生 (好きな歌シリーズ26』
舟木一夫のデビュー曲として1963年6月にリリースされた。作詞:丘 灯至夫・作曲 遠藤  実。 発売1年でミリオンセラーとなる大ヒット曲は累計で230万枚売れた。 舟木一夫はこの年の第5回日本レコード大賞の 新人賞を受賞している。

赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木陰に はずむ声 ああ 高校三年生
ぼくら 離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも

泣いた日もある 怨んだことも
思い出すだろ なつかしく ああ 高校三年生
ぼくら フォーク・ダンスの 手をとれば
甘く匂うよ 黒髪が

残り少ない 日数を胸に
夢がはばたく 遠い空 ああ 高校三年生
ぼくら 道はそれぞれ 別れても
越えて歌おう この歌を

日本のうた100選にもなっていて、流行歌が学校の校内放送で流れたのは、この曲が初めてだという。 この歌は、ほんとうは別の人が歌う目的で作曲されたのだが、その歌手のイメージに合わないので、いったん お蔵入りになったが、舟木の歌唱で世に出た、というからわからないものだ。


2020.7.11 『♪結婚しようよ (好きな歌シリーズ25)』
1972年(昭和47年)吉田拓郎作詞・作曲 で発売された曲。それまでのプロテスタント的フォークソングの色をガラっと変えたフォークとして、デビューした。

僕の髪が 肩までのびて
君と同じになったら
約束どおり 町の教会で
結婚しようよ M・・・・

古いギターを ボロンと鳴らそう
白いチャペルが見えたら
仲間を呼んで 花をもらおう
結婚しようよ M・・・・

もうすぐ春が ペンキを肩に
お花畑の中を 散歩に来るよ
そしたら君は 窓をあけて
エクボを見せる 僕のために
僕は君を さらいにくるよ
結婚しようよ M・・・・

雨が上がって 雲の切れ間に
お陽様(ひさま)さんが 見えたら
ひざっこぞうを たたいてみるよ
結婚しようよ M・・・・

二人で買った 緑のシャツを
僕のおうちのベランダに 並べて干そう

結婚しようよ 僕の髪は
もうすぐ肩まで とどくよ

因みにこの曲のレコーディングには、当時20歳の松任谷正隆がバンジョーで参加していた。 この曲を歌いながら、結婚に憧れたものだ。


2020.7.10 『♪希望 (好きな歌シリーズ24)』
藤田敏雄作詞・いずみたく作曲。 岸洋子が歌った。 岸洋子が1969年のリサイタルで初めて歌い、この年のレコード大賞の歌唱賞を受賞した。

希望という名の あなたを訪ねて
遠い国へと また汽車に乗る
あなたは昔の 私の想い出
故郷の夢 初めての恋
 けれど私が 大人になった日に
 黙ってどこかに 立ち去ったあなた
いつかあなたに また遭うまでは
私の旅は 終わりのない旅

希望という名の あなたを訪ねて
今日もあてなく また汽車に乗る
あれから私は ただ一人きり
明日はどんな 街に着くやら
 あなたの噂も 時折聞くけど
 見知らぬ誰かに すれ違うだけ
いつもあなたの 名を呼びながら
私の旅は 返事のない旅

希望という名の あなたをたずねて
寒い夜更けに また汽車に乗る
悲しみだけが わたしのみちづれ
隣の席に あなたがいれば
 涙ぐむとき そのとき聞こえる
 希望という名の あなたのあの歌
そうよあなたに また逢うために
わたしの旅は 今またはじまる

♪あなたは昔の〜からハモると、いい味を出すロシア民謡っぽい、いい歌だ。


2020.7.9 『♪君といつまでも (好きな歌リーズ23)』
昭和40年に世に出て、今でもちっとも錆びていない、むしろ光輝いている曲だ。岩谷時子作詞・ 弾厚作(加山雄三のペンネーム)作曲、今では御年82歳でも、若々しくエレキギターを持って 歌っている。

ふたりを夕やみが つつむ この窓辺に
あしたも すばらしい しあわせがくるだろう
君のひとみは 星とかがやき
恋する この胸は 炎と燃えている
大空そめてゆく 夕陽いろあせても
ふたりの心は 変わらない いつまでも

(台詞)
「幸せだなァ 僕は君といる時が 一番幸せなんだ
僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろう」

君はそよかぜに 髪を梳かせて
やさしく この僕の しとねにしておくれ
今宵も日がくれて 時は去りゆくとも
ふたりの想いは 変わらない いつまでも

伊豆・堂ヶ島に有る加山雄三ミュージアムに行った。彼の思い出の品が飾られ、ヒット曲の数々が流れる その空間は青春そのものだった。


2020.7.8 『♪憧れのハワイ航路 好きな歌シリーズ22)』
筆者が生まれる前に世に出た作品だが、何処で覚えたかは定かではないが、結構歌っている。 高齢者のつどいなどで受ける歌だ。リズムが良いし、古びた感じもしない。手拍子を取りながら歌える。
石本美由起作詞・江口夜詩作曲で、1948年(昭和23年)岡晴夫が歌った。 まだ戦災渦の世に出たのだが、おそらく国民の士気を鼓舞 してくれたに違いない。

晴れた空 そよぐ風
港 出船の ドラの音(ね)愉(たの)し
別れテープを 笑顔で切れば
希望はてない 遥(はる)かな潮路
ああ 憧(あこが)れの ハワイ航路

波の背を バラ色に
染めて真赤な 夕陽が沈む
一人デッキで ウクレレ弾けば
歌もなつかし あのアロハオエ
ああ 憧れの ハワイ航路

とこ夏の 黄金月(こがねづき)
夜のキャビンの 小窓を照らす
夢も通うよ あのホノルルの
椰子(やし)の並木路(なみきじ) ホワイトホテル
ああ 憧れの ハワイ航路

田舎のお祭りの時、芝居小屋で見たマドロスさんの衣装を着た踊り手が、カッコよく踊っていたのを思い出す。 リズムが良いし、乗りがいい。戦災直後によくこういう歌が生まれたものだ。


2020.7.7 『♪ぼくの飛行機(好きな歌リーズ21)』
1977年発表、うたごえ運動と共に歌い継がれて来た。 作詞:風車 雪子・作曲:浅野 義高

大空に翼を
広げて飛んで行く
ぼく達の夢乗せて
地球を飛び越えて
どこまでも行こうよ
ララみんなと手を取って
さぁ明るい明日へ
小さな手を離れ
今旅立つ時が来た
さぁ飛んでけ
ぼくのひこうき

幸せを乗せて
どこまで飛んで行く
愛の歌口ずさむ
僕等の未来込め
いつまでも歌おう
ララみんなと手を取って
さぁ明るい明日へ
小さな手を離れ
今旅立つ時が来た
さぁ飛んでけ
ぼくのひこうき

1990年頃、地域でうたごえ活動の仲間から楽譜をもらい、覚えた曲だ。歌い継がれるに従って、 振り付けが付いて行ったようだが、残念ながら手話の振り付けではない。


2020.7.6 『♪あの素晴らしい愛をもう一度 (好きな歌シリーズ20)』
1971年(昭和56年)に発表、 作詞:北山修・作曲:加藤和彦。 北山の詞を見た加藤は大きく感激し、1日で曲を作り上げたという逸話が有る。

命かけてと 誓った日から
すてきな想い出 残してきたのに
あのとき同じ花を見て 美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない

 *あの素晴らしい 愛をもう一度
  あの素晴らしい 愛をもう一度

赤とんぼの歌を 歌った空は
何もかわって いないけれど
あのときずっと夕焼けを 追いかけて行った二人の
心と心が 今はもう通わない

 *繰り返し

広い荒野に ポツンといるよで
涙が知らずに 溢れてくるのさ
あのとき風が流れても 変わらないと言った二人の
心と心が 今はもう通わない

 *繰り返し

リズムがとても心地よい。3番でキーチェンジするところも、何とも言えない。 昔はスリー・フィンガー(チャン・チャカ・チャカ・チャン、のリズムを右指3本で弾く奏法) でやったが、♪今はもう弾けない。


2020.7.5 『♪たんぽぽ (好きな曲シリーズ19)』
1976年に発表された楽曲だが、ひたち製作所の労働闘争歌だったものを、 芹洋子がレコーディングした、と言われている。 門倉さとし作詞・堀越浄作曲、筆者は30年くらい前にこの歌に出会った。

雪の下の 故郷の夜
冷たい風と 土の中で
青い空を 夢に見ながら
野原に咲いた 花だから
  *どんな花よりタンポポの
   花をあなたに贈りましょう
  *くりかえし

ガラスの部屋 バラの花より
嵐の空を 見つめ続ける
あなたの胸の 想いのように
心に咲いた 花だから
  *どんな花よりタンポポの
   花をあなたに 贈りましょう
  *くりかえし

高い工場の 壁の下で
どれだけ春を 待つのでしょう
数えた指を 優しく開き
空き地に咲いた 花だから
  *どんな花よりタンポポの
   花をあなたに 贈りましょう
  *くりかえし

どんな花より〜〜から先は、3度上げた音でハモると、美しいメロディになって、 「歌っているなぁ」と感じる。この歌を誰かに届けよう、と思えるいい歌だ。



2020.7.4 『♪翼をください (好きな歌シリーズ18)』
フォークグループ赤い鳥が1971年(昭和46年)に発表した楽曲。作詞:山上 路夫・ 作曲:村井 邦彦 。1970年代後半から学校の音楽教科書にも掲載されたが、ちょうど長男が小学生の頃、 一緒にうたったことを覚えている。

♪いま私の 願いごとが
かなうならば 翼がほしい
この背中に 鳥のように
白い翼 つけてください

この大空に 翼をひろげ
飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ 行きたい

いま富とか 名誉ならば
いらないけれど 翼がほしい
子供の時 夢見たこと
今も同じ 夢に見ている

この大空に 翼をひろげ
飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ 行きたい

2007年には、日本の歌100選に選ばれたから、広く国民の間で歌い継がれているということだ。 つどいで良く歌う曲だ。



2020.7.3 『♪若者たち (好きな歌シリーズ17) 』
1966年、フジテレビで放送されたテレビドラマ「若者たち」の主題歌としてヒット。 1970年代になって小学校や中学校の音楽教科書に掲載された。2014年には、 森山直太朗主演でフジテレビでリメイクドラマが放映され、曲をカバーしている。 原曲は ブロード・サイド・フォーが歌った。

作詞・藤田敏雄:作曲・佐藤勝

♪君の行く道は 果てしなく遠い
だのに何故 歯を食いしばり
君は行くのか そんなにしてまで

君のあの人は 今はもういない
だのに何故 何を探して
君は行くのか あてもないのに

君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽日が昇るとき
若者はまた 歩き始める

空にまた 陽日が昇るとき
若者はまた 歩き始める

この歌はよく歌った。20代前半の頃、会社の若者たちがバス4台をチャーターして、山梨の 本栖湖レイクサイドキャンプ場に向かった。当時はバスハイクが盛んな時期。キャンプファイアーを 囲んでこの歌を歌った。伴奏は、筆者のアコーディオンだった。静寂な湖にこだまする歌声は忘れられない。


2020.7.2 『♪星に祈りを (好きな歌シリーズ16)』
1964年(昭和39年)にリリース、佐々木勉作詞・作曲、 ブロード・サイド・フォーが歌った。

夜空の星に 祈りを捧ぐ
その娘のやさしい 瞳の中に
喜びの涙が あふれていた
生まれて初めて 知った恋を
求めて離さず ここまで来た

遠くつらかった 二人の道よ
ここはぼくらの パラダイス
愛し合う二人の いこいの園
涙をふいて 笑顔を見せて
明日の明るい 日ざしをあびよう

若い二人の ゆくてには
今日にもまさる 喜びがある

若い頃、キャンプ場で星空を見上げながら歌ったことがある。その頃は、まだ恋は憧れだった。
作詞・作曲の佐々木勉(ササキベン)の作品には、後にカラオケでよく歌われる「別かれても好きな人」 や、「3年目の浮気」などがある。


2020.7.1 『♪見上げてごらん夜の星を (好きな歌シリーズ15)』
1960年、同名のミュージカルが上演され、その挿入歌として使われた。1963年、 坂本九がレコードを出し、 第5回日本レコード大賞作曲賞を受賞。永六輔作詞・いずみたく作曲。

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを歌ってる

見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる

手をつなごう ぼくと
追いかけよう 夢を
二人なら苦しくなんかないさ

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを歌ってる

見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる

雄大な夜の星空をイメージさせるイントロの進行が雰囲気をつくる。 坂本九の代表的な楽曲だ。


2020.6.30 『♪雪の降る街を (好きな歌シリーズ14)』
1952年(昭和27年)に作られた歌だ。68年たっても、ちっとも色褪せていない。シーンと静まり返った 町に、雪がしんしんと降る情景が思い浮かぶ。筆者は雪国育ち、この情景は子ども心に深く目に焼き付いている。 電柱に裸電球の街灯、大きな粒の雪がそこに降り注ぐ。周囲は積もったっ雪で綿を集めたよう。わずかに人が 歩いた足跡が見える。音は何もしない。しんしんと降る、のオノマトペは、実に見事な表現だ。

♪雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る街を
遠い国から 落ちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日かつつまん
温(あたた)かき幸せのほほえみ

雪の降る街を 雪の降る街を
足音だけが 追いかけてゆく
雪の降る街を
ひとり心に 充(み)ちてくる
この哀(かな)しみを この哀しみを
いつの日かほぐさん
緑なす春の日のそよ風

雪の降る街を 雪の降る街を
息吹(いぶき)とともに こみあげてくる
雪の降る街を
誰もわからぬ わが心
このむなしさを このむなしさを
いつの日か祈らん
新しき光降る鐘の音(ね)

〜遠い国から〜のところで、マイナーからメジャーに 変わるところが好きだ。そしてすぐにマイナーに戻る。 ややロシアっぽいムードでボニー・ジャックスが歌うバージョンがいい。


2020.6.29 『♪一人の手 (好きな歌シリーズ13)』
1960年代、アメリカのトピカル・ソング(Topical Song)雑誌「ブロードサイド」に発表されたもの。 イギリスの春の復活祭の日に行われる平和行進のために、いくつか創作した中の1つで、アメリカのピート・シーガーが作曲。 日本では、本田路津子 が訳し、自らが歌った。勇気が出る曲だ。

♪ひとりの小さな手 何もできないけど
それでも みんなの手と手をあわせれば
何かできる 何かできる

ひとりの小さな目  何も見えないけど
それでも  みんなの瞳でみつめれば
何か見える  何か見える

ひとりの小さな声  何も言えないけど
それでも  みんなの声が集まれば
何か言える  何か言える

ひとりで歩く道  遠くてつらいけど
それでも  みんなのあしぶみ響かせば
楽しくなる  長い道も

ひとりの人間は  とても弱いけれど
それでも  みんながみんなが集まれば
強くなれる  強くなれる

それでも  みんながみんなが集まれば
強くなれる  強くなれる

今は“個”の時代、そして“密”を避けなければならないが、人は独りでは弱いもの、だからみんなが力を合わせようよ、 という、生活の本質をうたっているのだ。


2020.6.28 『♪思い出の渚 (好きな歌シリーズ12』
1966年11月5日発売、 ザ・ワイルドワンズ が歌った。島塚繁樹作詞・加瀬邦彦作曲。何と100万枚以上が売れた。加瀬邦彦の12弦ギターがカッコ良かった。 12弦ギターを弾きたかったが、買うお金が無かった。20歳を過ぎて、友人の12弦ギターを弾いた時はしびれた。

♪君を見つけた この渚に
ひとりたたずみ 想い出す
小麦色した 可愛いほほ
忘れはしない いつまでも
水面(みなも)走る 白い船
長い黒髪 風になびかせ
波に向かって 叫んで見ても
もう帰らない あの夏の日

・・・演奏・・・

長いまつげの 大きな瞳が
僕を見つめて うるんでた

このまま二人で 空の果てまで
飛んで行きたい 夜だった
波に向かって 叫んで見ても
もう帰らない あの夏の日

あの夏の日
あの夏の日

ギターコードは、循環コード(C-Am−Dm-G7)と弾きやすくて覚えやすいフレーズだ。


2020.6.27 『この広い野原いっぱい (好きな歌シリーズ11)』
作詞・小薗江圭子:作曲・森山 良子:唄・森山良子。森山良子の代表曲だ。 1967年(昭和42年)に発売された。森山良子が、 銀座の画廊に絵を観に行き、ある絵の前で立ち止まり、30分ほどで曲を書き上げた、という逸話がある。 最後のフレーズをハモると気持ちがいい。

この広い野原いっぱい 咲く花を
ひとつ残らず あなたにあげる
赤いリボンの 花束にして

この広い夜空いっぱい 咲く星を
ひとつ残らず あなたにあげる
虹に輝く ガラスに詰めて

 (半音上げる)

この広い海いっぱい 咲く船を
ひとつ残らず あなたにあげる
青い帆に イニシャル付けて

 (半音上げる)

この広い世界中の 何もかも
ひとつ残らず あなたにあげる
だから私に 手紙を書いて

手紙を書いて

歌っていると、1番は、北海道・富良野で見たラベンダー畑のイメージ、2番は、3100Mの剣岳山荘で見た手に届くような満点の星、 3番は、能登半島禄剛崎灯台で見た夕陽の海をイメージする。その香りも漂って来るような気分になる。


2020.6.26 『♪We Shall Over Come. (好きな歌シリーズ10)』
作詞・作曲 Zilphia Holton、米国のプロテスタント・ソングだ。 ジョン・バエズが歌った。日本では、『勝利を我らに』というタイトルで、上条恒彦、森山良子、高石ともや、小室等などが アルバムを出している。

We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome someday
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome someday

We are not alone
We are not alone
We are not alone today
chorus

We shall hand in hand
We shall hand in hand
We shall hand in hand someday
 chorus

The whole wide world around
The whole wide world around
The whole wide world
around someday
 chorus

We shall all be free
We shall all be free
We shall all be free someday
 chorus

We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome someday

Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome someday

We are not afraid
We are not afraid
We are not afraid today
 chorus

公民権運動や反戦運動の中で歌い継がれ、日本でも歌声運動や歌声喫茶でよく歌われた。


2020.6.25 『♪しあわせなら手をたたこう (好きな歌シリーズ9)』
原曲はスペイン民謡ともアメリカ民謡とも言われるが、たぶんスペインからアメリカに渡ったのでは、と思う。 英語名は、If You're Happy and You know It. となっている。 作詞・木村利人(早稲田大学人間科学部名誉教授)、木村が学生時代にフィリピンでボランティアをしていて、 日本に持ち帰り、 坂本九 が耳にして、いいなあということで、いずみたくが採譜、レコード化して全国に 広まったそうだ。
つどいでこの歌をみんなで歌うと盛り上がる。手をたたこうの他、笑いましょう、足鳴らそう、 肩たたこう、の他、ウィンクしよう、バンザ〜イ、投げキッス!、泣きましょう、首まわそう、 などいろいろな動作を交えて行うと、小さな子どもからおとしよりまで楽しめる。

幸せなら 手をたたこう
幸せなら 手をたたこう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 手をたたこう

幸せなら 足ならそう
幸せなら 足ならそう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 足ならそう

幸せなら 肩たたこう
幸せなら 肩たたこう
幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 肩たたこう

1965年春の選抜高校野球の入場行進曲として使われた。また、坂本九と縁(ゆかり)の有る、 茨城県笠間市にある常磐線友部駅の発車メロディになっている。


2020.6.24 『♪切手の無い贈り物 (好きな歌シリーズ8)』
作詞・作曲:財津和夫で発表されたこの楽曲、 小学校の卒業式な どでも歌われる歌だ。1977年に、NHKの『歌はともだち』で発表されたが、あまりの人気に、 『みんなのうた』でも放送された。

私からあなたへ
この歌をとどけよう
広い世界にたった一人の
わたしの好きなあなたへ

年老いたあなたへ
この歌をとどけよう
心やさしく育ててくれた
お礼がわりにこの歌を

夢のないあなたへ
この歌をとどけよう
愛することの喜びを知る
魔法じかけのこの歌を

知りあえたあなたに
この歌をとどけよう
今後よろしくお願いします
名刺がわりにこの歌を

別れゆくあなたに
この歌をとどけよう
寂しい時に歌ってほしい
遠い空からこの歌を

私からあなたへ
この歌をとどけよう
広い世界にたった一人の
わたしの好きなあなたへ

軽快なリズムは、何かに似てるなぁと思ったら、アメリカのYou are my sunshine.に曲のイメージが重なる。 実は作曲の財津和夫は、そんなイメージでみんなに歌ってもらいたい、という思いだったそうだ。 アフタービートの手拍子を取りながら歌うと、気持ちがいい。筆者は、“つどい”のフィナーレでよく使う。 いいリズムと歌詞で、歌い終わったあと、心に余韻が残る曲だ。


2020.6.23 『♪風 (好きな歌シリーズ7)』
1969年(昭和44年)端田宣彦とシューベルツが大ヒットさせた曲だ。作詞・北山修、作曲・端田宣彦。 ギターを弾いて歌っているだけで、熱くなって来る応援歌的な存在だ。暗譜して、大きな声で歌った。(今でも歌っている)

人は誰もただ一人 旅に出て
人は誰も故郷(ふるさと)を 振り返る
ちょっぴり寂しくて 振り返っても
そこにはただ風が 吹いているだけ

人は誰も人生に つまずいて
人は誰も夢破れ 振り返る

プラタナスの枯れ葉舞う 冬の道で
プラタナスの散る音に 振り返る
帰っておいでよと 振り返っても
そこにはただ風が 吹いているだけ

人は誰も恋をした 切なさに
人は誰も耐え切れず 振り返る

………口笛………

何かを求めて 振り返っても
そこにはただ風が 吹いているだけ

振り返らずただ一人 一歩ずつ
振り返らず泣かないで 歩くんだ

何かを求めて 振り返っても
そこにはただ風が 吹いているだけ
吹いているだけ 吹いているだけ
吹いているだけ

高校生の頃、入学記念に母から買ってもらった安いクラシックギター(フォークギターは、高価で買えなかった) でジャカジャカ弾いたのを思い出す。恋の切なさなんて、まだまだ縁が無かった時代だ。


2020年6月 しばらくは、好きな歌シリーズです
コロナ禍、米国の人種差別、北朝鮮の罵詈雑言、前代未聞の夫婦で選挙違反事件、国のリーダーたちの覇権争い、 電話詐欺で高齢者を騙す、相次ぐ自殺者……。世の中暗いニュースが溢れている。一方、人々の幸せを願い、 今できる行動を起こす人もまた多いのだが、悪いニュースの報道が目につく。
そんな事柄にいちいち反応するのが面倒になった。3月から6月中旬までは、コロナ禍に関する話材を拾って続けて来た。 しかし、これも疲れて来た。
だったらもっと楽しいことや心に残ることを考えようと思った。 筆者の好きな歌の歌詞とその歌にまつわる思い出などをしばらく書いて行こうと思う。


2020.6.22 『♪遠くへ行きたい(好きな歌シリーズ6) 』
1961年(昭和36年)六八コンビこと、永六輔作詞・中村八大作曲で、NHKのバラエティ番組『夢で逢いましょう』で、 ジェリー藤尾が歌った。 抒情的ないい歌だ。当時は旅をする、なんて今のように気軽に行ける時代では無かった。 この番組、この歌を期に、地方を旅する文化が広まったという。

知らない町を歩いてみたい
どこか遠くへ行きたい

知らない海を眺めていたい
どこか遠くへ行きたい

遠い街遠い海
夢はるか一人旅

愛する人と巡り合いたい
どこか遠くへ行きたい

愛し合い信じ合い
いつの日か幸せを

愛する人と巡り合いたい
どこか遠くへ行きたい

歌っていると、不思議に、今まで行ったことが無い、初めての土地を歩いているような気分になる曲だ。 筆者は日本一周ひとり旅を経験したが、予めコースを決めたり、観光地を調べたりしない、行き当たりばったりの旅だった。 あちこちで、この歌が脳裏をかすめた。愛する人には巡り合わなかったが…。


2020.6.21 『♪旅の宿 (好きな歌シリーズ5)』
岡本おさみ作詞、吉田拓郎が作曲してうたったこの曲、あのフォークハモニカが好きになり、 近所の楽器やさんへ行ってハモニカとフォルダーを買った。高校時代だった。マネして吹いた。 なかなかサマになるな、と自分でも感心した。
1972年(昭和47年)オリコンで1位になった。 歌詞の意味については、高校生だった筆者には理解できなかったが、いい歌だと思った。

浴衣の君は すすきの簪
熱燗徳利の 首つまんで
もういっぱい いかがなんて
みょうに色っぽいね

ぼくはぼくで あぐらをかいて
きみの頬と耳は まっかっか
ああ風流だなんて
ひとつはいくでも ひねって

部屋の灯りを すっかり消して
風呂あがりの髪 いい香り
上弦の月だったっけ
ひさしぶりだね 月見るなんて

ぼくはすっかり 酔っちまって
きみの膝枕に うっとり
もう飲みすぎちまって
君を抱く気にも なれないみたい




2020.6.20 『♪かあさんのうた (好きな歌シリーズ4)』
この歌を歌うと、昨年4月、89歳で亡くなったおふくろのことを思い出す。 そして、少年時代過ごした田舎の、土間が有って、味噌蔵があって、囲炉裏があった昔の家の情景が浮かぶ。 高齢者のつどいでよく歌うが、その都度声が震えて来るのがわかる。一緒に歌う参加者の皆さんもそのようだ。 母の存在は大きい。

♪母さんが夜なべをして
 手袋編んでくれた
 木枯し吹いちゃ冷たかろうて
 せっせと編んだだよ
 ふるさとの便りは届く
 囲炉裏の匂いがした

 母さんのあかぎれ痛い
 なま味噌を擦り込む
 根雪も融けりゃ もうすぐ春だで
 畑が待ってるよ
 小川のせせらぎが聞こえる
 懐かしさがしみとおる

 母さんは麻糸紡ぐ
 一日紡ぐ
 おとうは土間で 藁打ち仕事
 おまえも頑張れよ
 故郷の冬は寂しい
 せめてラジオ聴かせたい

窪田聡作詞・作曲で1954年(昭和29年)埼玉県でうたごえ運動の中心として活躍していた頃の作品だ。


2020.6.19 『♪友よ(好きな歌シリーズ3)』
岡林信康 がうたうこの作詞・作曲のこの歌、1968年(昭和43年)に発表された反戦フォークソング。 コンサートでは、最後に全員でよく歌われた。筆者もよく歌った曲で、今でも歌うと身体が熱くなる。 自然にギターのピックにも力が入る。

♪友よ 夜明け前の闇の中で
 友よ 戦いの炎を燃やせ
 夜明けは近い 夜明けは近い

 友よこの闇の向こうには
 友よ輝く明日がある

 友よ 昇り来る朝日の中で
 友よ 喜びを分かち合おう
 夜明けは近い 夜明けは近い
 友よこの闇の向こうには
 友よ輝く明日がある

 友よ 君の涙君の汗が
 友よ報われるその日が来る
 夜明けは近い 夜明けは近い

 友よこの闇の向こうには
 友よ輝く明日がある



2020.6.18 『♪さとうきび畑 (好きな歌シリーズ2)』
寺島尚彦作詞・作曲、森山良子 がうたった。2002年、レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しているが、レコーディングは、 1969年(昭和44年)に行っている。この曲に込められた沖縄の悲惨さを30年間封印していたのだそうだ。 2003年(平成15年)には、この歌をモチーフにした さとうきび畑の歌が明石家さんま主演でTBSテレビで放映され、 文化庁芸術祭大賞を授賞、テレビの視聴率は、32.2パーセントを記録した。
11番まである。

♪ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 今日も見渡すかぎりに
 みどりの波がうねる
 夏の陽ざしのなかで

 ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 昔海のむこうから
 いくさがやってきた
 夏の陽ざしのなかで

 ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 あの日鉄の雨にうたれ
 父は死んでいった
 夏の陽ざしのなかで

 ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 そして私の生まれた日に
 いくさの終りがきた
 夏の陽ざしのなかで

 ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 風の音にとぎれて消える
 母の子守(こもり)の歌
 夏の陽ざしのなかで

   ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 知らないはずの父の手に
 だかれた夢を見た
 夏の陽ざしのなかで

 ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 父の声をさがしながら
 たどる畑の道
 夏の陽ざしのなかで

 ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 お父さんて呼んでみたい
 お父さんどこにいるの
 このままみどりの波に
 おぼれてしまいそう
 夏の陽ざしのなかで

 ざわわ ざわわ ざわわ
 けれどさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ
 今日も見渡すかぎりに
 みどりの波がうねる
 夏の陽ざしのなかで

 ざわわ ざわわ ざわわ
 忘れられない悲しみが
 ざわわ ざわわ ざわわ
 波のように押しよせる
 風よ悲しみの歌を
 海に返してほしい
 夏の陽ざしのなかで

 ざわわ ざわわ ざわわ
 風に涙はかわいても
 ざわわ ざわわ ざわわ
 この悲しみは消えない



2020.6.17 『♪上を向いて歩こう (好きな歌シリーズ1)』
作詞:永六輔、作曲:中村八大

♪上を向いて歩こう
 涙がこぼれないように
 思い出す 春の日
 一人ぽっちの夜

 上を向いて歩こう
 にじんだ星をかぞえて
 思い出す 夏の日
 一人ぽっちの夜

 幸せは雲の上に
 幸せは空の上に

♪上を向いて歩こう
 涙がこぼれないように
 泣きながら歩く
 一人ぽっちの夜

 思い出す 秋の日
 一人ぽっちの夜

 悲しみは星のかげに
 悲しみは月のかげに

 上を向いて歩こう
 涙がこぼれないように
 泣きながら歩く
 一人ぽっちの夜
 一人ぽっちの夜

 上を向いて歩こう……

 1963年6月15日、アメリカのビルボードで「スキヤキ」というタイトルで全米NO1となった。
 東日本大震災の時には多くの人たちに歌い継がれた名曲だ。



2020.6.16 『イージスアショア計画の停止』
河野防衛相は、秋田と山口に設置を計画していた、陸上のイージスアショアの配置を事実上計画の中止と発表した。 その理由は、打ち上げ時のブースターを回収することが難しくなったとの判断だという。 計画そのものは、米国から、貿易摩擦へのレジスタンスを回避するために、買わされた兵器なのだから、日本が差し迫って必要というものでは 無かった。このような結論になることも想定したリスク管理がお役人に無く、地元の説明では、例によって“安全”、“安全”を繰り返すだけの 住民を騙す作戦だった。秋田の説明会では、防衛省の担当者が居眠りしているのを指摘されて紛糾。説得の資料にある、設置場所と対面の山の仰角に、誤りがあるのを指摘されるという、防衛省側のいい加減さが露呈した。何でも政府やお役人の言いなりになることはならぬ、という地元の勝利だ。 しかし、ここまで掛かった費用や時間のロスは誰が責任をとるのだろう。言い任せの理由で計画を停止することを、もっと検証すべきだろう。


2020.6.15 『融和よりも敵対視』
一国のリーダーという人は、国民の幸せの実現を望み、そのための努力をし、国民が「この国に生まれて生きて良かった」 と思う施政をするものだろう。 ところが、アメリカの大統領は、国民の分断を仕掛け、自分に反論する国民を弾圧し、気に入らないスタッフを次々に左遷し、他国に対しては、 喧嘩ばかり売り、優位に立つ事案で相手国を挑発、殴り込みをかける。興味が無くなればサッと身を引き、一切の関心を示さない。 全体の調和より、自分の利益優先。その根底にあるのは、すべて自己保身、自己の権力保持だ。何と、政治家に有ってはならない 取引主義の政策しか無い。 大統領選挙が秋に控えているが、米国民は、再びこのリーダーを利害関係で選ぶのだろうか?世界秩序に影響を与えることが無いよう、 期待したいのだが。

2020.6.14 『にたまごわやさしいよ』
に=肉、た?卵、ま=豆製品、ご=ごま、わ=海藻類、や=野菜、さ=魚介類、し=きのこ類、い=芋、よ=ヨーグルト.チーズ、の頭文字 をつないだもの。身体をつくる栄養素をバランスよく食べ、健康で病魔に侵されにくい生活になるための食生活に必要な食材だ。 最近は、サプリメントや健康食品が多く発売されているが、何はさておいても自然食品をバランスよく食べることには叶わない。 ひとつの栄養素が満足しても欠落している栄養素が気になる。サプリメントなどで補っても、一過性のものだし、第一お金がかかる。 中には副作用が有るかもしれない。自然食品であっても、農薬漬けだったりする。 友人が、キャベツ畑で朝早く、農家の人が、「消毒を振りかけているのを見たら、食べる気がしなくなった」、と言っていた。 そう、スーパーで売っているきれいな野菜は、見栄えを良くするために消毒をばっちりやっていたり、ワックスを塗ったりしている。 こういったことを、きちんと吟味できる消費者でありたい。


2020.6.13 『栄養素』
DHA&EPA=脳や目にいい、魚に多く含まれる。コラーゲン=なめらかな関節、しなやかな欠陥づくりにいい、鶏手羽や牛スジなど。 セラミド=肌を若々しく保つ、とうもろこしや蒟蒻など。イソフラボン=若々しさや美しさを保つ、納豆などの豆類。必須アミノ酸=筋肉などをつくる、卵やいわし。 ルテイン=目の健康維持、ほうれん草やアボガド。ビタミンD=カルシウムの吸収にいい、干しシイタケやきくらげ。カリウム=熱中症対策にいい、海藻類。
などなど、さまざまな栄養素が必要なことが新聞・テレビ・ラジオ・ネットで過大に広告される。そのどれもが、サプリメントの広告に 繋がる。初回格安、数か月後から結構な金額が必要になる。体が必要としているのは、単体で効果が有る薬効的なものではなく、 バランスの良い食事、休養、生活リズム、睡眠、運動。これが有って健康な身体がつくられることだ。筆者はサプリメントは一切使わないことにしている。


2020.6.12 『梅雨入り』
関東地方が梅雨入りとなった。このところ雨が降らないので、菜園がカラッカラになっていて、朝の水やりが大変だった。 やっと雨が降って、野菜たちが生き返った感じだ。この雨が続くと、勝手なもので、早く晴れてくれないかな、と思ってしまう。 要は最近の極端な気象の変化ではなく、バランスの取れた晴〜雨の繰り返し、風のある日と無い日の繰り返し、 暑い日の次は涼しい日の繰り返し、そのバランスが 上手く保たれればいいのだ。湿度が高くてうっとおしい梅雨も、無いと年間の自然現象のバランスが悪くなってしまう。 うっとおしいばかりではなく、紫陽花の花が美しいし、野鳥たちも恋の季節を伸び伸びと楽しんでいる。畑の野菜たちは、梅雨が明けるとおいしい夏野菜を結実させて食卓を賑わせてくれる。


2020.6.11 『歌う』
毎日、定刻を決めて40分くらいギターを弾きながら歌う。カラオケはあまり好きではないが、歌うことは好きだ。抒情化、童謡、 フォークソング、ちょっと古い流行歌など、今までに貯め込んだ楽譜が、おそらく千曲は超えるだろう。 地域のつどい、障がい者の集い、高齢者の集い、など、お呼びがあればギター片手に足軽く出かける。ときどきは、シニアの生き方 講演会や、ボランティア講演会などに持って行って、みんなで歌ったり型破りな講演会を進行する。訴えたいことが伝われば、 中身は楽しいほうが良い、という考えだ。ところが、最近はギターを持つ機会が無いのだ。 久々にやったら、左手の親指が痛い。1週間ほどで少し慣れた。声もあまり出していなかったから、微妙にフラット。 世の中、今大きな声をマスク無しで出すことはご法度。自室で大きな声は平気だから、自己満足の世界がつくれる。 昔の歌は、詞もメロディーも良い。


2020.6.10 『時の記念日』
今日は「時の記念日」だ。今から100年前に制定されたそうだ。その頃の日本は、時間にはアバウトで、いい加減な管理が普通だったらしい。 日本の時間管理の精度は世界に誇るものだが、今からすれば信じられない話だ。 "いい加減"というのは筆者は好きで、その匙加減で生きるのがおもしろい人生だと信じて疑わない。 余談はともかくとして、1920年(大正9年)、もっと欧米のように効率的で文化的な社会をつくろう、ということで決められたのだそうだ。 6月10日になった理由は、何と1349年の日本書記まで遡り、水時計を使って時間管理を始めたのが6月10日だという。(ここまでは、 朝日新聞小学生版から転載)
時間はたいせつ、1年は誰でも8760時間の時間の流れ、仮に平均寿命84歳として、約74万時間を持っている。この時間をどう過ごし、 どう生きるかが、その人の価値となる。無駄な時間が有る、有意義な時間がある、悲しくて消し去りたい時間がある、この時間をもっと 永くして欲しい時間がある、生み出す時間もある、なかなか進まない時間も有る。時の記念日は、時間について考えたい。


2020.6.9 『中村哲さんのうた』
筆者の好きなシンガーソングライター、さだまさしさんが、新しいアルバム 存在理由をつくった。 この中に中村哲さんに捧げる歌が収録されている。さださんは、筆者と同じ年齢、その行動力と、 人を魅了する作詞・作曲に惹かれている。中村哲さんは、昨年12月にアフガニスタンで凶弾に倒れた医師だ。

戦に疲れ果てた 貧しい人たちには
診療所よりも 一筋の水路が欲しい
水が有ればきっと 人は生き返るだろう
諍い(いさかい)を止める 手立てに

さださんは、中村医師とは直接会ってはいないそうだが、 ペシャワール会という、日本の支援組織とは、 協働で写真展などを開催して来たという。
彼の楽曲は、抒情的で、静かに聴くのがいい。コンサート活動を多くしているが、歌う落語家の異名が有るくらい、話がおもしろい。彼の感性はいつも気になっている。


2020.6.8 『在宅勤務、見えない部分』
在宅勤務は、企業経営にとってメリットが有る、といった論調が多い。通勤時間が無い、家賃の削減や他の経費削減になる、などの効果は 理解できる。しかし、働く場所が家庭の中になったことで、家族の居る人にとっては、家の中に職場が入って来ることになる。 本人以外の家族との関係や行動様式に変化を求められるわけだ。家族模様も、夫婦2人だったり、赤ちゃんが居たり、介護する高齢者が居たり、 それぞれざまざまな状況がある。企業はそこまで考えて在宅勤務の制度を構築しているだろうか。中には、毎日昼食をつくらなければならなくなった 奥様、仕事中は静かにさせられている小さな子ども、おとしよりの居場所が無くなった人、いろいろな家庭側のデメリットもあるようだ。 コロナ禍で急激に変わった働き方、これから進化して行けばいいのだが。筆者はすでに定年の身だが、もし現役の時に在宅勤務だとしたら、 通勤片道90分の間に、好きなことができた貴重な時間が確保できない、もどかしさが残るだろう。


2020.6.7 『議事録が無い』
新型コロナウィルス対策の専門家会議議事録が詳細に書かれていない、ということで野党は吠えたが、現政権の常套手段が、ここでも発揮? された。臭いものには蓋、主義が2日後の今日になって、議事概要に発言者の明記をする、という具合に改まった。それでも、議事録ではなく、 議事概要で行く、という。社会から糾弾されてからでないと、本筋になれないのか、と怒りがこみあげる。専門家会議のメンバーは、 名前を出してもいいですよ、と言っているにも関わらず、官房長官は、自由闊達に発言してもらうため、発言者を明記していない、 との発言。名前を出されて都合が悪いのは官邸じゃないの?有識者会議のアドバイスは、総理も、それをもとに政策に直結させているのだから、 議事録が無いほうがおかしい。


2020.6.6 『ペンキ塗りたて』
「ペンキ塗り立て」の表示や看板を見かけることが有る。ここは誰も触らないで避けて通る。内科医の真鍋葉子さんが実践し、提案するのが、 ウィルスをペンキになぞらえて考える方法。 なるほど、と感心する説をNHKラジオで紹介していた。今までどんな大学の先生やら、大臣やら首長が説明しても理解しにくかったことが、 すんなりと頭に入って来た。子どもたちにも紹介すべきだ。外を歩いたらどこも“ペンキ塗り立て”の世界。もし触ってしまったら、 手や衣服などにペンキがべったり付いてしまう。電車のつり革、飲食店の座席、公園の遊具、触ってしまったら付いてしまう。 その付いた手で、口や鼻や目を触ったらそこにも付いてしまう。家に帰ってドアのノブに触ったら付いてしまう。そのまま家に入ったら、 あちこちにペンキが付いてしまうので、玄関でシャットアウトしなくては。と、こういう考え方で生活して行くと、 感染を防げるというもの。このペンキが付かないようにすること、付いてもそれを拡散させないこと、生活空間に持ち込まないバリアをつくることが大事。よ〜〜くわかった。


2020.6.5 『やっと、マスク』
もう必要なくなったマスクが今日我が家に届いた。郵便局に先日行ったら、マスク寄付箱というのが置いてあった。この2枚のガーゼマスク、 不要だったらここに寄付して、という意味だろう。外ではほとんどの人が手製マスクらしきものを着用している。ホームセンターに行ったら、 ドサっと積んで有って、投げ売り状態。市場は飽和しているようだ。「スピード感を持って」などと口先では言うが、ちっともスピード感 なんてありゃしない。GOTOキャンペーンとやら、まともな入札なんか無し、随意契約とやらで、手数料を荒稼ぎする業者が取り巻く。野党が 問題視しているが、追及などできるのか、疑問だ。とにかく、様々な施策をやってくれるが、どこか張りつめた空気間が無いままに、 金が流れて行くような印象だ。さ〜て、今日届いたマスク、どうしよう?


2020.6.4 『湯水の如く』
さまざまな給付金が出る。国民ひとりあたり10万円も。総額はいくらになるんだろう。お金は湯水の如く湧いて来るものではないから、 国は借金して賄うことになる。将来の税金を充てるわけだ。しかし、今後の税収など期待できない。国債を発行しても、それは国民からの 借金だ。数兆円単位で使っているから千億や2千億など目でも無いような論調と施策が出て来る。今電通に仕事を発注するのに、 電通がつくった子会社に発注して、仕事は親会社の電通に行く、入札ではなく、随意契約で、なんて訳がわからないくらい、 金銭感覚がマヒしている。ぜ〜〜んぶ借金での話。やがてこれから国を担う若い人たちに重荷となって、のしかかって来る。 年金などで無いかもしれない。東日本大震災の復興基金として税金が取られているが、たぶん、コロナ税が近いうちに課税されるに違いない。 お役人は政府は、後始末のことをじっくり考えて借財計画を立てて欲しい。


2020.6.3 『差別・格差』
歯が痛いんだけど、感染が怖いから我慢している、という人が居た。歯科医院は十分な感染対策をしている、と信じて通院したほうが いいのではないかと思うが、こういった些細なことを気にして差別が生じそうだ。感染した人の素性を明らかにしないのも、 こういった点に配慮してのことだろう。神奈川県知事が、警戒宣言緩和にあたって、神奈川県が埼玉や千葉に迷惑をかけている、 とツイッターに投稿して賛否両論が有ったが、これも小さな格差だ。市内から感染者が出る。「どこの誰?」と気になる。 知りたいのが人情だろうが、知ることよりも、感染拡大しない策を周囲に講じることのほうが先だ。アメリカでは、 コロナ感染が格差や差別の原因にもなっている。暴動が起きていることを大統領自ら差別的な対応をする、許されないリーダーだ。米国の伝説的バスケットボールプレイヤーのカリーム・アブドゥル・ジャバーは、「差別はホコリ、 光を当てると、辺り一面に有る」と言っている。コロナウィルスよりも感染力は有りはしないか。


2020.6.2 『やるじゃない、自衛隊』
5月29日の日中、天気は快晴。都心の病院上空を、航空自衛隊のブルーインパルスの戦闘機6機が、白煙を吐きながら飛んだ というニュース。自衛隊もなかなか粋なことをするもんだ、と思った。事前にあまり広報されていなかった。しかし、 病院職員たちは建物の屋上で待ち構え、手を振ったり、スマホで写真を撮たりして大歓迎していた。たぶん病院側には事前通告はしても、 一般には、“密集”を避けるために、広報しなかったのだろう。このパフォーマンス、自衛隊の粋な行動に拍手を送りたい。 おそらく、コロナ患者のケアで疲弊した医療系、福祉系の従事者にに、ひとときの感動を与えたことだろう。 こうやって、自分ができることで貢献し、人々がみんな繋がっている、ということが大切なことなのだ。


2020.6.1 『頑張らなくてもいい』
医師で作家の鎌田実さんと、アナウンサーの村上信夫さんがトークを繰り広げる 日曜は頑張らない、文化放送で日曜の朝6時20分から放送している。 朝のウォーキングで聞くが、肩の凝らないトークが売り物だ。何でもかんでも、「がんばれ〜」とか「頑張って〜」と言われていつも 頑張っているのだけれど、たまには一息入れて、頑張らない日も有ってもいいんじゃない?というタッチのトークが繰り広げられる。 時には、頑張れ!と言われたくない日もある。言われる立場が、「こんなに頑張っているのに、もう頑張れない」と思える時がある。 筆者は、フルマラソンのゴール直前のシーンを思い浮かべる。29回完走して、もう1回走ったら辞めよう、というときに 足を壊してしまい、リタイア。ゴール寸前は、体力を使い果たし、頑張る気力も無くなり、精神力のみ。この時は「がんばれ〜」 という声援よりも、黙って拍手されたほうが有難い。ちょうど今、命をかけてコロナ患者をケアする医療従事者に対して、「頑張って」というよりもみんなで拍手を送ることに似ている。


2020.5.31 『麦秋』
植えたばかりの早苗の田んぼと、黄金色の麦畑のコントラストがなんとも言えないハイライトだ。麦秋とも言い、夏の季語になっている。 “むぎあき”とも読むそうだ。毎日のサイクリングコースは川の堤防だが、そこから見える景色目にとまった。普段だったら何気なく 通り過ぎる景色も、引き籠り生活の反動からか、目に優しく飛び込んで来る。この麦を刈ったあと、田んぼにする二毛作農家も有るという。 近づいて穂の形を見ると、あのビールの缶に描かれた、原料の麦のフェイスだ。稲を植えたばかりの春景色と、黄金色の秋景色が 一緒になった優しい風景だ。

麦秋の風景です

麦秋の風景です




2020.5.30 『非接触型ビジネス』
コロナ禍でもビジネスの新しい分野を求めて、企業は努力している。ピンチはチャンスとばかり、新しい生活様式に合わせた新製品、 続々と登場している。道の駅などでは、店舗に客が出入りするのではなく、ドライブスルーで特産品を購入できるところが有る、 商品は店側が2千円セット、3千円セットなどを予め詰め込み、ドライブスルーで受け取る仕組みだ。決済はスマホで、という具合。 モデルハウスの見学が専用のタブレットでできるようにした住宅メーカー。タブレットは貸出だそうだ。葬儀屋さんが、 葬式の模様をネットで中継する、こちらはちょっと寂しいが、感染の心配は無い。香典は電子決済を導入の予定だそうだ。 アフターコロナやウィズコロナでは、非接触が最優先、まだまださまざまな商品が登場することだろう。 でも、対面式の温もりが無くなるのは寂しい限りだ。


2020.5.29 『新しいSTAY 』
山田養蜂場が28日の朝刊に出した広告が目に留まった。STAY HOMEは聞きなれたことばだが、“我慢” の象徴のような横文字になってしまった。 ところが、5つのSTAYというタイトルで書かれていることが、 とても斬新で優しい表現だった。これなら受け入れられる、と思わせる広告、 一気に山田養蜂場のイメージが上がった。

1.Stay Healthy :体力・免疫力を保とう
2.Stay Positive :ポジティブな気持ちで居よう
3.Stay Connected:つながりを保とう
4.Stay Thankful :感謝の気持ちを忘れずに
5.Stay Focused :大事なことは考え続けよう

なるほど、コロナ禍で、ぎすぎすしていた気持ちの中にも、もともと有ったものをあぶり出してくれた、という感想だ。 コピーライターはいろいろことばを探し出して、この5つをつくったに違いない。広告主の山田養蜂場だからこそ、 こういった広告を出せたのだろうと思う。5つのStayは、2番目に有るポジティブな気持ちに溢れている。 軽い形容詞だけ並べてペラペラ喋る総理の記者会見よりも、よほど心に響く。


2020.5.28 『新しい生活様式』
盛んに言われる、新しい生活様式。確かに、今年の2月までの生活様式は大きく変わった。これが、コロナが収束しても、元通りには 戻らないだろう、というのが社会の見方だ。日本だけでなく、各国でもその様式が定着して行くだろうと予測されている。 いわゆる、3密を避けた暮らし、ということになる。買い物は電子マネーが普通になるだろう、なるべくエレベーターを使わないで 階段で上りおり、公共交通機関の混雑を避けて徒歩や自転車を活用、握手やハイタッチなどを少なくする、列に並ぶときは前後を空ける、 仕事はテレワークで、などなど今までの暮らしは否定しないが、コロナ禍での経験を生かしたマイナーチェンジだ。 マスクなどは、まだ暑く無い時には関係なかったが、これから暑くなった時の熱中症が課題だ。換気も、夏のエアコンを点けての換気は、 熱風を部屋に入れることになる。いろいろ課題は多いが、まずは、感染予防は継続しながらも、自粛生活で忘れかけていた普通の暮らしに 慣れるリハビリが必要だ。


2020.5.27 『執念のマスク』
鼻がはみ出そうなガーゼのマスク、安倍総理と秘書官のみが未だにこのマスクを着用している。おそらく、国民全体にアベノマスクが 行きわたるまでやり続けることだろう。全国民に2枚のマスク、決めた時にはマスクが買えなくてドラッグストアには長い行列が できていた。いきなりの2枚配布の話を、彼は美談めいた、形容詞の多い会見で述べた。何と配り始めてすぐに、汚れや髪の毛の 付着が問題になり、製造費と送料で433億円をかけたのが、つまづいた。。配ってからの苦情で、全品検査を実施、緊急事態宣言 が解除になった今もまだ配られていない。検査に12億の出費だという。もういいよ、という声が大きくなっても、あきらめない。 今やめれば郵送料がかからずに済むのに。 いったん出した政策を覆す総理に、国民はもう信頼感など微塵も無い。今度は、十分足りているのに、米国から人工呼吸器を 1000台買う約束をトランプ大統領と交わしてしまった。孤高の総理は今度はアメリカを向きだした。何を考えているかわからん!


2020.5.26 『場の雰囲気』
オンライン〇〇、無観客〇〇、テレワーク、遠隔授業などなど、日常の行為が行えず、それを補完するものとして、さまざまに登場している。 しかし、あくまでも補完であって、本来は人が集って何かを成し遂げる、というものだ。 機能的には満足しても、“場の雰囲気”というものがある。サッカーの試合、ファンが集い、知らない人と仲間意識を感じ、 会場の風やにおいを感じ、みんなでジャンプし、ウェーブをつくり、勝ったら応援する仲間で喜び、勝利の歌をうたう。こういった 場の雰囲気というものが良くて、人々は会場に足を運ぶ。新しい生活様式、などと軽く言っているが、それは大切なことだが、 そう簡単にそんな生活に満足できるわけが無い。もちろん、変わる部分もあるかもしれない。しかし、人は人と会って、 手を取り合って、信頼し合って、共に同じゴールを目指して生きて行く動物だ。コロナに感染しない方策はもちろん必要だが、 人間が幸せになるための、人間しかできない行為の魅力までは失いたくない。緊急事態宣言の解除で徐々に場の雰囲気も戻って くれることを期待したい。


2020.5.25 『Stay Home』
ステイホームが長く続いている。家の中にはテレワークをするおとうさん、学校が休校の子どもたち、(同居している人は)おじいちゃんや おばあちゃん、主婦のおかあさん(というより、最近はおかあさんも働いている)、みんなが家の中に居る。 ラジオ放送で、ある主婦の方が言っていた。「家の中、みんなストレスだらけ、大変です。ステイ・ホームの名目のもと、会社は家に 仕事の場を求め、文部科学省は学校ですることを家に求め、デイサービスは家でのケアを求め、家の中で何でもやらなければなりません。 食費が大変です」なるほど、言っていることがわかる。コロナの感染防止のために、すべてホームにその対応を求められたって、 それぞれの家庭の事情が有るから、困ってしまう。
韓国ではステイホームと同時に、家庭で必要な食品・医薬品・生活雑貨などが一つの段ボールで全戸に届けられたという。韓国の コロナ対策責任者は、女性の方だからできたのではないか、という見方だ。日本のコロナ対策の責任者は、そんなことも思いつかないで、 いまだに配れない、タイミング遅れのマスクを配布しよう、なんてことを考えてお茶を濁しているのだろう。情けない…。


2020.5.24 『コロナ悪だくらみ』
あの手この手の電話詐欺、その時の時代背景を巧みに操る犯人ら。10万円の支給を口実に預金額や銀行口座を聞き出す。 アポ電話がかかり、別のなりすまし犯人が受け子として登場、警察がどんなに注意喚起しても犯罪の餌食になる人が減らない。 電話詐欺の他、アルコールの偽装販売、ネットオークションで品薄の商品を高額で売りつける。マスクに次ぎ、アルコールも オークションアイテムには出せなくなった。この際の金儲けを考える輩には、人の弱みに付け込んで金儲けする、ほんとうに 憤りを感じる。ネットのメールにもフィッシング詐欺系のものがみられる。銀行を装って、システムが変わるからこのページを 見て下さい、といってクリックさせる。相手のアドレスを見れば、正式なカンパニーアドレスでないことがわかるが、 クリックしてしまったら、さあ大変なことになる。


2020.5.23 『気の緩み』
“ちょっとした気の緩みが感染拡大に繋がってしまいます”、“休日後の気の緩みがデータに現れました”、“第2波を避けるため、 気の緩みが出ないように”、などと西村経済産業大臣、小池都知事が会見で発言する。筆者はそんなに感じていないが、 ネットの間では、このことばは“上から目線だ”という批判が多いらしい。政治家たちはいつも上から目線で話しかけて来る、 と嫌悪感を持っている人たちには、そう響くのではないだろうか。 確かに、政治家たちは大きな視野で物事を見ている(全員が必ずしもそうでは無い…のは言える)つもりだろうから、 一井の人間たちのことは目線を下にしているのは違い無いことだが。前の文部科学大臣が何人か引き連れて、NPO団体を視察した 時の態度や言動が上から目線だった、とNPO職員から投稿され、謝ったことが有った。発言する前に、自分がその発言を 聴く立場だったら、どう感じるか、その痛みがわかる人が、ほんとうの政治家なのだろう。衆議院・参議院併せて713人のうち、 国民に寄り添ってくれる議員は何人いるのだろう。選挙で買収容疑で捜査中の広島の議員夫妻は、気の緩みがそうさせてしまった 次元が違う事例だ。おそまつ。


2020.5.22 『次回の朝ドラ11月開始』
NHKの朝ドラエール、作曲家の古関裕而さんモデルのドラマだ。今、 その作曲家人生のスタートにあたって、重要な局面だ。早稲田大学の応援歌ができるかできないか、ハラハラしてみていたら、今朝出来た!。 コロナの犠牲になってしまった志村けんさんも、数回大きな役どころで出演している。このドラマ、コロナ禍で撮影が予定どおり進まず、 6月17日からしばらく、放映をお休みするという。朝ドラの他、日曜の大河ドラマ“麒麟が来る”も中休みだという。 ドラマもコロナの犠牲になってしまった。朝ドラや大河ドラマに関連する地域は、例年多くの観光客でにぎわい、活況を呈するが、 福島や岐阜も、豊橋も、観光客のためにいろいろ準備したことが、実現しないままでカレンダーだけが進んで行く。おそらく、 エール煎餅にエール饅頭、麒麟キーホルダーに麒麟Tシャツなどが、出番を待っている状況だろう。とりあえず、 エールの次の朝ドラは11月スタートが決まっているそうだが、それも確約できないもどかしさが関係者の間に有ることだろう。


2020.5.21 『何のためのマイナンバーカード?』
あきれてしまった。多くの自治体では、10万円の交付受付に、マイナンバーカードで申込をすると手間がかかり、コンピュータでの 受付を中止する、と発表した。えっ、えっ??????だ。コンピューターを使うから手間暇かからずに早く支給できるんじゃないの? どうやらシステムのまずさから、マイナンバーカードで請求されると、2重申請の確認や住民基本台帳との照合に、自治体の担当者が、 コンピューター申請は、チェックで余計な手間をいっぱい必要とし、申請書の郵送方式のほうが自治体側からは効率的で速い、 というのが理由らしい。
マスクを配ったと思ったら、検品のため、まだ配れない、10万円の支給を効率的にやろうと、マイナンバーカードを利用しようと思ったら、 システムのまずさで躓き、いったいどうなってんの?ニッポン、って感じだ。あり得ない、こういった措置に無駄なお金と時間を要し、 何がスピード感のある対応だっ!いかに現場を知らない官僚が進める雑な仕事か、が露呈してしまった。


2020.5.20 『マスクの形態いろいろ』
さまざまなニュースなどに出る会見の映像、特に県知事の着用しているマスクに注目している。このマスク、メッセージを込めて、 各県知事が工夫し、着用してるようだ。形、色、模様など、白地のマスクが画面にず〜っと出ている訳だから、メッセージボードとして 利用しない手はない。広報のセンスが有る人だったら考えるはずだ。今だもってガーゼの小さなマスクをしている総理は、自ら発案の、 まだ国民に届いていないマスクだから、意地でも着け続けるだろう。他の閣僚たちは誰も使っていない。小池都知事のマスクが着目 され、ネットでもさまざまにつぶやかれている。大きさが変わっても顔の印象を壊さない。色はその日のスーツやブラウスと コーディネートしている。マスクをおしゃれアイテム化している。宮城県の村井知事は、マスコットキャラクター“むすび丸”をさり気なく 入れて記者会見、これも県民や視聴者の話題に。山形県の吉村知事はサクランボマスク、沖縄の玉城知事は多彩な沖縄柄のマスク、 と各県知事のセンスが光る。そのくらいの遊び感覚を仕事に盛り込むことが出来、しっかりメッセージを伝える能力が、リーダーには必要だ。


2020.5.19 『スポーツの無観客試合』
大相撲、サッカー、野球、バスケットなどなど観客無しで試合を展開する。例えば、大相撲の3月場所、無観客で行われた取り組みを、 ラジオで聴いた。立ち合いをして力士の動きがどうなったかをアナウンサーが放送するが、臨場感に欠ける。アッという間に勝負が ついて、「えっ?もう終わったの」という感じ。力士が土俵に詰められた時の観客の「ウォ〜〜〜」というどよめきが聞こえない。 野球の試合もそうだった。球がキャッチャーのミットに収まった時の“パシ〜ン”という音、バットに玉が当たった“カキ〜ン”という 音は鋭いものだったが、球場の雰囲気がまったく無い放送は、物足りなかった。おそらく、選手たちも、なんか拍子抜けした気分だった に違いない。選手たちは、ファンの人たちに、直に華麗な技をパフォーマンスして感動して欲しい、と思っていることだろう。 相撲の夏場所は中止になった。プロ野球の開幕は目途が立っていない。スポーツ観戦の醍醐味は、単に勝った負けたではなく、 応援する観客同士の一体感、つながり、試合の流れの共有、会場で応援するからこその熱い気持ち、などが一体となって感動につながるのだ。 観戦を伴うスポーツの明日を描けない日々は、選手にとっても、ファンにとってもつらいものだ。


2020.5.18 『オンライン食事会』
新聞の投書欄に、ジジババが子どもや孫とオンライン食事会をしたのが、新鮮で良かった、との記事が有った。 なるほど、オンライン飲み会、オンライン夕食会、オンライン部活に、オンライン筋トレ、コロナ禍でなかったら、 こういった発想は出なかったに違いない。 我が家では5月5日の子どもの日、息子の孫の誕生日が近いこともあり、オンライン誕生会をやった。 ほんとうは、オンラインではなく、直に会って抱っこして誕生会をしたかったのだが、“自粛”とあいなった。
仕事が在宅勤務となり、それなりの成果が出せることがわかって、都心のオフィススペースを解約する企業が現れた。 オフィスフロアのコストは、都心の家賃が高いから、企業にとっては大きな負担になってしまう。 仕事でのオンライン、人と会ってやっていたことのオンライン、新しい生活様式は、そのまま定着して行くのだろうか。


2020.5.17 『引き締めるか緩めるか』
各国の対応がさまざまだ。しかし、言えることは時の権力者が自己保身に走って意思決定する場面が多いことだ。 アメリカが典型的な事例だ。大統領選挙をにらみ、有権者を惹きつけるための政策として、経済を立て直そうとする。 感染者が増えても、死者が増えても、国民のことを思わない、最低のリーダーだ。ロシアも中国も似たようなものだ。 権力基盤を揺るがさないように政策を調整する。わが国も東京都は7月に知事選挙があるので、それ的なパフォーマンス が見え隠れする。人気取りのために引き締めを緩めて、再度感染者が増えはしないか。韓国の収束後のクラスタ感染発生が まさにそうだ、このウィルスは、そうたやすく人間の欲望を満たすようなことは許さない、強敵だと思う。


2020.5.16 『スピード感』
「スピード感を持って実行してまいります」、「スピード感を要します」などと近頃の議員さんたちは軽く言うが、なかなかもって、 言うことと実行されていること、検討されていることにズレがある。あべのマスクなどは最たるもので、1世帯2枚のマスクを緊急に 各家庭に配布します、などと言いながら、納品されたマスクに不備が有り、いまだもって配られて居ない。おまけに検品に数億円の 出費増、手づくりマスクでもう十分、というステージになってしまった。ちっともスピード感なんてものじゃない。軽く言ってんじゃネ〜〜ヨ、だ。 10万円の支給、スピード感を持って実施、というのにマイナンバーカードでパソコンやスマホで早く配ろうとしても、肝心のシステム が良くなくて、自治体の手間が書類申請よりも大変、というお粗末さ、用意されたシステム側の問題で、マイナンバーカードの機能が 果たされていないノン・スピード感。おそらく、配る担当の自治体職員はストレス全開だろう。困ったスピード感だ。


2020.5.15 『オンライン飲み会』
居酒屋で口角泡を飛ばして飲み会を行う、無礼講の時間は何とも楽しいものだが、今はこれができない。 オンライン飲み会なるものが流行している。ネットを使ったオンラインミーティングを飲み会に応用したものだ。 参加者はそれぞれの自宅で好きな飲み物を持参する。ネットにつないでディスプレイに参加者の顔を映し出し、カンパ〜イ! 適度にダべリングしながら好みのアルコールを飲む。筆者はまだやったことが無いが、経験者に聞くと、幕引きの時間が 決めがたく、長々とやってしまう、という。そうか、店だったら閉店時間やラストオーダーがあるが、 自宅では閉店時間が無い。それだけ盛り上がれるのなら、いいコミュニケーションツールと言えそうだ。


2020.5.14 『オンライン手話通訳』
さまざまな会見や説明会などに欠かすことができない手話通訳者。聴覚に障がいが有る人への情報保障として必要だが、 通訳者の口の動きや表情も、情報として大きな役割を果たすそうだ。ところが、今はみんながマスクをしていて、通訳者もマスクを しなければならない。テレビなどでは、透明のフェースガードをしている通訳者が居る。このほど、東京都八王子市が、 オンライン通訳で、病院に通う聴覚障がい者の通訳を試行し始めたそうだ。感染予防のために、通訳者の自宅からオンラインで 通訳、従来はフェースツーフェースで行っていた仕組みをオンラインにすることで、 新たな仕組みを作ろうとしている。オンラインでのサービスの仕組み、もっともっと増えそうだ。


2020.5.13 『だ・し・い・り・た・ま・ご』
ネットには、さまざまな情報が溢れている。何がほんとうで、何がフェイクなのか、その真偽を確かめないと、鵜呑みにできない。 それをチェックするヒントが、外科医の山本健人さんが紹介する だ・し・い・り・た・ま・ごだ。

 だ: 誰が出した情報なのか
 し: 出展(エビデンス)はどこか
 い: いつ発信されたのか
 り: リプライ(それにたいするコメント)はあるか
 た: たたき(攻撃)情報でないか
 ま: まずは、いったん保留しよう
 ご: 公的情報を参考にする

この7つを冷静に考えるとフェイク情報なのかどうかを嗅ぎ取れる、というもの。なるほど、だ。
最近は、広告の閲覧回数を増やして広告収入を狙う“トレンドブログ”が検索トップにバンバン出て来て、情報の真偽が危うい。 ネット検索する時は、アドレスを確認して元情報なのかどうかをアドレスから類推して検索しなければならない。ちょいと面倒だが、 フェイクニュースから身を護るためには、仕方が無い。


2020.5.12 『行動習慣が変わった』
ソーシャルディスタンスが浸透して、店のレジに並ぶときは、自然に1Mほど離れて並んでいる。 時としてそのディスタンスに慣れていない人が割り込んだりする。筆者は2回経験した。その人に悪気は無いから、「並んでいますよ」 とやわらかく言った。レジの担当者と客の間には透明のフィルムが設置されている。場合によっては、レジ担当が透明の湾曲した フェースガードを付けている。小さな店だと、混雑時は“入店制限しています。おひとりが出られたら入店して下さい”と書いてある。 ラーメン屋さん、テーブル席でも向かい合って座れない。カウンター席も、客同士が離れるように、椅子に張り紙がしてある。 入店効率は悪いが仕方がない。ファミレス、クローズしていて入れない。店頭で従業員がお弁当を販売している。何から何まで 世の中変わってしまった。自粛解除の自治体が有るが、解除されても、この習慣はしばらく残るだろう。


2020.5.11 『ショッピングモール』
必要なものが有ったので。近くのIショッピングモールに出かけた。駐車場に入ったとたん、ガランとしていて車の数が少ない。 いつもの入り口の自動ドアが開かない。中の店は、入居する1階のスーパーと食料品店だけ開いていた。2階の専門店街はクローズ、 フードコートもクローズ。この1か月以上、こういったショッピングモールに出かけることが無かったが、多くの店舗の自粛を目の当たりに した。ニュースでは見聞きしてお店の死活問題となっていることや、家賃・従業員給与などで経営者が苦しんでいることを知ってはいたが、 自粛の延長がこれほどまでに、ショッキングな光景だとは、現実の厳しさを強く感じた。経営する人たちは、生きるか死ぬかの瀬戸際で 苦しんでいる。家にこもってストレスなど、まだいいほうなのだ。美辞麗句を並べて自粛の延長を軽い言葉で国民に伝える政府や、お役人さん、 この実態をわかっているのだろうか。


2020.5.10 『ニュース番組』
ニュース番組は、どこの放送でも、「本日の感染者数は○名、都道府県別には…」で始まる。コロナ一色のニュースばかりで、 どれも先行きの不安を煽るような悲観的なものばかりだ。それでなくても、STAY HOMEでストレスが溜まりっぱなし、非日常の流れを、 速く脱出したいと思っている身には、“もうコロナは聞きたくない”の思いだ。海外のメディアでは、コロナのニュースに挿入して、 息抜きの違った題材を流すところが増えて来た、ということで、昨夜のTBSテレビ、『情報7Days』ではおもしろいことをやっていた。 お天気キャスターの女性が、絵描き歌に挑戦、「皆さんやりましょう」というので、筆者もやってみた。簡単にできた、と思ったら、 それを上下さかさまにして下さいという。アララ、そしたら。コメンテーターのビートたけしさんの似顔絵になっていた。 みんながへとへとになっている時、こういうニュース番組も有ってもいい感じだ。

ビートたけしの似顔絵です




2020.5.9 『雨水』
空から落ちて来る水、この水、“もったいない、利用したい”といつも思っていた。駐車場の屋根に降った雨水だけでも集めてみよう、 と思って、ネットで雨水タンクを買った。1万円くらいの投資だ。どうやってこれを機能させようかといろいろ考え、やっと写真の ような場所に落ち着いた。一晩雨が降ると、わずか車2台分の屋根に降った水で、タンク1本150Lが満杯になる。大きなバケツ1杯 が8Lだから、バケツ20杯近くの水が得られる。庭への水まき、菜園の水まき、車の洗車などに利用して、実に重宝だ。 設置して1年ほどになるが、空になったことは無い。足元からの環境にやさしい行動に自己満足だ。

我が家の雨水タンクです




2020.5.8 『あたりまえ』
『あたりまえ』     井村 和清さんの詩を引用

あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜ
よろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が2本あって足が2本ある
行きたいところへ自分で歩いて行ける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだと笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れそしてまた朝が来る
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決して
よろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを
欠くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

今、この時、この詩が心に沁みる。


2020.5.7 『菖蒲湯』
5月5日、子どもの日。今年はコロナ禍で孫たちが遊びに来るのをやめてもらった。近所を見ても、毎年こいのぼりを揚げている家が、 数件有ったが、今年は一度も見ていない。“自粛”しているのだろうか。 孫たちが来ないのは寂しいが、夕刻にはネットでテレビ電話をし、双方の家族が元気な姿で居ることを確認、孫たちの顔も見られた。 家の前の用水路は、田んぼに水を引くために有るが(そんな環境の田舎暮らしです)、菖蒲が自生している。 これを刈り取って、わらひごで束ね、浴槽に入れ、菖蒲湯だけはやることにした。江戸時代から始まる生活風習のようで、 端午の節句(5月5日)に、 邪気を払い、無病息災の願いを込める意味が有るそうだ。独特のプ〜ンと薫る薬草のような臭い、いかにも身体に良い ような気がした。季節の習慣や行事、これからも続けて行きたい。

菖蒲湯です




2020.5.6 『目標とガマン』
還暦を過ぎてから始めたロードバイク、今すっかりはまっていて、雨や風の強い日以外は、近くの河川敷のサイクリング道路を走っている。 ヘルメットにサングラス、日焼け防止のバンダナで目だけ出し、平均時速22〜3キロ、ママチャリよりはかなり速いスピードだ。 速い人は時速30キロくらいで追い越して行くが、気にしない気にしない。1キロ毎の距離表示が有るので、1キロずつインターバルで、 ゆっくり漕ぎと早漕ぎをする。早漕ぎは結構呼吸が荒くなるが、1キロ先に行けばゆっくり漕ぎになれるので、頑張れる。 頑張れるのは目標が有るからだ。もし、1キロ先にたどりついた時に、「もう1キロ頑張れ!」と誰かに言われたとしたら、 「え〜〜っ?ここまで頑張って来たのに、楽しみが無いじゃない」と思うことだろう。目標が有って、その目標がクリアできたら、 何かいいことがある。だから、人間は頑張れるのだ。自粛要請の延期、ガマンしようと思わないで、新しい目標を自分につくらなくっちゃ。


2020.5.5 『子どもの日』
子どもの日、子どもたちが伸び伸びと子どもらしく成長し、これからの時代を担って行けるよう、お祝いする日だ。 しかし、今年は学校に行けない、思い切り外で遊べない、ともだちと話ができない、家に籠っている、ということで、 子どもが子どもらしい暮らしができていない。ストレスをいっぱい抱えて、それを爆発させる機会が無い。 親や家族も自分自身がストレスを抱え込んで苦しんでいる。親や家族が子どものことを考えてどんなに努力しても、 子どもには子どもの世界がある。こんな時だからこそ家族がまとまっている、もいいが、1か月も2か月もそれが 続くかと言えば、限界があるだろう。今日の子どもの日、子どもたちに何ができ、何を期待するか、大人たちが問われる日だ。 我が家は、柱に記録した孫の背比べを見て、菖蒲湯に入ろう。


2020.5.4 『フィラー』
え〜〜とは、脈が有る時、あの〜〜、あの〜は表現を考えている時、とチコちゃんが解説していた。え〜〜、とか、あの〜〜は、 フィラーという呼び名がついているという。フィラー=filler=充填する、埋める、詰める、などの意味があるが、 日常会話の中でこれを使う場合は、「発言権を自分のほうに維持するため」とチコちゃんは解説する。 やたらに。「え〜〜と」・「あの〜〜」・「ん〜〜と」・「なので〜〜」を連発されると、話の筋が見えにくくなったり、 何を言いたいのかわからなくなったりする。最近、「なので〜」がやたらに使われるが、筆者は言わないようにしている。 「ウォーキングで運動不足を解消したいと思っています。なので〜〜シューズを買って来ました」というより、 「最近、ウォーキングシューズを買いました。これを履いてウォーキングしています」と言ったほうが、聞くほうが興味を持って 聞ける。便利なフィラーはあまり使わないほうがいいかもしれない。因みに、話をするときは、結論を先に、細かい筋はそのあとに 言ったほうが効果的なようだ。


2020.5.3 『受け身の時間、創造の時間』
朝刊に、ぬりえのページ、全面で4ページもあった。企業の協賛で掲載されている新手の広告だ。STAY HOMEで有り余る時間をどう過ごすか、 読者に楽しみを提供している。スマホが遊び相手で、首や手や目が凝っている人が多いと聞く。テレビの映画チャンネルの広告宣伝が多い。 ホームエクササイズをする。さまざまな方法で時間を楽しむ。友人は、普段できない家事の工夫をしている、ベランダでランチを楽しんでいる、 趣味の作品づくりをする、マスクを手作りして友人にプレゼントしている、など工夫しているという。この時間を消費型で楽しむのが、 受け身の時間だ。時間を埋め合わす行動は、飽きが来て、そろそろ普通の生活に戻りたいというストレスを強くする。一方、自分で工夫して、 何か身につけようとか、何かを生み出そう、という行動は、目的意識がはっきりできるので、創造の時間となる。夢中になっている分、 達成感も大きいはずだ。できれば、創造の時間にすることで、連休後の自粛延期にも耐えられそうだ。


2020.5.2 『夏野菜』
毎年5月の大型連休中は、夏野菜の定植の時期。トマト・ナス・ピーマン・きゅうり・ししとう・スイカ、などを植えつける。 ホームセンターには、各種野菜の苗が並ぶ。値段は安いと考えるか、安くはないと考えるか、筆者は安くはないと思う。 最近はベランダ園芸などが増え、価格に関係なく売れ行きが良い。接ぎ木の苗などがすぐになくなる。 昨日は陽気が良く、菜園日和だった。畑で土と触れ合っていると、STAY HOMEも忘れられる。元肥をすき込み、水をたっぷり浸み込ませ、 移植、苗に肥料の袋を筒にしたものをかぶせる。風を避けて適度な保温になる。2〜3週間ほどかぶせ、根が出た頃に杭を立てる。 7月初め頃からの夏野菜が楽しみだ。


2020.5.1 『働き方改革』
今多くの人に訪れている働き方の変化、これぞまさしく、働き方改革だろう。ここ数年、働き方改革というのは、主に就業時間や雇用の格差 が論点で、各企業が試行錯誤して来た。しかし、今起こっているのは、働き方の革命、それもここ2か月という短時間で革命が起こった。 主にオフィスワークをする人の在宅勤務・テレワークの進展だ。ネットを介して在宅でワーク、会議、決済を行うという、 考えられなかったことが進展している。まさに“働き方”改革だ。この短時間の変化でビジネスが何とか成り立った部門は、 もう元に戻ることは無いだろう。満員の通勤電車で定時にオフィスに出社、長い時間の会議、決済のハンコ、接待で歓楽街で呑み、 カラオケへ、タクシーで帰宅、などはおそらく影を潜めるだろう。 その周辺に生きる人たちの仕事をも、劇的に変化させるに違いない。働き方改革は、社会の構造も変えることだろう。


2020.4.30 『融資のメール』
毎日毎日、SPAMメールが多い。今多いのが、融資のメール。「身分証なしでも融資」、「来店不要・お電話で融資」、 「保証人不要20歳以上」、「ご融資のお知らせ」、「即日融資・来店不要」、「今だけの低利融資」、「超スピード融資」、 「即日お金が必要な方必見」、「最短5分のスピード融資」、「お金のサポート」。あの手この手のタイトルをつくり、 メールが入って来る。自動振り分け機能でSPAMメールになるということは、 やたらにこのメールを自動送信機能で広範囲に送っていることを示す。まるで、昔のサラ金の類と同じで、 お金を必要とする人にすぐにでも貸付け、暴利をむさぼるものだと理解する。 今日の夕食を食べられないで金策に駆け回っている人も居るわけだから、手を出す人も居るかもしれない。 事業が継続できない人に、早く政府から救済の手が差し伸べられるよう祈っている。


2020.4.29 『籠る毎日』
このところ、1週間に1回しか髭をそらなくなった。おそらく、ノーメークの毎日、時には1日パジャマで、なんていう人も居るかもしれない。 人に会わない、ということは、人の目が気にならないから、ちょっとしたおめかしもおろそかになりがち、ということだ。 その上、スマホやパソコンばかり見ているから、前かがみの姿勢が多い。肩こりや頭痛の元だ。 食べるものをしっかり食べ、歩く歩数は500歩くらい、というエネルギー摂取過剰で、ノーアウトプットと言う人も多いことだろう。 体重が増えたり、ポッコリお腹を気にしている方、居ませんか?
筆者は、あまりある時間を80分ウォーキング、40キロサイクリング、野菜畑の農作業に費やしているせいか、食欲がすごい。、基礎代謝量が増えて、体重はベストを維持している。コロナの成果だ。 反省点は、髭を毎日剃ろう、少ない髪の毛でも頭をとかそう、ウォーキングでちょいとおしゃれでも、というあたりかな?


2020.4.28 『折り込み広告』
新聞折込の広告が激減した。自宅に届く朝刊の厚さが極端に減った。スーパーの広告は3日から1週間分の売り出し広告。車、不動産、 家電量販店、ホームセンターなどの広告は無くなった。毎年大型連休の時に売り出しをする、近くのホームセンターは、その売り出しを 3密を避けるために中止します、との広告が入った。昨日の広告は、葬儀屋さん、リフォーム屋さん、クリーニング屋さんの3種類、 今朝はスーパーの3日分の売り出し1枚だった。 新聞折込だけでなく、ネットのメール広告も新種が増えた。“融資します”というSPAMメールが増えて来た。無意識にクリックしたら、 予想もつかないところに誘導されることだろう。危ない、危ない。


2020.4.27 『自粛要請』
3密を避けるためのSTAY HOMEは“自粛要請”だ。自粛=自分で判断して行いを慎む、という意味であり、要請=他の人がお願いする、 という意味だそうだ。4月25日の朝日新聞朝刊によると、国語辞典編集者の飯間浩明氏のオピニオンで、自粛という重い負担を、 軽い語感で要請されているのが問題だと指摘する。 営業自粛と言われれば、それを生業としている人たちの生活がかかっている。自粛しない人が非国民扱いされるが、その保障を誰が担うのか、 という問題が有る。痛みはみんなで分かち合わなければ前に進むことができないが、同じ自粛でも、湘南の海に行きたいのを自粛するのと、 生活の糧を無くする自粛では重みが違う。要請する側が、「もし自分ごとだったらどう思うことだろう、どう動くだろう」と考えているだろうか。 議員さんやお役人は給与がしっかり保障されている立場、そういう立場で物事を言っているような気がしてならない。今日食べるものが無い、 今日子どもやおとしよりの面倒を見る人が居ない、今日出かけるのに誰かのサポートが必要、と言った人たちが、蚊帳の外に居る自粛要請 になっていないだろうか。


2020.4.26 『ここ1、2週間』
4月の初め頃から、専門家会議や小池さんは、ここ1、2週間が勝負、と言っている。連休に入っても、 5月6日までのここ1,2週間が勝負、と。長い期間の“ここ1,2週間”だ。このウィルスの収束は、1,2週間では 来ないのがわかっていても、あと1・2週間で、と気持ちが継続している。まるで、ジョギングやウォーキングで、“あと電柱1本分”と 目標をすぐそこに置いて、ちょっとずつ目標を延ばすのと似ている。 しかし、“あと少し”を伸ばし続けると、目標が見えなくなり、いつまでなんだ、という気持ちが出て来るのが自然な人間の姿だ。 経済学や心理学などの学者は、このことを憂いている。こどもからお年寄りまで、年代別にガマンの限界をどうコントロールして行くか、 これからの課題だ。それぞれに、自分の心をコントロールする力が試される。政府の対応が悪いとか、学者たちは好きなことを言っているとか、 外国ではこんな成功をしているのに日本では、などど言っても前に進むわけではない。


2020.4.25 『知人の苦悩』
知人が東京都内に住んでいる。ご自宅前には都立公園、隣がスポーツ店だそうだ。公園にも、スポーツ店にも人が多く、 周辺が心配だと話していた。これではSTAY HOMEであっても怖い気がする。外部から人の流入で困っている人たちが多く居る。 湘南の海辺、房総の海辺、長野の山、パチンコ店には、他県ナンバーの車がずらり、それぞれに“不要不急”と“安全地帯”を 探して行きついているのだろうが、来られる地域のほうはたまったものでは無い。フランスで爆発的感染が起きた1か月前、 湘南の海と同じ大渋滞が起きていた。パチンコ業界で指導に従わない業者を公表した大阪府、効果が有ればいいのだが。 日本山岳会は、登山を自粛するよう山岳ファンに呼び掛けている。ここ1〜2週間は、という呼びかけに、何とか協力したいところだが。


2020.4.24 『スーパーの売り方』
今朝のスーパーの広告、「売り出しは1週間とさせていただきます』と有った。スーパーの広告は、 客足の少ない時間帯に売り出しをしたり、ポイントを増やしたり、他店との競争に優位な表示をしたり、毎日の広告が勝負、 という世界だ。しかし、昨日の小池都知事の会見に有ったように、 「スーパーで3密が発生している。毎日行っていたスーパーを3日に1回にして下さい。 家族で行っていたのを代表1人にして下さい」と、買い物の習慣も買えなければならない。 スーパーの売り出しやイベントも3密を防ぐ方式となる。レジの前には足形、レジ担当と客の間に透明のフィルム、 コロナは売り場の仕組みまでも変えてしまった。


2020.4.23 『不要不急』
「不要不急な外出は控えて下さい」とアナウンスされている。何が不要不急なのかは、判断を個人に委ねられるわけだ。公園に、 「不要不急なご利用はお控え下さい」と表示されていた。管理者側からは不要不急に見えるかもしれないが、利用する側には、 理由が有って行っているから、不要不急では無いと思うことだろう。パチンコ屋さんに他県ナンバーの車がずらり、お客さんに聞くと、 ずっと前からやっている、個人の判断で不要不急じゃないから、と応えている。湘南の海に、車が渋滞するほど人が来ている。 海だったら3密では無いから、と思う人は不要不急ではなく、気分転換のため、という理由を言うだろう。 どうも不要不急ということばで、個人に判断させているのがネックのような気がする。いっそのこと、不要不急などと言わなかったら どうなることだろう。


2020.4.22 『今日はアースデー』
毎年4月22日は、世界中で地球環境の現状と未来を考えるアースデー。目標は、持続可能な地球環境を維持すること。 今盛んに言われているSDG'Sなどのことばが無かった頃から行われていた。 毎年、東京・日比谷公園を メイン会場として、全国各地で集会・ライブコンサート・ デモ行進などが行われて来た。残念ながら今年はオンライン開催になってしまった。 環境NGOが1年かけて準備して来たことがコロナ禍で変更となった。毎年、熱心にサポートして来た、 作家、環境活動家のC.W.ニコルさんが残念ながら直前になって他界してしまった。残念だ。


2020.4.21 『アスリートの力』
ソフトバンクの松田選手が、ホームランを打った時に行うパフォーマンス「アツオ〜〜!」が今話題になっている。 野球選手だけでなく、さまざまな種目のスポーツ選手がリレーしてTV中継されている。ネットでは、 オリンピックのメダリストたちがメッセージを投稿している。 羽生選手の東日本大震災体験を語ったメッセージ「真っ暗だから見える光もある」には感動した。 ストレッチの効果を説く千葉ロッテの佐々木朗希投手の動画も役立ちそう。アスリートたちは、それぞれの方法で ステイ・ホームの人たちにメッセージを送っている。運動不足になりがちだが、自宅でアスリートのトレーニング方法を ちょっとだけ真似してみるのもよさそうだ。


2020.4.20 『音楽の力』
モーツアルトは「音楽は、世界に魂を与え、精神に翼を与える。そして想像力に紅葉を授け、あらゆるものに生命を授ける」と言った。 「危機的状況に陥った人々の前でも、音楽は力を発揮できると思う」と、東日本震災当日、来日していた指揮者のズビン・メータ氏は言った。 音楽は人に力を与えるという。東日本大震災の直後に発表された復興応援ソング「花は咲く」は応援する人、災害に遭った人、最愛の人を 亡くした人たちに力を与えた。 テレワークコンサート では、Stay Home、Social DistancingをHPで音楽で訴えている。イタリアのクレモナにある病院、クレモナは、バイオリンの名器 “ストラディバリウス”を産んだ町、ここの病院屋上で日本人バイオリニスト、横山令奈さんが屋外コンサートで、 病院で働く医療従事者と患者たちに向かって演奏した。ミュージシャンたちはコロナ感染拡大に対して、自分でできる方法で 社会に向かって行動し続けている。


2020.4.19 『スポーツ選手の動画』
野球、サッカー、バドミントン、ラグビー、卓球、水泳、マラソン、それぞれのスポーツ選手は、練習環境が無いことで、 彼らも困っているだろう。ネットには、彼らのトレーニング風景が動画で流れる。一般の人たちのために、簡単なストレッチや 体幹を鍛えるなどの動画も有る。どんな人でもStay Homeだから、家の中でできることを考えざるを得ない。 どんな人でも黙らせるこのウィルスの力はすごい。わずか3週間のうちに、地球全体を恐怖に陥れるのだから、SFの世界だ。 ラグビーのリーチ・マイケル選手のように、ほとんどラグビー漬けで、家に居ない人が自宅で子どもと戯れる、 きっと家族にとってはかけがえの無い非日常の日々となっていることだろう。 家の中に居ると、どうしても運動不足になる。スポーツ選手の動画は役にたつ。


2020.4.18 『小池さんのマスク』
小池都知事が記者会見で装着しているマスク、たぶん手作りだろうと思って、 小池さんのマスクでネット検索してみた。 やはりそうだった。可愛い、と話題になっているようだ。大きさや模様が毎日変わっている。マスクが買えない、 というより手作りの手が有る。ある衣料メーカーでは、下着を制作する技術を生かし、 立体型のマスクを工場が有る地元の学校に配ったというニュースが有った。 企業の技術がこういうところに生かされたのは嬉しい出来事だ。我が家でも、かみさんが手づくりマスクに挑戦した。 内側の口に触れる部分には、キッチンペーパーを切って装着。なかなかフィット感が良い。ゴム紐が手に入らないのだが、 ストッキングを輪切りにして利用していた。政府が配る2枚の前に、我が家では充足した。


2020.4.17 『現場の医師の緊迫の声(転載)』
筆者の友人がメールで頂戴したものを全文転載します。
出所はK大のS教授。みんなに転送して下さい、というチェーンメールです。 念のため、K大のS教授のHPを見て見ましたら、ご本人が発信したものでは無い様子、 名前を語られ、問い合わせが多くて困っている、チェーンを止めて下さい、とのメッセージが掲載されていました。
しかし、チェーンメールの内容は、間違ってはいない感じです。以下転載します。 皆さんはどう思われますか?

この数日でコロナウイルス感染症の患者さんが急増しています。 私の病院のコロナ病床は満床になりました。重症者もいます。 現場ではすでに医療崩壊のシナリオも想定され始めています。 正直、報道よりも一般のみなさんが思っているよりも、現実は非常に厳しいです。 近い将来、本来助けられるはずの命が助けられなくなる事態になりそうだと感じています。 今まで、どんな人でも少しでも生きたいという思いがあるのなら、全力で命を助ける医療をやってきました。 でも、このまま感染が拡大すれば、「助ける命を選択する医療」にシフトしなければならなくなります。
本当に悲しい。 だから、外出を控えてください、人と会わないでください。 感染を食い止める方法はこれしかありません。 生きていくための最低限の外出だけにしてください。 このメッセージを出来る限りの家族や友人にシェアしてください。
時間がもうありません。よろしくお願いします。 また、ほとんどの感染患者さんは食事中に感染しているようです。以下 S先生の感染防御マニュアルです。 ウイルスが出てくるのは咳とか唾とか呼気。 でも普通の呼気ではうつりません。 これまでのほとんどの感染は、
・感染者から咳やクシャミで散った飛沫を直接吸い込む
・飛沫が目に入る
・手指についたウイルスを食事と一緒に嚥下してしまう
  という3つの経路で起こっています。 感染にはウイルス粒子数として100万個ほど必要です。一回のくしゃみや咳や大声の会話で約200万個が飛び散ると考えられています。つまり感染者がマスクをしているとかなり防ぐことができます。 なるべく鼻で息を吸いましょう。口呼吸で思い切りウイルスを肺の奥に吸い込むのはダメです。 外出中は手で目を触らない、鼻を手でさわらない(鼻くそほじるのはNG)、唇触るのもだめ、口に入れるの は論外。 意外と難しいが、気にしていれば大丈夫です。 人と集まって話をする時は、マスク着用。 食事は対面で食べない、話さない。 食事に集中しましょう。 会話は食事後にマスクして。 家に帰ったら、速攻手を洗う。アルコールあるなら、玄関ですぐに吹きかけて、ドアノブを拭きましょう。 咽頭からウイルスがなくなっても、便からはかなり長期間ウイルスが排出されるという報告があります。 ノロウイルスの防御法と同じように対処を忘れずに。 感染防御のルールを再度整理します。
・マスクと眼鏡の着用
・手指の洗浄と消毒
・会食は対面ではせず、一人で食事を短時間で済ませる
・外から帰宅時は先にシャワーを浴びてから食事
陽性患者さんの多くは、手指から口に入るか、食事の時に飛沫感染しているようです。
以上。


2020.4.16 『マスク』
マスクを増産しているらしいけど、まだ店頭には並んでいない。政府が配るようだけど、手づくりが今流行しているらしい。 買うことばかり考えて、薬店に朝早く並ぶより、手作りしちゃえ!とばかりネットを探したら、いろいろ出て来る。 裁縫の知識ゼロでもつくれる、なんていうページは、糸の先端に玉結びをつくるところから解説している。 型紙もついている。裁縫をしなくても、バンダナなどを3つ折りにしてゴムを通すだけの、簡単スタイルも有る。 子どもたちが家でストレスを貯めているご家庭が多いと聞くが、子どもとのマスクづくりなんていいかもしれない。 できた作品は、近所のお年寄りにプレゼント、なんてことになれば、社会貢献だ。 みんな家に居て、エネルギーを持て余しているから、どう社会に役立てて行くかを考えるのも、面白そうだ。


2020.4.15 『それぞれの過ごし方』
近所の河川敷のサイクリングロード。片道20キロのマイコースを久しぶりで走った。風が強かったり、雨だったりでしばらくできなかったが、 朝から晴天、風が無い、チャンスとばかりスタートした。走っているとさまざまな人と出会う。ここは密集状態では無いから、皆のびのびと行動 している。一番多いのがウォーキング、ひとりで、友人と、夫婦で、思い思いに歩いている。次がジョギングの人、自転車に乗っている人、 子どもと遊ぶ人、と続く。高校生だろうか、5、6人でごみ拾いしているグループが有った。こういう時間の使い方、いいなぁ。タープを張って、 その下でチェアに腰かけて本を本んでいる人が居た。これもいいなぁ。土手でヨモギ摘みの人が居た。それぞれの過ごし方で非日常の世界を 楽しんでいる人たちが居た。


2020.4.14 『手紙』
地域のサークルの友人から1通のはがきが来た。「元気ですか?心配事が解消してお会いできる日が、早く来るといいですね…」。 直筆の文字に温かさを感じる。こういう事態だからこそ、気持ちと時間をかけた、こういったことができる。 普段何気なく会っていた当たり前のことができなくなった今は、その時の当たり前の価値を強く感じる。 今の事態は終息までは遠い道のりだろうが、収束はするだろう。 その時、われわれの生活は、すぐに元に戻るわけではないだろうが、心のリハビリをしながら少しずつ変わって行くことだろう。 おそらく、今までの価値観を変えながら。
そういった、社会の秩序変化が良い方向に向かって行けばいいのだが。手紙の価値を改めて感じる出来事だった。


2020.4.13 『ストレス限界』
子どもたちが在宅で過ごすことにより、子どもにも、保護者にもストレスが溜まり、DVが増えている、というニュースが有った。 ストレスが過大になっているのは理解できる。友人のところには、高校生の男の子、中学生と小学生の女の子の3人の子どもが居る。 彼女は、「子どもたちのストレスは限界!私もそうだけど」と言っている。子ども時代にしかできない、友達と学ぶ、遊ぶ、 しゃべる、部活で汗を流す、好きなところに出かける、などができないストレスは相当だろう。 こんなに長い非日常が続けば、自立神経系がおかしくなるのは当たり前。 精神科の医師で、筑波大学教授の斉藤環医師は、「前向きに引き籠る」方法として、「家族で役割を持って結束する」、 「対話を多くすること」と提言している。 日常を羨むのではなく、価値観を別のところに置き、それを楽しむこと、と理解した。筆者は、 朝一番に今日のToDo(やりたいこと)を書き出すことをやってみた。ひとつ終える毎に、 「ああ、スッキリした」と口に出すことで、小さな達成感を感じると、今日1日の満足感になる。 しかし、いつまで続くかが問題だ。


2020.4.12 『聴こえない人、見えない人』
世の中の状況が一変することで困っている人たちが居る。聴こえない人の多くは手話を使って会話をするが、相手が手話ができないときは、 口元の動きから、かなりの確率でおおよその会話を把握している人たちが居る。だから、ぼそぼそとしゃべるのではなく、大きな口を開いて しゃべると、会話を読み取ってもらえる。しかし、今はほとんどの人がマスクをしているので、これができないで困っている。
目の見えない人を案内する時は、腕を持ってもらったり、肩に手をかけてもらったりして行うが、今は濃厚接触となってしまう。 ソーシャルディスタンスで居ると、相手がどのくらい離れているか、どこに居るかがわからなかったりする。視覚障がい者は、 多くのものを触って確認するから、感染の恐怖がある。盲聾者は指点字と言って、補助者と両手を握って通訳してもらうが、補助者が 居なければコミュニケーションができない。障がい者の人たちは困っている。


2020.4.11 『だろうではなく、かもしれない』
運転免許の講習の時、「だろうではなく、かもしれない」で運転する、ということを教わった。道路で大丈夫だろう、 と思って前進するのではなく、誰かが脇道から出て来るかもしれない、と思って運転したほうが事故が防げる、ということだ。 コロナウィルスの感染も、「自分は感染しないだろう」ではなく、「自分は感染するかもしれない」と思ったほうが感染防止の注意の仕方が 違う。あるいは、「自分が感染しているかもしれない」と思うと(思いたくは無いが)、他人に移さないための注意の仕方が変わる。 この時期、各自が“かもしれない”精神でじっと耐えれば、きっと近いうちに晴れ間が見えて来る。


2020.4.10 『446億円の布マスク』
安倍首相が発言した、全所帯に2枚の洗える布マスク配布、冗談かと思ったが、冗談では無かった。政府はこの配布に446億円の補正予算を 計上した。果たして効果のほどは?。マスクはコロナウィルス対策には効果的、は確かだ。 布マスクをつくって高齢者施設などに贈るボランティア活動をする女子高校生のニュースなどが有った。手芸を趣味とする女性の間で、 ネットなどにマスクの作り方が多数投稿されている。手芸屋さんや100均では、細いゴム紐が買えない事態になっている。 我が家では、使い捨てのマスクのゴムの部分を捨てないで取ってある。466億円も投じてまで…とも思うが、昨夜フランスでは、外出時の マスク着用が義務づけられた。そのうち、マスク配布を揶揄することが無くなり、「やっぱり配って良かった」となるかもしれない。 今はとにかく、見えない敵に対して、人がやったことを批判するよりも、あの手この手で何でもやってみることだ。


2020.4.9 『毎日のニュース』
「昨日の新型コロナウィルスの国内感染者数は…」で始まるテレビやラジオのニュース番組。4月8日の感染者は535名、今までの最高 の感染者数となった。緊急事態宣言が出た翌日のことだ。全国の感染者数 4,973名、東京都で1,338名、大阪府522名、神奈川・千葉・ 埼玉・兵庫・福岡・北海道と続く。重症者99人、亡くなった人105人、緊急事態宣言の“3密”の8割削減の効果を期待したい。 武漢では封鎖の解除が成され、ネオンがカウントダウンで輝く映像が流れていたが、そんなことをしている場合か!、と怒りを覚える。 武漢の市民からは、助けを求める声、実際の感染者数や死者数は、政府の発表は少なすぎる、との声が有るから、中国政府のやることは、 もう信頼に欠く。トランプさんは、WHOのやることは中国寄りの行動なので、拠出金を出さない、など馬鹿なことを言って、 国内感染の責任を転嫁しようとしている。今はそんなことを言っている場合ではないのに。


2020.4.8 『ガマンと工夫の暮らし』
ソーシャルディスタンス、近づいてはいけない最短距離で列に並ぶ、これをやっていたら、100均のレジで割りこまれてしまった。 東京に居る一人暮らしの親に会いに行けない、何とももどかしい。大学に入って下宿が決まってひと安心、でも感染が心配なので子どもを実家に戻す。出産で実家に帰りたいが、高齢の母を思うと行くことができない。 歯が痛くなったが、歯医者が心配で行けない、我慢している。企業では全員出社ができないので、非常時に用意していたBCPを発動。 朝ドラのロケができないので、放映に影響がありそう。などなど、日常の行動ができないことによるさまざまな影響が出ている。 オリンピックの延期や各種イベントの中止だけではない、個々の事情で困ったことを何とか工夫している。工夫できないこともあるし、 これを継続していく限界もある。しかし、今ここで踏ん張らないと、もっと大変なことになる。


2020.4.7 『高校野球の中止に涙』
第92回・春の選抜高校野球が中止になってしまい、代表に選ばれた高校球児たちには、落胆と、前向きに夏に期する気持ちが 入り混じったことだろう。日曜の夜、NHKで放映されたスポーツニュースで、福島県から選ばれた磐城高校の、 監督と球児たちの報道には、涙してしまった。監督5年目で栄冠を勝ち取った木村保教諭、この4月から異動となってしまった。 選手たちと監督の交流、信頼関係、監督の無念さ、生徒たちの監督のために夏に頑張る思い、こういった、高校野球を超えた、 あるべき教諭と生徒の心の交流に涙した。“忍耐”が野球部のスローガン、まさに忍耐の出来事だったことだろう。 しかし、木村監督と、監督の指導下で頑張った選手たちには、大きな心の財産も残った。


2020.4.6 『今日から新学期』
いつもなら、4月の第一月曜日は、校門の前に新入学生と父兄が、ハレのこの日を待ちかねたように笑顔で記念撮影、という光景だ。 しかし、入学式は必要最低限に、場合によっては、入学式や始業式が実施できない学校もある。子どもたちには、これからの心身形成に ものすごく大切なことができない、変則的な日々が続く。子どもたち、保護者、学校の先生それぞれに葛藤が続く。 長期休みの後には子どもたちの自殺が増えると識者は言う。子どもたちが子どもたちらしく、友達をつくり、遊び、しゃべり、触れ合い、 といった、有るべき姿の日常が早く訪れることを祈りたい。


2020.4.5 『ネモフィラ』
毎年多くの観光客が訪れる“陸の海原”とも言えるネモフィラの海、国営ひたち海浜公園(茨城県ひたちなか市)のネモフィラが 間もなく満開になる。最近は海外からの観光客が多く、訪れる人たちの目を楽しませていた。しかし、今年はコロナ禍の影響で 4月12日から21日まで予定のフェスティバルが中止、休園になっている。職員たちは、この季節を目指して丹精込めて種まき、 草取り、追肥などを行って来たのだが、“無観客”となってしまった。そこには毎年、90万人もの観光客たち、誰をも笑顔にする ライトブルーの花畑が有ったのだが、残念なことだ。きっと来年は、今年の分まで楽しめることだろう。

ネモフィラ満開です(2014年撮影)




2020.4.5 『文化の衰退』
3つの密があるところ、つまり密室、人の密度が高い、接触の密度が高い場所には行かない要請。およそ文化活動はそういった空間が 多いから、文化活動が全く停滞している。ライブハウスやステージショウ、カラオケ、居酒屋、祭り、などなど、密が多いものばかりだ。 街の中の居酒屋やレストランなど閑古鳥で、倒産や店じまいを余儀なくされている。歌手やお笑いタレントが、ラジオやテレビに出演 できる人以外は仕事が無い。キャバクラに勤務する人がニュースのインタビューで、収入が無くて生活が苦しいと言っていた。 オーケストラに所属する人は仕事ができない、練習もできないで困っていた。おおよそ文化活動を仕事にしている人たちは、 活動ができないことによる生活費の問題、文化そのものの後退を心配している。文化は人が生きるために必要な要素、無くなったものは 再生するのに、莫大な時間を要する。コロナ禍で停滞しないように考えることも大事だ。



   ◆2020年4月5日〜2020年7月13日
   ◆2019年12月1日〜2020年4月4日
   ◆2019年7月22日〜2019年11月30日
   ◆2019年4月21日〜2019年7月21日
   ◆2019年1月〜2019年4月12日
   ◆2018年7月〜2018年12月
   ◆2018年1月〜2018年6月
   ◆2017年7月〜2017年12月
   ◆2017年1月〜2017年6月
   ◆2016年7月〜2016年12月
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   ◆2014年1月〜2014年6月
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   ◆2011年1月〜2011年6月
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   ◆2010年4月〜2010年6月
   ◆2009年4月21日〜2010年4月20日は休筆しました
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   ◆2008年4月〜2008年6月


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