国産の米が余っていて、今年の作付は減反を強いられるようだ。新潟県の場合、12.7%の作付け減となり、 農林水産省が補助金を出して減反政策を行うという。全国規模では30億円が農家に補助金としてバラまかれるようだ。 つくれる米を作らないで補助金を出す行政の単純施策、もったいない話だ。米をつくらない農家に別の生産品を推奨、 育成などすれば食料自給率の向上に資するはずなのに。このコロナ禍で外食が減ったとか、 弁当の売上げが落ちて消費が減ったのが消費減に影響が大きいらしい。毎年生産量の10%は外食で消費されている。 米をつくらなくなって田んぼが荒れると、生態系に影響するとか、水の流れが変わって洪水になったり、 水質などにも影響が出るから、自然の循環が変わり、環境にも影響があるということだ。 今余っている米の量は344万トン、年間の消費量のほぼ50%になるという。 地球上には今日食べるものが無い人が餓死している、という事実があるのに、この矛盾何とかならないものだろうか。
庭のすいせんの芽が出て来た。菜園の蕗のとうが芽を出した。梅の花がほころび出した。河津桜がピンク色の花を競わせている。 花粉の情報が出だした。今年の春一番は2月初めに吹いたが、以降寒波が来たりしてあまり温かい日があれが北風が冷たい日があった。 三寒四温の日々だ。しかし、土の中は確実に温度が上がっている。天気予報のコーナーでは、気象予報士の人が、 東京の開花は3月17日頃だと予報している。あと1か月もしないうちに桜が咲くのだ。北海道や日本海側では連日の大雪、 ホワイトアウトになるくらいの猛吹雪が吹き荒れているが、春の足音は確実にやって来ている。コロナ禍ではあるが、 何か少しウキウキするのだ。毎日毎日、今日は〇名の感染者、ここでしっかりと抑制しないと、 と心までも押さえこまれる毎日だ。何か心を動かす話題や行動がしたくなる。そんなさ中、緊急事態宣言の解除、どうなんだろう?
新しい生活スタイルがサブスクだ。英語のSubscription 、これが、物を所有しない新しい生活スタイルとのことを言う。 どうも昭和の生活をする筆者には似合わない気がする。サブスクリプション=一定期間、 決まった料金を支払って物やサービスを利用することだ。つまり、自分で物を買った場合は所有権が自分に移るが、 所有権は業者が持ち、利用する分を利用料のカタチで支払う、というものだ。車のリースなどと似た形態なのだが、 どこが違うかと言えば、サービスを受ける期間が契約上に無く、不要となったらいつでも解約できる点が違うのだ。 速い話、利用したい時に使って、不要になったら返す、というもので、これが普及した理由は、 スマホが普及したこと、サービス内容が拡充して来たことにあるようだ。買い取りだと、家の中に物があふれるが、 生活用品をサブスクで利用すれば、所有権は無いにしても、利用料を支払うだけで、要らなくなったら返せる、 という暮らしぶりだ。音楽・電子書籍・家具・家電・車・飲食店の月額制など、分野が拡大している。 新しいライフスタイル、普及の兆しだ。
大坂なおみ選手が2月20日、全豪オープンで優勝した。試合を観ていて心技体の安定した大坂選手、 今までとは違った安定感と強さが有った。表情もキリっとして安定感が有った。 すぐに癇癪を起してラケットを投げつけたり、大声を出して悔しがったり、 顔を引きつらせたりした姿は消えていた。しっかりしたメンタルトレーニングをしたのだろう。 体つきががっしりして、動きが俊敏になって、どんな球でも取ってしまう。抜群な安定感は、しっかりした体幹と 筋肉の成せる業だろう。大きく成長した大坂さんの大人びた動きに好感が持てた。試合後に出すコメントも、 人柄を感じさせる柔和な表情とことばに現れる。大きな選手に成長したことでファンがもっと増えることだろう。 女子テニス界の世代交代が確実に行われている気がする。
アルツハイマー型認知症の方は、海馬がダメージを受け、最近の記憶が飛んでしまう。そして判断力に欠け、社会生活に支障を及ぼす。 今の総務省のトップはみんなそんな状態に陥っている。ただ、子どもの頃から高い偏差値を持って、高度な知識(暗記力)を供えて、 失敗や挫折の経験を伴っていない。だから、常に成功のイメージを描き、そこに向かって競争に晒されて生きて来た。 高い地位に付く官僚は、社会から見たら、世の中の常識のことでも歪んだ見方で突き進む。今回の総務省の嘘出鱈目官僚たちは、 末期症状に近い。今までの防衛事務官のゴルフ接待、財務省の森友証言なども、いつかはわかるウソ出鱈目を国会の場で平気で 証言、彼らは人生で初めての挫折を味わっている。今回の国会答弁などは、少しずつ化けの皮が剥がれて行く様子、憤りしか無い。 本人よりも家族や親戚がかわいそうだ。奥さんは外に出たら嘘つき官僚の妻、子どもは学校で嘘つき親父の子、となってしまう。 総務省の中でも真面目にやって国のために骨身を削る人はいっぱいいるだろう。 しかし、トップをこんなお役人に仕立ててしまう国家の人事、学歴偏重の弊害を何故やめられないのだろう。 今日は久々にボヤいてしまった!
富士山の山梨側登山口、5合目までは、有料道路の富士スバルラインがある。 このスバルラインを利用して電車を走らせようとする計画が持ち上がっている。 計画のステップとしては、登山口に立った段階とのことだから、さまざまな課題を意識しながら頂上に向かおう、 という意欲で準備体操を始めた、という段階だ。LRTという次世代交通システムを道路の上に構築し、 マイカーの増加による環境問題の解決、多すぎる観光客の抑制、運賃収入を見込むなどの効果を追求するという。 普通車なら現段階は3460円で往復できるが、運賃は1万円くらいになりそうだという。かなりの高額だ。 加えて静岡県側登山口との調整の問題、事業主体をどこにするか、など課題は多いようだ。 世界遺産としての富士山を守る活動、地元はあれこれ頭を捻っている。
眼鏡が少し合わなくなり、眼科に行って来た。眼科では眼圧や眼底などを含め、一通りの検査をした。 医師から疲れ目に効く点眼薬を出しておきましょう、と言われ、受付で代金精算、処方箋をもらって隣にある薬局の店舗へ。 薬店には医院よりも広い待合、職員が10人くらい立ち働いている。受付で処方箋と健康保険証を求められ、 初めて来た方へ、という問診票を書かされた。医院で保険証を出し、初診の問診票を書いたのに、薬をもらうために、 何故またこういったことをしなければならないのか、合点が行かない。加えて調剤明細書を見ると、薬の価格よりも調剤技術料や 薬学管理料のほうが高い。もらったのは目薬だから、技術料や管理料はかかっていないはずだ。昔は医院の中に薬局があって、 同じ建物でもらい、支払いも一緒にし、というのがなんでこんなに面倒になったんだろう。 薬業界が儲かり、健康保険から支出される金が嵩む制度に誰がしたんだろう?
クッキングレシピをすぐに検索できるようにしたアプリが人気だ。 筆者はCOOK PADを活用している。SNSは、情報を利用するだけでなく、 自らも発信することも大事。最近は更新頻度が鈍いが、他の方のレシピを活用したり、自分のレシピや出来上がったクッキングを アップしている。素材名を入れればそれに見合うレシピがいろいろ検索できるからおもしろい。 レシピサイトもいいが、新聞に掲載されている簡単レシピもまた重宝する。季節の素材に合わせた監修がされているので、 朝刊で観た旬のレシピを夕食で、など活用できる。このレシピ集は、ネットでも検索できるようになっているのが多い。 印刷したりメモしたりしなくても、スマホをキッチンに置いておけば、いつでも見れるので便利だ。 COOK PADなどの場合、レシピを文字だけでなく、クッキングの経過写真なども掲載するので、実際につくるステップを、 画像に残しながらクッキングするので、肉を捌いた様子を自分で撮影したりするのに苦労する。 入れたレシピが誰かに活用してもらい、レポートが届いたりすると嬉しいものだ。
西川美和監督、役所広司主演の映画すばらしき世界 が2月11日に封切りとなった。新聞やテレビで話題となっている映画なので、近所の映画館まで足を運んで来た。 佐木隆三さんの小説『身分帳』が原作だ。元やくざ、殺人犯として服役し、刑務所を出所した男が、社会復帰をしながら生きて行く物語だ。 服役者や、元やくざの人たちには社会は冷たい。その冷たい視線の中で何とかして生き抜こうとするのだが、なかなかうまく行かない。 そんな中、彼を支える人たちが少しずつ増えて行く。運よく仕事がみつかり、福祉施設で働き始める。時に昔の行動癖が出る、 時に悪魔の囁きが聞こえる。それでも懸命に生きようとする…。話題の映画は、マスコミで映画評論をする人たちがさまざまな 評論を展開する。そういう評を頭に描いて観ると大体において期待外れとなる。評論する人の主観で物事を言うから、“そのシーンが いつ出て来るんだろう”、“そういう感動が湧かないなぁ”という具合になって、事前の期待と外れる時が多い。 だから何も予備知識なしに自分の主観で観るのが一番だ。今回も観たあと有名人の評が印刷されているリーフレットを読むと、 筆者が感じた感想とはだいぶ違う事柄が多い。
レコード盤が無くなって40年くらいたつだろうか。今やネット配信の時代になって、プレーヤーがパソコンやスマホになった。 音楽が何かの媒体に記録されて販売される割合が少なくなってしまった。 レコードの次に出たのがCD、カセットテープ、CD、MD、しかしMDは消えてしまい、CDはまだ健在だ。 レコードはアナログなので、音質は少し落ちる。しかし、レコード人気がまた再燃しているようだ。 レコードを聴くための針のメーカーはとっくに撤退している。レコードに限らず、いったん消えたものの価値がまた見直され、 それを懐かしむファンが増えて人気が再燃する、ということはよくあることだ。 懐かしむ派ばかりでなく、新宿のレコードショップには、若い人が来て、「これ、どうやって聞くんですか?」 などと質問するそうだ。若い人は、音楽はモノとして保有するのではなく、メモリー上のものという認識だから、 新鮮に感じているのかもしれない。 筆者の自室には捨てるのがもったいないと思って保管している30センチLPがたくさん有る。 プレーヤーはその昔処分してしまった。新聞広告などにレコード、CD、カセット、USBが使える 機材が時々出ている。そのうち買うかも知れない。
銀行口座、SNSの入り口、アプリの起動、ネットショップの決済、クレジットカードの支払い…などなどあちこちで、 パスワードを求められる。設定するときは、8桁以上英数字、記号を入れてなど、面倒なことを要求される。 パスワードがどんどん増える。多くなった時は、何だったっけ?とならないように各種パスワードを同じものにしている人がいる。 銀行のパスワード(暗唱番号)で犯罪を犯す人は、その人の誕生日や住所番地や電話番号などから、パスワードを類推して割り出す。 ひとつのパスワードを割り出したら、芋づる方式に他のパスワードでも被害が…などあるらしいから怖い。 そのためには、パスワード決めのルールを自分で決めておくと、忘れないことにつなげられる。例えば数値には自分の 生年月日ではなく、家族の生年月日を使う。所番地は前に住んでいたところの番地を使う。電話番号の各桁から1を引いたものを使う、 などなど。この数値をパスワードの中に組み込むのだ。例えば、kessaiというアプリのパスワードをつくる時は、 01kessai14 と決める。0114は子どもの誕生日12月25日を1225から1111を引いて加工、kessaiはアプリの名前、というわけだ。 そのルールを自分で決めておけば、パスワードを思い浮かべることはできる。時々はルール変更することも大事だ。 決めるのはいいが、すぐにこれを忘れてしまう。その時のために、パソコンにパスワード付きのファイルを保管し、 そこにメモしておくことだ。パスワードの管理、苦労するが大事なことだ。
中国がイギリスのBBC放送の資格を取り消し、放送ができない状態にした。理由は、今国際問題にもなっている、 新疆ウィグル族に関する報道が中国政府の気にくわない内容だ、というものだ。中国はまたしても閉鎖的な政策をとった。 臭い物には蓋、の前近代的な文化が色濃く残る中国、まだまだ現代的な国際ルールに乗れない、三流国を露呈してしまった。 お金がいくら潤沢に有っても、心が伴わなければ、人間としての道を外れる。14日から始まった「晴天を衝け」の主人公、 渋沢栄一の著作に。「智・情・意」と書かれた項がある。論語と算盤の一節だが、今の中国には、智も情も意も無い、 ただ欲だけで権力を振りかざしているだけのような気がする。もっとも、中国人全部がそうかと言えばそうではない。 一部の権力を握った人たちが、自分の権力を拡大・維持するための欲なのだろう。台湾の問題しかり、 米国がいくら世界の警察ぶって制裁を課しても効果は薄い。いずれ民衆の力が権力に打ち克つ時が来るだろう。 渋沢栄一に言わせれば、金や権力は、智情意の結果のカスのようなもので、人間が真に幸せになる行動が重要、と説く。
この英語表記、直訳すれば、「高度な感受性を持つ人」ということになる。身の周りにこういう方が居ることがある。 自分の周囲のことを気に掛け過ぎて疲れている人、気に掛け過ぎて行動が抑制される人のことをいう精神医学用語らしい。 「そんな、細かいこと気にしたって仕方ないじゃない!」とか「もっと大きな目で見て小さいところは見捨てなさい」とか言われても、 それができないで苦労している人のことなど知る由もない。しかし、こういう方のことを周囲がサポートして行ければ、 事はうまく運ぶ。職場や地域社会、あるいは家庭の中でどうすればいいのか、大切な問題だ。HSP対応が重要、と精神科医は言う。 人とコミュニケーションを取るのが苦手、できればあまり関わらずに生きていたい、と考える人は結構居る。 しかし、人と関わって生きるのが人間でもある。何かのキッカケで人に関わるのが嫌になる人が多いのだろうが、 現代社会の課題だ。人に関わらなくてもSNSという武器でバーチャルな生き方ができるから、代替手段が有るのだ。 「気にし過ぎじゃない?」というのは簡単だが、理由が有って気にする人には、それは通用しない。
天災は忘れた頃にやって来る。まさにそのことを言っているかのような2月13日深夜の激しい揺れだった。 縦揺れがトントントントンとキタと思ったら、 ユーラユーラ揺れて、「いつもの揺れと違うな」と咄嗟に思った。とたんに家の中がガサガサっというようなヨコの小刻みの揺れ、 この段階で布団から出た。10時半に床に入ったので、深い眠りの入り口あたりだっただろう。半分眠っていた感じで立ち上がった。 が、揺れがすごくて壁にもたれた。 玄関先でギシッ!ギシッ!と不気味な音をたてて揺れている。1分半くらいの揺れだったようだが、すごく長く感じた。 自室の積み重ねた本や書類は床に落ちている。地震多発地帯に住む筆者は、揺れは慣れっこになっているが、こんな大きな揺れは、 2011年の東日本大震災以来だ。東日本大震災の余震ということだが、10年もすると、忘れかけている出来事に近い。 災害は忘れた頃にやって来る、というが、まさにそのことを気づかせてくれた。枕元には懐中電灯が無かったから、 停電になっていたら大変だった。 非常持ち出し品も何も無い。用意しなければ、とは思っているが何もしていない。 自室に不安定な物の積み方をしたらいけないのは頭ではわかっている。頭でわかっていてもやらない怠慢は改めなければ。 思うのは簡単、動かないと意味が無いんだよね。
新しい大河ドラマ晴天を衝けが今日から始まる。先週終わった“麒麟が来る”で、 明智光秀ロスになっていたが、今度のドラマは最近になく期待している。幕末から明治にかけてのドラマは、いつも胸が熱くなる。 話のストーリーはだいたい把握している。 主人公の渋沢栄一の著作「論語と算盤」はとうに読んでいるし、そのバイタリティーと変化の速さ、次代の臭いを嗅ぐ力、 運を利用して開花させる能力、果敢な行動力、社会をくまなく幸福にしたいという信念に憧れる。 NHKでは、そこここで番組宣伝に力を入れる。渋沢栄一の生家、 埼玉県深谷市に広大なロケセットをつくったそうだが、クランクアップされたらそこは、観光スポットになるだろうし、 渋沢栄一記念館などはすでに観光スポットになっている。おそらく、渋沢煎餅や栄一金運饅頭など出来ているのでは、と想像する。 加えて2013年からは、1万円札の肖像画になるから、 財布に渋沢栄一が収まる(枚数は少ないと思うが…)。深谷市もネギに次ぐ観光資源にしようと目論んでいるはずだ。 先日、不惑の年齢を超えた息子の誕生日には、「論語と算盤」の本を贈り、ドラマを見るように促しておいた。
2つ叱って3つ褒め、ということばが有る。褒めると伸びる性格の人がいる。褒められてもなかなか信じてくれない人がいる。 褒められないとやらない人がいる。いろんな人が居るから、褒めるのは難しい。その人に合った褒め方をしなければいけない。 褒めるばかりでなく、叱る場面も必要。叱り方も然り、人の性格によってしかり方が違う。褒める時は人の前で、叱るときは そっと隠れて、と言われる。人の前で褒められると、褒められた人の効得感を刺激し、モチベーションにつながる。 人の前で叱ると、叱られた人の怨みを買う。難しいもんだ。しかし、仕事の場、社会生活の場、家族間でも褒めることは大事だ。 叱った後には褒めてフォローすることが重要なことを言ったのが、2つ叱って3つ褒め、だ。誉め言葉を用意してから叱る、 なんてことが常時できればいいのだが、叱るのは簡単、褒めるのがなかなか難しい。
最近のビッグ失言は、何といっても東京オリンピック組織委員会元会長の森さんの女性蔑視発言だろう。総理大臣時代、 いや政治家になってからの数々の放言癖は今も健在だ。まさかこのようなことが、国際問題まで発展するとか、 ボランティアや聖火ランナーの辞退騒ぎまで発展するとは思わなかっただろう。与党の間でも楽観論だが、だんだん民意に押されて、 結局は昨日の辞任会見だ。森さんは、まさに老害だ。 時代を知らない政治家の頑固おやじたちが息巻いている。政治家こそが時代に敏感でなければならないし、発言に対する世間の反応を 見極めなければならない。「失言」は、実は失言ではない。心の叫びが声になって出て来るのだ。心ここに有らざれば、 なので頭にないことは声にはならない。頭に有って、どこか出口を見つけた時、本音が失言となってアウトプットされるのだ。 対応する菅総理も、「男女共同参画の時代に、あってはならない」などと男女共同参画などというピント外れのことばを使う始末。 二階さんに至っては、「このくらいのことで辞めるなどというのは本物ではない」などと、聞いていられないアホとしか思えない発言だ。 こういうセンセイ方が日本の政治を動かしている実態、やりきれない。 しかし、ラグビー協会理事の谷口真由美さんが出て来てコメント、「それ、私のことでしょ!」は偉いと思った。 矢口さんのような人が居たから、ラグビーが市民が熱狂するスポーツになったのだから、説得力がある。 日本のスポーツ団体のすべてを体現しているような発言と感じだ。
あまり知られていない新しいワードが最近話題だ。トランプ政権の末期、ポンペイオ国務長官が、中国の政策「新疆ウィグル地域」 で行われている中国政府の弾圧で、ウィグル族を消滅させるための政策を ジェノサイドという言葉で非難した。 おそらく新しいバイデン政権でもこの見方を継承し、米中の新たな火種になるだろうとの観測だ。 かつては、ナチスがユダヤ人を虐殺したのも民族抹殺計画のジェノサイドだった。ある種の人種差別、人種差別よりもひどい 人権問題の頂点だ。どうして人間は人間を差別するのだろう。いわれのない差別をされるほうはたまったものではない。 ジェノサイドまではいかないまでも、国内のいわれのない部落差別の問題は、地方に暗い影を落としている地域もある。
今、クロスワードパズルにはまっている。問題を解くほうでは無く、作るほうの興味だ。ある機関誌の編集を担当しているが、 記事の量がちょっと足りなくて、スペースを埋めたいという場合が有る。読者の関心をひきたい、という時の目を誘導したい、 という時がある。スーパーの広告の売り出し品で顧客の関心を引く、という感じの効果を狙いたい(例えが良くない!)ためだ。 つくって見ると、タテとヨコを文字で埋めるのに苦労する。なかなか当てはまる単語が出て来ない。縦5、横5のマスでやっているが、 いくつかコツが呑み込めてきた。文字を埋めたら、タテのカギ、ヨコのカギを作って行く。実に頭を使うし、言葉を探すことで、 新たな発見が有ったりする。大きなマスでできているパズルに出会うと、すごいなぁと思う。
2月2日、明治安田生命が発表した 理想の上司 投票結果。毎年実施しているイベントだ。 今春社会人になる学生たちにアンケートした結果で、学生たちが “この人が上司だったらいいなぁ” と思う人を投票する仕組みだ。 まだ入社式もしていない学生たちの投票だから、社会の荒波にもまれたビジネスマンたちからすれば、 「勝手な思いの投票をするんじゃねーよー!」といった感じだが、候補に上がった人たちのイメージから、学生たちの思いが見えて来る。
男性 女性
1位 内村 光良 水卜 麻美
2位 櫻井 翔 天海 祐希
3位 イチロー 新垣 結衣
4位 設楽 統 小池 榮子
5位 J.Y.Park 指原 莉乃
6位 ムロツヨシ 佐藤 栞理
7位 大泉 洋 石原 さとみ
8位 カズレーサー いとうあさこ
9位 長谷部 誠 長澤 まさみ
10位 博多 大吉 弘中 綾香
えっ?この人知らない!という人も選ばれて居るかもしれないが、それぞれ若者に人気の有名人だ。 せいぜい新卒の学生たちには入社前の希望を持ち続け、組織に揉まれる厳しい会社生活を頑張って行って欲しい。
ゴルフをやる人なら、来場者が開始前やラウンド後に過ごす場所のことをクラブハウスと言う。同好の士が集まる場所を、 「クラブハウス」と言う。 このところ話題のSNSがクラブハウスというアプリだ。 米国で登場してまだ1年にもなっていないのに、ユーザーが急拡大しているという。まだアプリのSPECが固まっていないので、 実験段階、これから進化して行く、ということで、新しもの好きな人には興味津々だ。 アプリと言えば、普通は映像や画像がつきものだが、このアプリは、電話会議的な使い方で、提供される映像は、 利用者のプロフィール写真のみ、音声だけでコミュニケーションできる“人が集まる音声ネット空間”がこのアプリだ。 参加者は本人を名乗らなければならない、主催者から指名されなければ入室できない、会話は録音などの記録が残せない、 18歳以上でなければ参加できない、などの基本ルールが有る。 映像や画像が無く、音声だけなので目を奪われない分参加し易いとか、ながら参加ができるので良いとか、 コミュニケーションとネットワークが拡がるような工夫がされているそうだ。普及が拡大しそうな予感だ。
2月5日はプロ野球の日だった。今から84年前の1936年、全日本職業野球連盟が結成されたのを記念したそうだ。当時は東京巨人軍 (今のジャイアンツ)、大坂タイガース(今の阪神タイガース)、大東京軍、名古屋軍(今の中日ドラゴンズ)、 阪急(今のオリックスバファローズ)、東京セネターズ、名古屋金鱗軍の7チームだった。 2月5日のプロ野球の日のほか、12月26日がプロ野球誕生の日というのも有る。プロ野球で仕事をする選手は、 840名(70名×12球団)が定員だそうだ。1チーム70人のうち、一軍が28名、二軍が42名と決まっている。 楽天のマー君のように、年俸9億円も稼ぐスター選手もいれば、二軍で頑張る明日を夢見る選手、 プロに入りたくてもなかなか芽が出ない選手、過日の元大リーガーの新庄選手の挑戦で話題になったが、 トライアウトに挑戦する選手、いろいろな野球人生が有る。各球団は、感染予防に注意しながら、無観客のキャンプトレーニング が始まっている。今年のプロ野球、面白くしてくれることを期待したい。
サラリーマンなんていう用語はとっくに使われなくなって、今は“ビジネスマン”。サラリーマンの用語を使ったほうが似合う 川柳コンテストのイベントだ。♪サラリーマンは〜気楽な稼業とキタもんだ〜という植木等さんのイメージが川柳のイメージに重なる。 第一生命が平成元年に開始して今年は34回め、毎年クスっと笑える心の声が雅号とともに投句され、作品集が出版されるくらいだ。 第一生命は、先ごろ顧客を無視した、社内のガバナンスに問題が有る不祥事を出したばかりだが、このイベントに関しては、 立派な社会貢献活動となっている。 今年の作品集 は、コロナに関することばっかり。なるほど、なるほどと頷ける。この中から大賞が決まる。
1976年、女性3人のユニット、キャンディーズが出した楽曲が春一番。 左からみきちゃん、すうちゃん、らんちゃんの可愛い3人、当時20歳代だった筆者は、俺はセンターのすぅちゃん、俺はらんちゃんだな、 などと友人と勝手な妄想をしていたものだ。その春一番が昨日吹いた。春一番というのは、立春を過ぎて東京都内に8メートル以上の南風、 という定義があるそうで、昨日は観測史上最速の春一番と認定された。今までは1988年(平成元年)2月5日が記録だったそうだ。 早く春一番が吹いたことで、何かいいことがありそうな予感がする。房総では早咲きの桜が咲きだし、お花畑が色づいて来た。 伊豆河内桜の満開が中旬頃だ。昨年は河津桜の満開シーンを見られたが、今年はコロナで叶わない。来月になると、畑の菜の花が咲き出し、 おいしい菜の花のクッキングが楽しめる。しかし、東北・北陸・北海道は春一番どころか、雪が降っている。
川柳は俳句と違って、5・7・5だが、季語が無い分、風刺が効いておもしろい。最近出会った高齢者向け川柳10第、 友人からいただいたLINEから引用。
・少ないが満額払う散髪代 …そうそう、9割引きにして欲しい。
・何回も話したはずだが初耳だ …かみさんとは、いつもこれで争う。
・クラス会食後は薬の説明会 …おかげで薬の知識はすごい!。
・名が出ないアレソレコレで用済ます …そう、ソレだよ!、とわかったつもり。
・歳重ね今じゃ食べれぬ豆の数 …今年は年齢の10分の1でした。
・へそくりの場所忘れて妻に聞く …何故か、場所を知ってんだよな。
・無農薬こだわりながら薬飲む …家庭菜園はほんとうに無農薬なんです。
・立ち上がり用事忘れてまた座る …座ると思い出すんだな。
・景色よりトイレ気になる観光地 …みんなに迷惑かけたことあるもんね。
・探し物やっと探して置き忘れ …見つけたものを身体から離したらダメ!
あるある。笑って済ますが、筆者にもよくあることをよく詠んで下さった。身につまされる。
おそまつ。
不殺生:あらゆる生命を尊重する(生き物を傷つけない)
不偸盗:他人のものを尊重する(ものを盗まない)
不邪淫:お互いに尊敬しあう(男女の道を乱さない)
不妄語:正直に話そう(嘘をつかない)
不綺語:よく考えて話そう(無意味なおしゃべりをしない)
不悪口:優しいことばを使おう(乱暴な言葉を使わない)
不両舌:思いやりのある言葉を話そう(筋の通らないことを言わない)
不慳貪:惜しみなく施しをしよう(欲深いことはしない)
不瞋恚:にこやかに暮らそう(耐え忍んで怒らない)
不邪見:正しく判断しよう(間違った考え方をしない)
十善戒と言って、日々の生活で実践することがだいじ、という仏教の教え。最初の3つが身体の行い、次の4つが、 言葉の行い、あとの3つが心の行いを説いている。毎朝この教えを口にすることで、自己への戒めとなり、 丹田にどっしりと重みを感じる。世の中、マスコミが報道する悪行や事件は、はこのどこかに一致する。
映画やテレビで見る役者さん、人気が出ると、さまざまなタイトルの物語に出演するが、その時その時で役柄が違う。 その役柄を見事に演じ切って、観ている人を感動させるわけだから、すごいと思う。 その時、その時の配役を見事に演じ切って、観客を騙しているわけだ。行動や言動だけじゃなしに、性格を演じ続けるのだ。 ほんとうのその人を知らないから、“そういう人”という印象を与えてしまう。今放映中の朝ドラのおちょやん、 おちょやんの父親役のトータス松本さんなど、どうしようもない、家族を顧みず博打で借金をして、子どもを売り飛ばす、 なんていう役をやると、街中を歩いていても、石をぶつけられそうになる、という冗談を言っていた。 それだけ、役を迫真の演技でやっているということになる。役者さんはすごいと思う。
今日は節分、昔は鬼の役をやっていたが、今は豆をまく役と鬼の役の2つをやっている。迫真の演技をしてから豆を食べよう。
筆者は、痩せている割には体脂肪が多い。売られているヘルスメータには、体重の他体脂肪率、体内水分率、筋肉量、基礎代謝量、内蔵脂肪量 などが表示されるが、見ているのは体重だけだ。しかし、体脂肪率を見ると成人男性の平均値では、少し多い部類に入る。 体重は毎日運動後と風呂上りに計測し、目標体重を超えたりしたら、ストイックになって運動する。体重は上下するが、体脂肪率は、 ほとんど一定のちょっと高水準。なんでだろう?何でだろう?思い当たる節は無い。気にし過ぎも良くないとは思っているが、 先日の市の健康診断でもイエローマークが出てしまった。普通だったら、サプリメントでも、と思うだろうが、 この手の自然食品以外のものは利用したくない。食事を少し改善しようかと思っている。
ネットで物を買うことが多くなった。感染防止のため、外に買い物に出たく無いことも理由だが、ネットで購入する時は、 欲しいものが有った時に、そのショップを覗きに行って、ピンポイントで購入するから、ショッピングセンターに行った時の ようにブラブラとブラウジングすることなく、欲しいものだけ買う、という効果が有るような気がする。 「あれがいいなぁ、これも欲しいなぁ」の行き当たりばったりの衝動買いが無い。もっとも、買い物の楽しみはそれがいいから、 ということなのだろうが、買い物かごに入れて、決済の情報を入力すれば、宅配便が自宅に、というわけだ。 価格はいろいろだが、高いとも安いとも、選ぶ時にいそれがいい、となったらその金額を飲むことにしている。 店舗によっては、送料無料で、ポイントも付く、というところもあるから、店のポイントと、クレジットカードのポイントの、 2重獲得ができる。ポイントもばかにならない。昨日、このポイントで、壊れてしまった電気ストーブを買った。 ネット販売は、たぶん相当な需要と売り上げなんだろうな、と思う。倉庫代は店舗代に比べて格安だし、人件費も安いから、 儲かってんだろうな、きっと。
節分は、24節季の立春の前の日と決まっている。いつもの年は2月3日となるが、今年は2月2日になる、 という発表が気象庁から有った。 地球が太陽のまわりを1周するのに、若干のズレがあるのを補正するための措置だそうで、国立天文台が決定しているとのこと。 2月2日になるのは、実に124年ぶりということで、気象庁では“間違えないで”と呼びかけている。 節分には、各地の神社で豆まきをするが、拾うほうは、超密集の中で撒かれたものを奪い合う。 神聖な神社仏閣の境内で醜い争いとなって、あまりいい眺めではない。 しかし、今年はほとんどの神社仏閣で中止の動きだ。ほんとうは、鬼役をコロナウィルスがやって、 みんなでそれをめがけて、思いきり豆をぶつけたい気がするのだが。
無くて七癖、というくらい、誰にも癖はあるものだ。本人だけが知らない。貧乏ゆすりなど典型的だが、 見ているほうも気になりだすとイライラする。先日、テレビのバラエティ番組でタレントが貧乏ゆすりしていたのには、幻滅! 具体的に動作としては表れないが、言葉の癖とか、思考の癖とかもある。言葉や思考の癖を良く観察していると、 その人の次の行動や次の発言を予測できるようになる。当たらない時も有るが、まず当たる。こういう展開で行けば、この人はこう来るな、 といった読みが当たる。こういう物事の言い方をする時は、次はこう出て来るな、といった“傾向”は当たることが多い。 癖だから本人はわかっていない。本人に備わったパターンだから、そのことを当人は理解していない時が多い。 みんなが知っていて自分だけが知らない、という現象だ。 上手にこれを活用するとおもしろい。日常行動ではなく、アクシデントが有った時などの突発的な出来事の時は明らかにこの癖が出る。 理性的に取り繕うなどの暇が無い事態だから、その人の癖がもろに出る。そういった時に、的確で、公平で、 迅速な行動ができる人はほんものだ。
欧米人はジョークに長けている。ジョークでコミュニケーションを円滑にし、人と人の関係性をうまく作り上げる。 一方、日本人は勤勉な国民性、ジョークなどあまり慣れていない。最近のテレビのバラエティ番組などはジョークというか、 過激なことばの連続で、日本人にも“おわらい”を通してことばのキャッチボールの妙味が根付いて来た感じがする。 しかし、中身はお粗末、人の間違いをつっこんだり、容姿を笑ったり、間違いをあげつらったり、の低俗なものが多い。 欧米人のジョークは、ウィットに富んだセンスのいいものが多いように思う。成長の過程で身につけた文化のようなものだろうか。 世の中がギスギスしないよう、適度なジョークを使って行きたいものだ。
遠く離れた友人と会う機会が減ってしまった。自由に人に会うための行き来ができない状況は、互いの友情の妨げになっている。 人は人と会い、互いのぬくもりを肌で感じることこそ大切なことなのに、ソーシャルディスタンスで離れて相対する。マスクをして、 顔の半分を覆い、表情の機微が読み取れない。乳幼児が親や保育に携わる人と接するのにマスクの障壁があり、 きちんとした成長の妨げになっているという。 表情や口の動きから、人間としての対応、動作、ことばを学習していくのだから。本来の人間が必要とする機能がそがれた状態の今、 どうやってコミュニケーションの不足を補うかが試されている。遠くの友人とリモートでコミュニケーションができたとしても、 それは情報の伝達のみだ。微妙なニュアンスなど伝わるわけは無い。それにしても、インターネットが発達していたから、 ここまで、科学技術でサポートできる。ネットが無かったらもっと大変だったことだろう。阪神淡路大震災の1995年は、 携帯電話がまだ普及していなかった。情報伝達が自由にできなかった25年前多くの被災者は公衆電話に並んだ。今は信じられない光景だ。 政府は緊急事態宣言で在宅勤務を7割に、という目標を掲げているが、なかなか目標値に達しないのは、リモートでコミュニケーションが ビジネスの世界では限界にきているかもしれない。
ラグビーの五郎丸選手がキックの前に、ゴールを観ながら両手の人差し指を合わせる動作が3,4年前に流行った。 この動作が“ルーティーン”として紹介された。五郎丸選手のメンタルコーチをしていた荒木香織さんが彼に提案したとされる。 このルーティーンをつくることによって、メンタルな安定を図って、精神的な強さでキックの不安を払拭したのだそうだ。 以来、“ルーティーン”の意味がが社会に根付くことになった。コンピュータプログラミングの世界では、何度か繰り返す流れを、 ルーティーンと呼ぶことは知られていた。この繰り返しを日常の生活に組み込み、ルーティーン化すると、 割合その日1日が上手く流れることがある。朝起きてから朝食を摂るまでのルーティーン、仕事に取り掛かるまでのルーティーン、 好きなことに没頭するときのルーティーン、パソコンに向き合う時のルーティーンなどを、意識して行っていると、 それが習慣化し、1日の流れがリズミカルにスムーズに行くことが多い。
テレビ派ですか?ラジオ派ですか?と聞かれたらラジオ派だ。居間に居る時はラジオだ。 このコラムのネタをラジオから得ることも多い。かみさんはテレビ派だから、テレビを見だしたらラジオを止めるが、 テレビが点いていない時はNHKか、FM東京がかかっている。目が奪われないから、何かをしながら“ながら”で音を楽しめる。 映像が無いから、頭の中に情景を勝手に想像できる。本を読む時は、トーク番組よりも音楽番組の時が良い。 ウォーキングする時は地元のFM番組で情報キャッチする。ただし、趣味の陶芸をする時は無音でラジオはNG。 轆轤を回す時は雑念に捉われたくないからだ。最近はスマホで世界中の放送がネットで聞けるようになった。 でも、こだわりは、チューナーを回して周波数を合わせて、キューンといった音から、一番聴こえが良いところを探すことにある。 デジタルやリモートで周波数を合わせることに抵抗がある。
長続きしているもの、を考えるより長続きしないもの、を考えたほうがいいかもしれない。「禁煙をする」、「ダイエットする」、 「日記をつける」、「家計簿をつける」、「片づけをちゃんとやる」、「長続きするようにする」…… 新年は何か続くものをやろうと目標をたてる。目標を立てるのは簡単、しかし、継続するのは大変。 続けて行くことが、そのうち負担となって今日1日くらい休んでもいいだろう、なんていう日が重なり、 パッタリと休止してしまう、ということが多い。ダイエットに至ってはリバウンドになって、効果どころか前よりも悪い結果となる。 毎日続けよう、なんていう目標よりも、たまには休んでもいいさ、などと少しアバウトな目標のほうが気分は楽だ。 しかし、長続きし出すと“そのこと”をやらないと1日が終わらない気持ちになり、その行動が生活の中に定着して行く。 日常生活の中の行動の外に、そのことを置くのではなく、生活軸の中に組み込まれた時に日常の長続きアクティビティになる。 筆者の朝のルーティーンは、毎朝6時半のラジオ体操。体操をすることでその日の身体の状態が聞こえるし、今日のスタートの一歩となる。 寝坊したいのに起きなければならないし、旅先などで時間や場所を確保するのに苦労することがある。 高速道路のパーキングに車を停めてやったこともある。続ける努力もまた楽しいものだ。
このコラム、1月16日にフードロスの話題を書いた。ここでは、フードバンクで、企業や団体で余剰や廃棄となる食品の リユースについて触れた。フードドライブというのは、 食品を寄付する側が、企業や団体ではなく、一般家庭である点が違うところだ。一般家庭で眠っている食品を寄付してもらい、 食べものに困窮する人に支援する、といった活動で、全国に活動拠点のNPOが設立されている。 一般家庭で眠っているものと言えば、冠婚葬祭などでもらったお茶・コーヒー・出汁など、安売りで買いすぎてしまったもの、 お中元やお歳暮でいただいたハムや麺類…など考えられるが、こういったものを供出してもらうわけだ。 ただ、日本人には何となく人からもらう、という行為にネガティブな意識が強いことから、積極的に手を揚げて、もらう人が 出て来ない場合があるようだ。因みにドライブ、と言えば運転する、という意味に取られるが、“寄付する”という意味もあるそうだ。 いずれにしても、食品がロスされることを防ぐ活動、社会に優しい行為だ。コロナ禍でバイトが無くなって困窮している学生たちを 支援する、子ども食堂の活動に支援する、など頼もしい活動をしている。
グチ、愚痴、カタカナで書いたほうが気分が出る。グチは生ごみ、と精神科の医師がテレビで言っていた。なるほど、 捨てなければいけないが、 捨てるのが遅れると悪臭が出てしまう。捨てるタイミングと捨て方が問題だ。筆写のグチのハケ口はこのブログだ。 読まれる方には迷惑になっているかもしれないが…。グチは吐き場所を間違えると、 他人に不快な思いをさせてしまう。貯め込むとストレスになってしまう。それをどこかで吐き出したほうが精神衛生上とても良い。 その発散場所をどこかに見つけられればとても良い。twitterにそれを見つけている人もいるようだが、これはリツイートで“炎上”したり、 真意がねじ曲がったりしてしまう。信頼できる人をハケ口にしている人、行きつけの飲み屋のマスターやママが、 ハケ口になっている人も居る。しかし、聞かされるほうもたまったものではない。グチを言う人は、 「そうね、そうだよね」という同意が欲しい傾向だ。SNSで“いいね”をもらったりすると、賛同された(と思って)安心感がある。 スマホのアプリで、グチを聞いてくれるものもある。グチを吐き出すための陶器のツボが真面目に販売されている。 グチになるのは、自信の考えや行動と現実がズレている場合でだ。生活上、仕事上のこといろいろある。グチは有ったほうがいい、 と筆者は思う。しかし、グチでストレスを貯めないための効果的な対処法が無いとまずい。
今日もあいだみつをさんの言葉からの引用。彼のことばは、筆者の心にグサっグサっと突き刺さる。
1.バカのおかげでお利口が光る。
2.落ちてくれる人のおかげで合格できる。
3.負けてくれる人のおかげで勝たせてもらう。
4.脇役のおかげで主役が生きる。
5.職場が有るから働ける。
6.後輩のおかげで先輩になれる。
7.子どものおかげで親になれる。
8.嫁のおかげで姑になれる。
9.相手が無ければケンカもできぬ。
10.聞いてくれる人のおかげでグチもこぼせる。
11.下水のおかげで水も流せる。
12.読んでくれる人のおかげで書かせていただく。
そうだ、そうだ、そうなのだ…。
かねがほしい
のにほしく
ないような
ふりを
するとき
あるある…、こんなシチュエーション。つい見栄を張って本心が言えず、カッコつけてその場を繕ってしまい、 心の中で自分にチッと言ってしまう。あいだみつをさんは、この詩を書いた裏に、講演を頼まれた時に、「講演料はおいくらですか?」 と聞かれて。「いくらでもいいですよ」と言いながら、本心はたくさん欲しいと思っていたことから、思ったそうだ。いつでも 本心を言えればいいのだけど、なかなかそうか行かないのが世の中だ。
部屋の書棚から、ひょっこり出て来たメモ、出典は不明だが、読んでもらいたいために出て来たのか。 しかし今の自分には思い当たる節は無いが、心に留めおきたい文だった。
みんなでやらねばならぬ重要な仕事があった。
誰かがきっとやるだろう、と皆が思った。
誰でもやることができただろうに、誰もやらなかった。
皆の仕事なのに、と誰かが腹をたてた。
誰でもやれることだと皆が思った。
しかし、誰もやらないだろうとはだれも気が付かなかった。
誰かに頼んだ人は誰も居なかったのに
最後は皆誰かのせいにした。
あるある…。ありそうなことだ。
今日はイソップ童話からの話材。
偕成社文庫イソップ童話二宮フサ訳、から抜粋転載。
『ある人が馬とロバを飼っていました。ある日この人は、その馬とロバを連れて、旅にでました。とちゅうで、 ロバが馬に言いました。「お願いです。もしぼくを生かしておきたいなら、ぼくの荷を少しになってくれませんか。 重くて死にそうです」馬は聴こえないふりをしてすましていました。そのうちに、ロバは疲れ切って、倒れて死んでしまいました。 すると主人は、ロバに乗せてあった荷物を、全部馬の背なかに背負わせました。その上、死んだロバの皮まで積みました。 馬はため息をつきながら、いいました。「やれやれ、まったく、おれはついていないなあ。なんてひどい事になったんだろう。 軽い荷をになうのをいやがったばかりに、ごらんの通り、全部背負わされて、おまけにロバの皮まで運ばされるとは」
この話は、強いものが弱い物の見方になれば、両方とも助かって無事に暮らせるのだと教えています。』
イソップ童話にちょっと興味を持った。
昨年の朝の連続ドラマエール。作曲家の古関裕而さんがモデルのドラマで、 昭和のヒット曲のみならず、オリンピックの入場行進曲や高校野球の入場行進曲、阪神タイガースの応援歌など、 今でもよく聞く曲を作曲した人だ。福島県生まれの古関さんだが、その弟さんが茨城県阿見町にお住まいだった。 その縁で古関さんは弟・弘之さんのお住まいの小学校の校歌を作曲したという。 弘之さんはすでに他界しているが、デザイン系の仕事をしていて、絵が得意だったという。 休日には画材を持って自転車でさまざまなところにスケッチに行き、お住まいの近くに有る お蕎麦屋さんに昼食を食べに、ひんぱんに立ち寄り、マイ煙管を置くくらいだったという。 その縁で、お亡くなりになったあと、弘之さんの息子さんがこの蕎麦屋さんと協働で絵の展示を行っているのだ。 地元の情報誌でこのことを知り、一昨日お蕎麦屋さんに行って来た。ギャラリーも持っていて、 営業日は金曜、土曜、日曜、月曜の12時から3時まで、というお蕎麦がおいしい、展示もおいしいお店だった。
食料自給率が50%にも満たないわが国で、食料の廃棄量が年間2,550万トン(消費者庁統計)とも言われる。 このうち、まだ食べられる量が612万トン(農林水産省公表)、このもったいない量を有効活用しようという動きが活発だ。 フードバンク活動をするNPOが各地に設立されている。 企業が生産活動する中で、包装が破損した、在庫を過剰に持ってしまった、パッケージの印字ミスをしてしまった、 など中身の品質には影響しないが、販売できなくなったものなどは廃棄処分される運命。こういったものを引き受け、 国内で食料に困窮する団体や個人に配る活動をしている。農家などでも、規格に合わない曲がったきゅうりや、短い大根、 カタチの揃わないトマトなどは廃棄されるが、こういった野菜が「子ども食堂」で使われたりする。 先ごろ、サッポロビールが、缶ビールのプリントにスペルミスをして販売中止にしたことに対し、SNSで廃棄もったいない、 の声が上がり、いったん決めた販売中止を、スペルミスのままで販売することに決めた。いいことだ。 そのことも良いが、消費者が「もったいない」と声を上げたことが素晴らしい。
サイレント・マジョリティ(silent majority)=日本語に訳すと、「静かな大衆」、「物言わぬ多数派」 となる。 積極的な発言をしない多くの人たちは、何も言わないから表に出て来ることはない。実はこの人たちの声がマジョリティに なっていることがある。1976年に時のアメリカの大統領、ニクソンさんが演説した。ベトナム戦争に反対する一部の学生たちが、 反戦運動をしていたが、「反戦運動や声高な発言をしない国民の大多数は、ベトナム戦争に決して反対していない」と 誤った判断をした。ところが、大多数の国民が反対していたのだ。この時から、サイレント・マジョリティという現象が有ることが、 注目されるようになった。サイレント・マジョリティの反対語は、ノイジー・マジョリティ。声高な少数派、という。 マスコミに出て来る、大衆に迎合する評論家の声などはそうかもしれない。大事なことは隠れている、ということだろう。 特に日本の場合は、物言わぬ大衆が多いような気がする。政治の世界、マーケティングの世界など、サイレント・マジョリティを どう読むかが、良い仕事をする条件だろう。
電化製品は、買って来たらコンセントにプラグを差し込み、電源を入れればすぐに使える。最近の家電は、 高度な機能が搭載されているから、最初の設定が必要なものも有る。が、そんなに面倒ではない。しかし、 パソコンやタブレット、スマホに至っては、面倒な初期設定が必要だ。 パソコンを使いたい…と思ってもこれが大きなハードルになる。新聞広告に、おうちですることは2つ、 (1)電源コードを差し込む、(2)電源ボタンを押す、ですぐ使えます。と有る。 企業や官庁で用済みとなった、古いパソコンをリユースして売却する会社の、展示販売広告だ。 最近、こういう会社の展示即売会が結構開かれている。再活用するのは、いいことだ。 Windows10にOffice2016という少し古いソフトが付いていて、ネット接続できるから、 使い方によっては安い買い物となる。ただ、使い方によっては、物足りない買い物となる。 購入する層は、50代以上が7割、明らかに高年齢の、パソコンに疎い人をターゲットとした、ビジネスだ。 価格は2万円台、3万円台と、量販店で展示のものの半分以下。 手ごろなこれらの機器、中高齢の人たちの活用促進になればいいのだが。
ただ……、何となくパソコンを使えれば、といった活用目的が具体的に無い人には、 部屋に鎮座したままになる可能性が高い。逆に、大いに使いこなしたい、 という人にはタスキに短しの機器となる可能性が高い。
ついにここまで来てしまった。ニュースを見た人は誰もが目を疑ったに違いない。 ホワイトハウスの議事堂で審議中の国会の最中に、暴徒が乱入。考えられない事態に、 “民主主義がここまで堕落してしまった米国の見にくい姿”を垣間見てしまった。 どこまでアメリカは堕落するのだろう。 しかし、これが今のアメリカ社会の現実であり、社会の課題だ。ポピュリズムもここまで来れば、 似非(エセ)信仰宗教だ。これを主導する人物は、自分の発言が社会をどう動かすかの責任を持たず、 無責任に他人や制度に転嫁する。良識ある米国の姿は、もう一方の姿に置き換えられてしまう。 20日の大統領就任式は多難な船出になるだろう。ポピュリズムが台頭した社会、これを安易に許してはまずいのだ。 利己から利他へ、米国ばかりではない、我が国も価値観の転換が急がれる。SDG’Sの大切さが世界中で認識され、 各国がこれに力を入れて、地球環境を守ろうと努力しているが、それ以前の野蛮な行為、 何としても止めなければならない。
心理学で使う、マズローの欲求5段階説。 第一は生理的欲求、第二は安全の欲求、第三は社会的欲求、第四は承認欲求、第五は自己実現欲求。 第一の生理的欲求が満たされて、第二の安全欲求が実現、安全欲求が満たされて、第三の社会的欲求が満たされる、 という具合に、前の欲求が満たされて次の欲求を欲するという、人間心理のことだ。 承認欲求は4番め、自分を誰かに認めてもらいたい、という欲求だ。自分が誰かから認められた、という意識、地位や名声などもこの範囲だ。 成人式のシーズンだが、今はあまり無くなったが、成人式が荒れて、とんがった連中が大暴れする、などのやんちゃ行為も、 この承認欲求を実現するための誤った手段だ。暴走族も、自分たちの存在を誇示するための誤った行為だ。今風では、SNSの“いいね”、 の数で一喜一憂したり、フォロアー数を競うのは、まさに承認欲求そのものだろう。 そういうメディアで承認欲求が満たされる昨今だから、若い人がやんちゃで満たす機会が減っている、という学者も居る。 若い人からお年寄りまで、形の差は有るが、承認欲求は人間として当然のことなのだ。 ホワイトハウスを去る米国の大統領などは、間違った承認欲求の塊のような気がする。
雪深い田舎で育った筆者は、冬が嫌だった。猛吹雪の中、毎朝の道づくり(雪かきではなく、 雪を踏み固めて歩く道をつくる:踏み俵という藁でできた大きな筒を長靴ごと履き、雪を踏み固める)、 玄関前の雪かき、屋根の雪下ろし、これらが重労働だったからだ。 子どもの頃は、滑り台をつくったり、かまくらをつくったりの遊びは楽しむことは有ったが、 雪に対する良い想い出は少ない。 雪は害だと思っていた。今年の日本海側はまさに、そういう状況だ。高速道路で車が立ち往生、 一般国道でも1台がスリップや事故を起こしたら、そこから後ろが大渋滞になってしまう。秋田県などでは、 自衛隊に災害派遣を要請、高齢者宅の屋根の雪下ろしをしてもらった。雪が屋根に積もると、 雪の重みで障子が開かなくなる。開かなくなるどころか、倒壊の危険がある。雪にはものすごい重量がある。 これを丹念にスコップで屋根から落とすわけだ。落とす場所も考えないと、隣の敷地だったり、 家の玄関先だったり、状況判断が大変だ。 最近の家は、雪下ろししなくても、自然に滑り落ちるように設計された住宅も有るが、滑り落ちた雪で埋もれて亡くなる、 などの事故も頻発している。独り暮らしの高齢者などは、成すすべがない。自治体では、除雪費用を計上しているが、 その経費が財政を圧迫する。雪は害、雪国の人たちは悲鳴を上げている。
顔、特に口や目の周囲には表情筋というものが有る。 人間には表情が有り、喜怒哀楽の表現をこの表情筋が司る。 表情が豊かだな〜と思える人が居る。この表情筋が活発に活動している人だ。表情が余り無いなぁ、 と思える人が居る。いわゆる仏頂面の人だ。 こういう人は、表情筋が上手に働いていないから、相対する人には、その人の感情が読み取りにくい。 ことば、表情、声の表情、ボディランゲージ、などいろいろなメッセージの伝え方が有るが、 言葉そのものの力は7%、声の表情は38%、表情とボディランゲージは55%という研究結果が有る。 つまり、相手にものごとを伝え、コミュニケーションを取る方法は、とても繊細であることがわかる。 SNSが全盛の時代、文字だけでコミュニケーションするには、限界があるというものだろう。 メールやLINEやツイッターなどでコミュニケーションが成立するかと言えば、 伝達機能しかない、脆弱なものとなるだろう。コロナ禍でマスクをしているから、 この表情筋がうまく機能していないことが多く、表情筋の退化に繋がっている、と警告する人も居る。 積極的に使いたいものだ。
国際宇宙ステーション、ISSが夕方の空、明け方の空に2回見ることができた。金星くらいの明るさで、 ゆっくり南西の空から北東の空に流れて行った。自身が光を発していないので、これは太陽光の反射だという。 あの中に、大西聡一さんを含む4人が乗っている。地球の400キロ上空で仕事をする人たちがいることが、すごいことだ。 地球の周囲を90分で周回しているというが、無重力空間で、食事は?、寝るのは?、トイレはどうする?、 体調が悪くなったら?、バッテリーが無くなったら?、通信が途絶えたら?、などなどわからないことや、 心配することがキリが無いくらいある。 一時、民主党政権時代、研究開発予算が大幅に削減され、困窮したことも有ったようだが、関係者たちは、 着実に成果を上げ、国民の関心が向くこととなった。12月初めの、はやぶさのカプセル帰還のニュースもすごかった。 宇宙飛行士たちは、「将来を担う子供たちに夢を持ってもらいたい」と口をそろえる。 茨城県つくば市には、宇宙飛行士になるために、理系の大学に入り、その道に行くための塾がある。 子どもたちが夢を持てることは、嬉しいことだ。
写真はJAXAのHPから無料ダウンロードできる。
1月4日、昨年1年間の交通事故死者数が、警察庁から発表があった。前年比376人(11.7%)減の 2,839人だったそうだ。統計が残る1948年以降での最少記録を4年連続で更新したという。その昔、 交通戦争と言われ、年間の死者数が2万人近くとなり、“交通戦争”とも言われ、1961年には流行語にもなった。 それ以来、統計を取り始めて、初めての2000人台まで減少した。 東京都が53年ぶりに154人で全国トップだったそうだ。36道府県で前年より減少した一方、 11都県では増加したという。どうも、交通量が減った都心部で車のスピードが上がったのでは、という観測だ。 警察庁の担当者は「死者数の減少は車の安全性能の向上や、交通違反の取り締まり強化など、 さまざまな要因が考えられる。」と自画自賛のコメントを出している。 新型コロナウイルスの影響で、外出しなくなったのが、地方での減少傾向も有るのでは、と思う。 交通事故死の減少と同じ傾向が、コロナ死亡、自殺死にも表れて欲しい。
JAF(日本自動車連盟)の機関誌『JAFメイト』に掲載された情報に目が止まった。「信号機の無い横断歩道で、一時停止する車の割合、 都道府県別」というものだった。全国平均の21.3%を超えた都道府県が、23有った。1位は長野県の72.4%、ダントツだった。2位兵庫県 (57.1%)、3位静岡県(54.1%)、4位新潟県(49.4%)、5位島根県(43.2%)、山梨県、長崎県、愛知県、福岡県、宮崎県、石川県、 広島県、茨城県、三重県、福島県、千葉県、熊本県、山形県、神奈川県、岩手県、北海道、鳥取県、秋田県(21.8%)と続く。 調査は、各都道府県から2か所の、信号機が設置されていない横断歩道で実施、9,434台の車の調査結果だという。 4年ほど前。信号機の無い横断歩道を徐行運転した家内が、しっかりと止まらなかった、という理由で「安全運転義務違反」 で捕まった。同じ横断歩道を何度も通過しているが、筆者も歩行者のために停まったことが少ない。 もし自分が歩行者だとしたら、停まってくれないかなぁ、と思い続けるに違いない。 今年は歩行者にやさしいドライバーになろう。
昨日は小寒だった。この日から寒くなる、という暦通りの気圧配置となった。寒の朝、東京豊洲市場では、魚河岸初競りがあった。 市場に並べられた立派な黒鮪、208キロが2,084万円で競り上げられた。毎年、億単位の価格がつく初競りだが、今年はガタイも小ぶり、例年よりも競り値が安く、市場関係者が落札したそうだ。国際間の鮪の漁獲規制で、代々続く大間の漁師さんたちも、 苦戦を強いられているそうだ。この時期、シケた海に漁船を出し、イノチをかけて一攫千金を狙うという。
鮪の漁獲高ランクは県別に、1位静岡県(3.5万トンでダントツ)、2位、高知県(2.3万トン)、宮崎県、鹿児島県と続き、 大間の青森県は11位。黒マグロで比較すると、青森県は1,090トン、静岡の10倍にもなる。 青森は国産の黒マグロで勝負していることがわかる。 鮪は全世界の消費量211万トン(2012年のデータ)、そのうち10%が日本国内で漁獲、9%が輸入、 世界の19%を消費していることから、2016年、国債鮪管理機関で漁獲量規制の決定が成された。 黒マグロは、年間約10000トンが養殖もので供給され、養殖物は年々増加の傾向とのことだ。
昨年12月29日から1月3日まで、NHK総合で、1985年に放映された“NHK銀河ドラマ”の たけしくんハイが放映された。 チャンネルを回してたら、偶然見かけた、という状況だったが、いい番組に巡り合えた。 北野武さんの自伝的小説がドラマになったものだが、下町の貧しいペンキ屋さんの家から、 さまざまな物語が展開する。おばあちゃん、父親、母親、たけし、兄弟、近所の人たちが織り成す日常風景のドラマだが、 今では失ってしまった、普通の下町人情や、江戸っ子気質の家族模様が展開する。 家族関係、地域社会のつながりや人間関係など、人と人のぶつかり合いと、困難に立ち向かったり、慰め合ったり、 祝ったり、物を貸し借りしたり、裸の人間同士のぶつかり合いが小気味良かった。 近年失って来たものが、懐かしく再現されている映像だった。 正月に、いい番組に出会った。思わずNHKの番組ページに感想を投稿してしまった。
昨日の「優」に続き、今日の「利他」、これも今年の行動規範にしたいことばだ。利己の反対が利他、尊敬する経営者の稲盛和夫さん(京セラ の創業者)は、経営に利他の心を説いている。仏教の世界では、亡己利他(もうこりた)と言い、自己を亡くし、 他の人のために利する行動をすることを言う。世の中、オレが、オレが、という世界になって来ている。ナショナリズムに象徴されるように、 国際間の枠組みを無視して、自国の利益になることばかりの政治が多くなって来ている。個人に至っても、自分の世界に浸って、権利を主張 するような行動が多い。利他を意識すれば、そういったギスギスした世界が変わるだろう。自分の意見を主張するのは必要なことだ。 しかし、互いの妥協点を見出し、それが全体にとって良い結果になるよう行動する、これが今必要なことだ。 “優”を実現するため、“利他”の行動に気をつけたい。
人には優しくありたい、地球や自然にも優しくありたい。優しいという字は、にんべん+憂(うれい)と書く、とおっしゃるのは、 瀬戸内寂聴さん。 今年100歳を迎えるという。寂聴さんは、京都にある 寂庵で、来訪される人たちに法話を行っている。定員150名のお堂は、 いっぱいいっぱい入れて、200人は毎回入場していたそうだ。このお堂に、今は誰も訪れることがない。人が居ないのは寂しい、とおっしゃっている。 お堂での法話の最中に、参加者のひとりが、「妻を亡くして寂しい」と悩みを打ち明ければ、周囲の人たちが救われるという。 悩みを持つのは自分だけじゃないんだ、と人は人から救われる、それが憂いを人(にんべん)が救う、「優しさ」になるのだそうだ。 優しくなるのは、簡単そうで難しい。
1月1日の夜中に見る夢が初夢、今朝は、夢を見ないで目覚ましが鳴った。夢になるようなテーマが無かったのか、夢に至らず、ぐっすり寝ていたのか。 寝ていてみる夢は不思議なことが多い。知っている人が出ては来るが、一緒に居ることがあり得ない“出演者”だったり、 経験したことが無い不思議な場面に居たり、色がついていたり、音が聞こえたり、はっきり覚えていたり、おぼろげだったり、 気分よく目覚めたり、夢の続きで重苦しく起きたり、いろいろだ。経験したことは無いが、正夢もあるらしい。
寝てみる夢ではなく、自分でつくる夢は、いつも見ていたいなぁ、と思う。 叶いそうにない、手の届かないところにあるのが夢、しかし、その夢が有るから自身を鼓舞し、頑張れる。 「夢だから…」と思ってあきらめるのではなく、そこに向かって歩き続けることが大事、歩いているうち、ちょっとずつ周囲の景色が変わり、 少しずつゴールが近づいて来る。
1月1日(いちげついちじつ)という歌が有る。今はあまり歌われなくなったが、♪と〜しの は〜じめの ためし〜とて〜、というあの歌だ。 まつたけた〜てて かどご〜とに〜と続くが、松飾をする家が少なくなり、玄関先にリースの正月飾りをする家が増えた。 中には、松飾のイラストが印刷された紙を、ペタっと貼っているお宅もある。筆者は、自宅玄関前に自作の 門松を用意する。 天皇陛下は朝5時半に起きて、束帯を着て祈る儀式を行うのが慣例だという。今年は新年の一般参賀を行わないので、 ビデオメッセージをこの時間にネットで公開した。
元日の今日は、今年の目標を決めよう。筆者は高齢者到達の年齢を過ぎたが、この年齢では、まずは健康が第一だ。 自身の健康はもちろん、家族の健康だ。病気や怪我をしてしまったら、 普通の健康な身体になるのが目標になるから、健康な時に描ける目標が更に遠い距離になる。健康であれば、買い物に行ける。 食べたいものが食べられる。歩きたいときに歩ける。友達に会いたい時に会える。何でも好きな行動を起こせる。 その次がお金かな?愛や夢が有っても、まずはお金が無いと…。宝くじで当たるような高額は要らない。 生活費にちょっと足した金額でいい。3番目に目標だ。筆者は目標が無いと、毎日の生活がシャキっとしなくなる。 手に届くところからちょっと高い目標が良い。
大きく世の中が変わった1年が幕を閉じる。新聞やテレビ番組では、年末特集として、この1年間、 社会が新型コロナウィルスと戦って来た経緯をまとめて特集している。 実は昨年の10月半ばには、中国で人からウィルスを検出していた、11月に採取した下水に今と同じウイルスが存在する、 などという研究結果が報道されている。明らかに初動体制の甘さが露呈しつつある。 パンデミックが起こった経緯を検証することも大事だが、この経過を学習し、次の世界をつくることに生かさなければならない。 振り返ることも重要だが、コロナで起こった革命を、昔は昔、今は今、次は次、と前を向いていく必要が有る。
今日は年越しそばを打ち、無観客の「紅白歌合戦」を見て、元朝参り客が閑散とした「ゆく年くる年」を見て、という1日となる。 年は明けて、例年と同じ元朝ウォーキングでご来光を拝み、気持ちも新たにお屠蘇をいただき、といったパターンになるだろうが、 残念ながら、天候はあまり良くないようだ。日本海側は大雪の元日となりそうだ。
牛歩の如くでも、自身の生活を変えて行く1年になるだろう。初めて、家族で集まる年始行事を中止した。 オンラインで年始の顔合わせをする予定だ。孫へのおとしだまは、すでに親に渡してある。春先には家族みんなで集まって、デイキャンプでもしようかと楽しみにしているが、今のこの感染ペースが沈静化すればの話だが。
都営地下鉄で、新型コロナ感染の影響で運転士が足りなくなり、正常な運行に支障を来たす、ということが12月27日に有った。 東京都で感染拡大のおり、こういった公共交通機関が、正常な営業に影響を及ぼすような事態は、今後も十分考えられることだ。 今後、特に交通、電力、道路、水道、ごみ収集などの生活インフラを支える現場で、クラスター感染が発生したら、 その現場で働く人たちのバックアップが、課題になることが顕在化して来た。生活インフラが止まってしまったら、 市民生活に重大な影響を及ぼす。コロナと戦う医療関係者の方々には年末年始が無い。毎日毎日感染リスクと背中合わせで働き、 気の休まる暇も無いお医者さん、看護師の方々が気にかかる。医療関係の方々も、同じ人間だ。どう考えても、 正月を家族とまともに過ごせない、もはや使命感を頼りに奮闘する医療関係の方々、医療崩壊の問題は、 コロナ以外の日常の医療体制にも大きく影響を及ぼすから、深刻だ。 我々は、そういうことを考えて生活しているだろうか。あらゆる感染防止のために、自分ができることを実践したい。
ボヤきたくないけど、ボヤかずには居られない。今年最後のボヤきとなる。
なんだ!この企業は。一般人の常識を覆す社長以下の謝罪記者会見。そもそも、耳を疑うような発言が、 幹部から出ることが許せん企業だ。12月22日、幹部たちが雁首を揃えて平身低頭する姿は滑稽だった。ここで社長が語ったこと。 禁止のルール徹底と、顧客へ注意喚起/緊急研修、行動規範の改訂や厳罰化/管理責任の明確化、監視や監督対象の拡充/ 営業員のあるべき姿の設定と企業風土の改善……。なんじゃこりゃ〜。よくもこんな当たり前のことをぬけぬけと言えるもんだ。 〇一生命の営業社員の不祥事で、5人の女性営業社員を懲戒解雇した会見で、稲垣社長が発言した。 そして800万人の全契約を確認作業をするという。日本郵〇の場合とかなり似た、会社の末期症状だ。 どうやら、営業優秀社員が多少の悪事を働いても、会社幹部は何も言えない企業風土が有って、その温床が長い間、 悪の巣になっていたのだろう。一営業社員に忠告もできない会社幹部。コンプライアンスやガバナンスなんてものを感じさせないこの会社、 そう簡単には改革できないだろう。 企業風土というのは、長い期間かかって構築された文化なのだから。早い話、こんな会社の顧客にはならないことだ。
年末恒例の…と言いたいところだが、まだ数回しかやっていないイベントだから、恒例にはちょっと遠いが、 Twitter社の 今年の#Twitterトレンド大賞 が12月22日に発表になった。 Twitterは、さまざまな功罪が有るが、テレビのニュース番組などでリアルタイムに取り上げられるなど、 良く利用されるSNSメディアに成長した。 間もなくホワイトハウスを去る、トランプ大統領が自身の考え方を広報官を経由しないで、直に表明することが常態化し、 日本でも政治家のツイッターが、 見られるようになった。ハッシュタグと言われる、タイトルキーワードでオピニオンを表現できるから、 テーマは、世の中の動きに大きく影響する。 上位から、コロナ/#検察法改正案に抗議します/緊急事態宣言/100日後に死ぬワニ/鬼滅の刃/動物の森/ ブルーインパルス/トランプ大統領/センター試験/安倍総理、と続く。この種1年を振り返るイベント、 どこでも新型コロナの話題で、いささか辟易するが、 来年はこのワードや話題が無くなって欲しいものだ。 特別賞には、#Stay Home、スポーツ賞には、大坂なおみ、が選ばれた。
安倍前総理大臣が検察から事情聴取され、その後国会で説明した。とても説明責任を果たしたとは言い難い釈明だ。 刑事責任は問えないのではないか、という観測だ。え〜〜〜〜っ?取り調べで冤罪が多くつくられている一方、 時の権力者の場合には、“やっていない”でごねたら、ごね得なの?と素人考えで思ってしまう。第一秘書官が有罪になっても、 監督責任が問われず、部下を犯人にして、のほほんとしている上司は、誰が考えても許せないないんじゃネ!。 いい上司は、部下のために自分が罪をかぶってしまう、これが武士道というものだ。 話変わって、元農水大臣の吉川盛元サン、500万円の賄賂問題が出たら、すぐに入院するという、政治家の常套手段をとった。 選挙事務所が家宅捜索された。みんなに迷惑をかけるから、と議員辞職。辞職すりゃ、罪が逃れられるわけではない。 なんと金まみれの議員サンたち。怒りが静まらない。またもボヤいてしまった。
来年度の国債残高(国の借金)が990兆円という、天文学的数字が出ている。コロナ対応など、国民ひとりあたり10万円の支給、 よくもああいう大盤振る舞いができるもんだと感心し、国の財政大丈夫かな、と心配しながらもらった。その後の政府の支出は、 報道される通りだ。全部、われわれの税金と国民からの借金で賄われている。この膨らみ、そもそも政治家は事業家と違い、 稼ぐことをしないで、使うことのみ考える、損得勘定ができない脆弱な人たちであることが問題だ。おそらく、 頭の中にバランスシートが無く、このくらい投資(お金を使う)したら、これだけメリットが有る(リターン)、経費をどうやって 調達するか、という感覚が無いことが原因だ。財務省に対して数兆円の支出をYESと言わせてしまう、 ドンの政治家、あなたがガンなんです。足りなくなったら国民から借金(国債の発行)をして賄う、 という安易な手法に頼らざるを得ない。 これが代々積み重なって990兆円になっている。償還するのは、後世の人たちだ。もはや破綻寸前になっているのは、日本だけでは無いようだ。
そういうことを思いながら、渋沢栄一の業績を描いた次の大河ドラマが楽しみだ。
12月21日の朝刊に、「発表!就職人気企業ランキング(2022年卒)」という、大きな見出しで1ページの広告記事が掲載された。 就職情報会社学情が調査したデータを公表した。 就職情報会社は数あるが、それぞれは公的団体ではなく、立派な株式会社として事業を営む。 学生や社会に情報を提供することを仕事にしていて、人気ランキングは、目玉事業のひとつとして各社が広報する。 今回の発表は、2022年卒業予定の学生に対し、2020年6月1日から12月6日までメールで調査、7675名から回答してもらった結果だという。 世に名だたる有名企業100社がランキングされている。毎年、その時その時の社会情勢が色濃く反映され、今年はコロナ禍に強い企業が人気に。 男女別、理系文系別に発表された。経常収支の良い会社が人気なのは言うまでも無いが、こういう情報が独り歩きし、 学生たちが就活するよりどころとなる側面もあるだろうから、影響は大きいのだろう。企業の人事や広報などの担当者も、 この情報、ランキングが上がったの下がったのと、一喜一憂しているに違いない。
最近、スポーツ新聞で、取材した内容に誤りが有り謝罪、ということが起こった。特にスポーツ紙や週刊誌は、 契約ライターが記事の売り込みをしてナンボ、という世界、書くほうも必死なのだろう。 記者が綿密な取材をせず、ツイッターなどの情報から記事を起こしたり、有名人の言ったことから記事を捏造、というケースだ。 よく裏付け取材をせず、またその記事に反論する立場の人の取材をしなかったり、安易に記事をつくった結果、 事実と異なることで謝罪に追い込まれてしまう。 こういった記事のことを、こたつに入っていても書ける、ということで、『こたつ記事』と言うらしい。 筆者のこのコラムも、興味を持った事案を書こうとして、わからないことは調べて書いているから、 “思い込み”となることも否めず、こたつ記事の範疇かもしれない。ネットで調べる時には、ひとつのサイトだけでなく、 さまざまなサイトを調べ、ネットだけでなく、他の文献も調べ、自分なりに信頼するほうを参考にしてはいるが。 ネットの中には、“まとめ情報”として、 広告検索の表示を埋め込み、そのフィーを獲得するためのいい加減な情報も多く有るから、 URLなどもオフィシャルサイトのほうを見ないと、間違いが多くなる。何事もひとつの角度からの見方だけでなく、 方々から観察して、慎重に判断しなければと思う。
世の中のトレンドや動きは、団塊の世代と共にあるような気がする。昭和22年(1947年) 〜昭和24年生まれの人たちを言うが、この3年間で毎年260万人が生まれた。 人口ピラミッドで、ウエストの一番太った部分の人口だ。人口が最も多いということは、 その世代の人たちの暮らしのために、さまざまな政策を用意しなければならないということだ。 教育環境、医療環境、労働環境、社会保障環境など、すべてのことでこの世代が社会を変革させて来ている。 今問題になっている2025年問題とは、この年に、団塊の世代が後期高齢者になるということだ。 そのための社会保障費が深刻になる。医療制度が今までは75歳以上の後期高齢者は1割負担だったが、 今度は年収制限で2割負担となる。これから、もっともっと少ない若い人が、 人口の多い高齢者を面倒見なければならなくなる大変な時代に突入する。 筆者は、団塊の世代から少し遅れて先輩世代を追いかけている。だから、いつも制度の転換期に居る。 いいこともあれば、都合が悪い時も有る。
月〜木の夜10:00〜10:30放映の番組がクローズアップ現代。ニュース9の放送後すぐに始まる。 最近はニュース9の女性アナウンサーが、「10時からは、クローズアップ現代、本日は〇の内容で放送します」 とガイダンスするようになった。この番組、さまざまな、時代の課題、世相などを切り取って特集する。 12月16日の放送は、現代版わらしべ長者、ということでこのコラム12月2日に書いた話題を映像化していた。 筆者は文章にしただけだが、番組では実際の人物を取材、この企画に賛同した理由、 そしてその人の思いなどを取材した構成だった。映像化してそれを視聴者に分かりやすく感動的に伝える技術に敬服した。 テレビ番組は、視聴者に映像で訴えなければならないから、制作側はその映像を捉えるのに苦労する。 時としてヤラセの問題が浮上したりする。スチール写真だったらごまかせるところを、 映像では、その場面にもっともふさわしい動画を用意しなければならない。 時としてディレクターの意向通りにいかないこともある。 今まで何度も取材される側で、取材陣から求める映像を要求された。相手は必死で必要な場面を求めるが、 こっちはいつもの情景、これでは絵にならない様子。そうした時に、ある場面を設定して演技を要求される。 取材側には、想定したシナリオがある。これもヤラセなんだな、と思いつつ、大きく誤差が無いようなコメントを入れたりする。 それがエスカレートすると、ヤラセの映像になる。映像がある世界はなかなか難しい。 クローズアップ現代のようなセンシティブな番組では、きっと政策側では苦労して映像制作していると思う。
話題の映画、実はまだ見ていない。興行収入がうなぎのぼり、記録を出し続ける話題の映画だ。 トレンドの話題に付いて行けない自分に、少しジレンマを感じるのだが、さまざまなニュース評などで、 大筋のストーリーは把握できている。見に行かない理由は、コロナ禍で映画館の密閉空間が嫌だから、 2つ目は、2016年に前評判と話題がすごかった、「君の名は」を見に行ったら、 まるで期待外れで、世間の評判は当てにならないな、と思ったから、だ。 それにしても、コロナ禍でビジネスが停滞する中での独り勝ちだから、海外メディアも注目をしているらしい。 特に若い人たちが興奮ぎみに話すことが、今さら“なんで?”と思うような、 人間の生きる道を教わったようなことを興奮して話す。 すぐに心が折れやすい若者たちに勇気を与えているようだ。
人間関係で悩む人の背中を押してくれているようだ/ 自分主義の世の中じゃなくて、他人との共存や思いやりを持つ心に共感するようだ/人の為に生きる、 ということに共感するようだ/苦しくても頑張れば灯りは見えて来る、と心を動かされるようだ/ あきらめない、ひるまない強い心がだいじだ、と強く思う/などなど、 主人公の丹次郎に自分を重ね、映画館を出る時に感じる“気付き”が感想となって表れるのだろう。 それを熱っぽく友人や家族に話すと、自分も映画館に行ってみよう、と強く思う。そしてまた、友達にそのことを話す。 こういった現象を行動心理学で、 バンドワゴン効果という。 マーケティングの分野では有力な手法として有名だ。ヒットの裏側では、周到な戦略があるのでは、と勘繰ってしまう。 そういう天邪鬼気分から、意地でも観ないぞ!と自分を遠ざけているのかもしれない。いずれにしても、 映画を観た人々が、社会を変える原動力になってくれればうれしい話だ。
クリスマスイブまで4日、コロナ時代のクリスマスを楽しむ人が多いだろう。クリスマスと言えばクリスマスソングが欠かせない。 12月に入るか入らないかの頃から街にはクリスマスソングが溢れる。何となく、うきうきした気分と、 気忙しさが入り混じった雰囲気だ。ラジオでは12月15日頃から、特にFM放送などクリスマスムードになって来る。 この頃からイブまでがクリスマスソングの旬だ。 朝日新聞が読者に聞いたクリスマスソングのランキングが記事になった。 何と言っても山下達郎の クリスマスイブだ。 1982年以来上位ランクで歌い継がれている。 (勝手にYOUTUBEから引用させていただきました。カラオケムードで見られます)
上位から、クリスマス・イブ/きよしこの夜/恋人がサンタクロース/ホワイト・クリスマス/ラスト・クリスマス/ もろびとこぞりて/ジングル・ベル/恋人たちのクリスマス/赤鼻のトナカイ/クリスマスキャロルの頃には、 というランキングだ。
今年のクリスマスイブは、近所で最近人気の、イルミネーションを見に行こう、…と思ったがたぶん密になるだろうから、 家で静かにスパークリングワインを飲みながら、ランキングの曲でも弾き語りしよう。
12月8日、福岡県久留米市の八百屋で販売された春菊から、基準値の180倍の農薬検出、というニュースが有った。 健康な成人で体重60キロの人がこれを20グラム食べると、失禁や嘔吐やけいれんなどの副作用があるという。 市内の6つの青果店で販売、回収を始めたというものだった。20グラムくらいなら、スキヤキや和え物ですぐに食べられる量だ。 問題となったイソキサチオンは、 恐ろしい、リン酸系の農薬だ。生産農家は、玉ねぎの害虫駆除のためにこの農薬を使用、余ったのでハウスの中の春菊に、 この農薬をふりかけた、というのが今回の原因。??????驚いた〜〜。農家の農薬の知識ってこんなもん?農協の説明では、 玉ねぎへのこの農薬使用について、「この農薬は、玉ねぎにはほとんど残留せず、土に入ってしまうから問題無いが、 春菊は葉っぱに残ってしまうので、今後は農家に注意を喚起する」というもの。農協の説明もかなりの部分で消費者に対し、 安全性の説明に至っていない問題発言、農協の無知もまた久留米だけではない気がする問題だ。
たまたま、農薬検出のニュースが有ったが、国内の農家では、農薬を使うのが当たり前の栽培方式、 種を農協から購入、農協の栽培カレンダー通りに種まき、農薬の散布、収穫、そして規格通りに栽培されたものを農協に出荷。 だから、緑色が美しく、肉厚の穴が空いていない“売れる野菜”だ。 栽培の経過は、ほとんどの消費者が知らない。生産農家では自分で食べるものは、出荷用とは別の畑でつくっている人が多い。 与える肥料が違い、農薬を使わず、穴が開いても、形が悪くても、安全でおいしいものを食べている。
サンタクロースは自粛から除外し、楽しみとしている子どもたちのために働いて欲しい。こういった嬉しい施策をEUが決めた。 何とも微笑ましい施策ではないか。子どもたちは、コロナの影響で遊びや勉強に、さまざまな制約を受けている。 子どもたちは、今年はサンタさんが来てくれるだろうか?とやきもきしている。せめてクリスマスのサンタクロースくらいは、 子どもたちの夢を実現するために動いて欲しい。粋な計らいだ。EU議長国のドイツの報道官の発表に、こどもたちはもちろん、 パパママも「堂々とサンタさんになれる」、と安心したに違いない。イギリスでは、ジョンソン首相に、ひとりの子どもから 手紙が届いたそうだ。「どうやったらサンタさんが来てくれますか?」ジョンソン首相は、 「入り口に消毒薬を置いておくといいよ」と答えたという。効果のほどはいかに。
今年のインフルエンザの患者数が極端に少ない、という全国統計が出ている。直感として、 コロナ感染防止策で、入念な手指の消毒、マスク着用、うがいなどをやっているから、という説が有る。 これは当たらずとも遠からじ、だろう。 冬場にインフルエンザとコロナが一緒に来たらどうしよう、という心配が有ったが、それはどうも無さそうだ。 しかし、第三波が来ている。感染が収束の兆しどころか、感染者数、病床の使用数が記録を更新し続ける。 政府のGOTO施策の失敗がデータとして出て来た。考えればわかることだ。経済を優先させて、一時的な経済回復しても、 コロナ禍はそれよりも影響が大きいのだから、一次的な対処療法ではまずいことは、誰でもわかる。 じっと堪えることが何故できないのだろう。現段階では、政府よりも、各県の施策のほうが上回っている。 全国一律な考え方ではなく、県・市町村での施策へと、地域の実態に合わせた権限移譲をすべき時だ。 そして一般市民は、国の指示が無いから、どういう行動をとったらいいかわからない… などと街頭インタビューで言うような、無責任な人を無くし、自助・共助をする積極的な対応をとってもらいたい。 後半は、インフルとは関係ないボヤキになってしまった!
このところ、“買います”の朝刊折り込み広告が増えている。多い日だと3社くらい競合する。 金や銀の貴金属、時計、アクセサリー、ブランドバック、オーディオ、カメラ、記念切手などなど、高価で買い取ります。 〇〇公会堂で〇日に行っています、という出張査定・買い取りも行っている。こういう広告が多いということは、 売買市場が動いている、ということだ。コロナ禍でお金に困る人がいる、自粛生活で家の整理をして、不要品が出る人が多い、 などが理由なのだろうか。不要品は、出す人から見ればごみで困ってしまうが、その品物に興味を示す人からすれば、 宝の山だ。オークションサイトなどを見ると、これほんとうに売れるの?と思われるような物に高値が付いたりする。 友人はこのオークションで楽しんでいるが、オークションで買ったものを、またオークションで売る兵(つわもの)も 居るらしい。
毎年12月中旬、日本漢字検定協会が発表する“今年の漢字”、昨日清水寺で発表があった。今年で26回目となるが、 毎年その年の世相を反映、第1回めの1995年には「震」、2000年「金」、2005年「愛」、2011年「絆」、 2015年「安」、昨年は「令」、そして今年は、「密」。やはりコロナ関連の漢字となった。 今年の流行語大賞が3密だったことから、“もうこの漢字しかないな”とは思っていたが。 それにしても、日常生活から密がなくなったことで、人間本来の最大のコミュニケーションツールである、 スキンシップが無いのが寂しい。握手の代わりにエルボータッチとなり、ソーシャルディスタンスで、 距離をとって相対しなければならない。テレビのインタビューなどで、 2M先から腰をかがめてインタビューする。このやり方には、やるせなさを感じる。コロナのバカヤロウ〜だ。
密には、関係が深いこととか、親しい、という意味がある。今日から年賀状の受付が始まる。 心を込めて1月1日に到着するよう、書き上げよう。
忠臣蔵といえば四十七士、元禄15年(1702年)、赤穂朝野内匠頭の家臣、大石内蔵助以下47名が、 本所の吉良上野介邸に敵討ちの討ち入りをした事件だ。昨年決算忠臣蔵という面白い映画が有った。 討ち入りに当たり、その予算は、現在のお金にして8600万円しか無い。このプロジェクトを遂行するために、勘定方、 矢頭長介(岡村隆)は経費節減の工夫をしながら討ち入りまでプロジェクトマネジメントするコメディだった。 日本人の忠義に対する価値観が、この物語人気だったのだろうが、最近はあまりこういったことがもてはやされない風潮だ。 東京港区の泉岳寺(地下鉄三田線、山手線品川)には、四十七士の墓が有り、静かな佇まいの中で赤穂記念館を見学できる。 今日14日は、毎年義士祭が開催され、多くの人で賑わうが、今年は静かに行われるだろう。
「男の子なんだから、めそめそ泣いたりしたらダメ」、「女の子なんだから、もっとお淑やかにしなさい」、 「男の子なのにピンク色が好きなんて」、「女の子なのに乱暴なことばを使っちゃだめでしょう」、 日常の何気ないところで男らしさ、女らしさを言葉にすることがある。 男のイメージ、女のイメージが先入観に有って、そのことを感じたり求めたりしている。 これは生まれながらに私たちが持っている“当たり前”の価値観だ。しかし、今は“当たり前”とは違う。 そのことを、ジェンダー・バイアスという。男と女に関する偏見、という考え方だ。 私たちシニアの持つ“常識”とはまた違って、社会が男や女という概念に対してその区別を無くするようになって来た。 男は仕事、女は家庭、も今はあまり言えない時代だ。履歴書に男・女の区別覧が無くなっているし、 男同士や女同士でもパートナー関係が条例などで権利として認められるようになって来た。 企業のコマーシャルなど、一歩間違うとジェンダー問題で放映中止、など実際に有る、センシティブな課題だ。 どこまで区別してどこから区別してはいけないのか、古い価値観を持つ筆者は、考えはわかるが、 実際的なところで少し混乱する。
2015年、吉田松陰がモデルになった大河ドラマ 花燃ゆが放映された。 その中で「至誠」ということばが随所に出て来た。それを感じたくて翌年、山口県萩市まで旅をし、松下村塾を訪ねた。 至誠とは、“この上なく誠実なこと”を意味する。同じ山口県出身の、前安倍総理に爪の垢を煎じてあげたい。 おっと、ここで吉田松陰と安倍晋三を比較するほうが間違っていた!。
渋沢栄一の行動足跡をたどってみると、至誠がいろんなところで感じられる。筆者自身、この年齢になったからこそ、 その意味が分かるのだろうか。もっと若い時分にこのことを知ってたら、今頃もう少し違った人間でいたかもしれない。 光陰屋の如し、過ぎ去った時間は戻って来ない。
NHKラジオが放送する深夜番組が、ラジオ深夜便。深夜番組はその昔、 若者が“パック・イン・ミュージック”に夢中になった頃の代名詞だった。 今は高齢者が深夜にラジオに耳を傾ける時代になった。リスナーが多いらしく、その情報誌なども書店で販売されているくらいだ。 何回か聞いたことがあるが、NHKをリタイアしたアナウンサーが静かな口調で語りかけ、 その内容もシニア向けにチョイスされた話題が多い。 リスナーからの投稿が、シニアならではの出来事や悩みであったり、 懐かしのオールデイズやフォークソングリクエストであったり、話題への共感と、心癒される話材の内容だ。 なかなか床に入っても寝付かれない、とか朝早く目が覚める、などの身体的特徴のある高齢者にとっては、 心の置き所、深夜の居場所になっているようだ。最近はスマホのラジコでも聞けるから便利だ。
何となく想像できるつくりの言葉だ。ウィズ・コロナの時代を先取りするワークスタイル、 ワーケーションを実践している人が居るという。 Work+Vacationの和製造語だ。リモートワークが在宅ではなく、キャンプ場やレジャー施設などで行い、 仕事とレジャーを合体させ、業務効率を上げようという発想だ。仕事と遊びの、対極にあるものを合体させるこの発想、 果たしてその効果は有るのだろうか。 筆者がもし、その対象者だとしたら、まず成し得ないだろうと思う。仕事はある程度の緊張感の中で行うもの、 レジャーは、その緊張を解き放ち、次の仕事のエネルギーを蓄えるところ、と区別して考えたいからだ。 もっとも、職種によってはその融合が考えられる内容も有るかもしれないが。ウイズ・コロナのさまざまなアイディア、 まずやってみて、の発想は歓迎したいのだが。独りで行うソロキャンプが流行っているご時世、 ワーケーションを実践する人も多いのでは、と想像する。
イギリスでは、ワクチンの摂取が始まった。アメリカは国際協調せずに、 独自に自国開発のワクチンを自国優先で使う準備をしている。 日本は8千万回分を外国の製薬会社から導入の約束をしている。新型コロナワクチンの争奪戦になっている。 お金も力も無い国はどうなるのだろう。経済力の国間格差がイノチの重みの格差につながる。ワクチンの効果や副作用など、 まだまだ、短期間での開発であることから、臨床試験のサンプル数が少ないとか、人種によってその副作用が心配だとか、 いろいろあって、摂取に対する疑問も有る。医師の間でも、その効果や副作用に関して懐疑的な声が多い。 ワクチンが出ても接種しない、と答える人が国内でも20%を超える。筆者もその部類だ。 しかし、感染のスピードが速く、何か行動しなければならない。 マイナス75度で輸送するのに、どうやって行うかが解決していない。関連する企業の株価が上がっている。 イギリスの行動が、ビッグ・ワクチンビジネスを加速させる懸念が有る。イノチも経済原則で選別される時代だ。
12月6日、はやぶさ2のカプセルがオーストラリアで回収された。バスケットボールよりも小さい物体を宇宙から回収する、信じられない技術だ。 テレビでは、火球が映し出され、降下する姿を見ることができた。JAXAの技術者たちが現場に駆け付ける。これには、オーストラリアの技術者たちも 追跡に協力してくれたそうだ。6年に渡って50億キロを飛んだのだ。津田プロジェクトマネージャの微笑む顔には、 大きな達成感が感じられた。カプセルを放った本体は、新たなミッションに向かって軌道を修正し、次なる惑星を目指すという。 挑戦はさらに続くが、惑星到着は11年後だという。2031年まで、今の組織で継続はできるのだろうか。 夢をつないで行くことのほうが難しいような気がする。11年後のことなんて、予想できない時代なのだから。 今朝、羽田に着いたカプセルの中身の分析結果は、来年の春には発表されるそうだ。
今日7日は、国際宇宙ステーションきぼうが肉眼で見えるという。 野口聡一さんが乗船しているiss、地球の上空400Kmに建設された巨大な実験施設。 1周90分で地球を周回しているが、今日17:37頃から東の空を通過するのが肉眼で見えるそうだ。 遠い宇宙に、こういった巨大な施設をつくり、人間が住み、さまざまな実験を行う。科学技術はなんとすごいことだろう、 と思う。茨城県つくば市のJAXA施設には、見学棟があり、さまざまな宇宙技術の展示を見学できるが、 とにかく科学技術の詰まった宇宙技術に、驚きの連続だった。かつて、行政改革が盛んに言われた頃、 宇宙開発関係の予算が大幅に削られ、一時苦境に立たされた技術者たちは、 また勢いを盛り返してきた。直接は市民の役に立たないかもしれないが、その技術がきっと人類に恩恵を与えるに違いない。 もうひとつ、6日には、はやぶさ2が放ったカプセルが地球に帰還した。 これらを遠隔制御する技術者たち、すごい頭脳集団だ。→追記:夕方5時52分から55分まで、北西から北東へ動くissが、 肉眼で見えた。案外明るかった。
慧眼(けいがん)とは、本質を見抜く力のことをいう。仏教用語が元になっているそうだ。「あの人は優れた慧眼の持ち主だ」 などのように使う。11月30日のコラムに書いた、渋沢栄一翁のような人を、慧眼の持ち主というのだろう。 周囲に、そういった人が居る。一見した事象で判断したり行動したりせず、その言動の背景に有る物や事情を汲み取り、 事を起こしたその後を予測し、次の行動に素早く移れる人だ。またその逆に、今の現象にあたふたし、対処療法的に行動して、 本質を見誤り、周囲にあらぬ負担をかける人も居る。人それぞれには行動特性(思考の癖、行動の癖、言動の癖)が有る。 そのことは、自身ではなかなか気付かず、他人がそれを把握している場合が多い。筆者には、慧眼なんて遠い存在だ。
同じ読みでも、意味が異なる。目で見た現象で判断をすると、視まちがうことが多い。 視たことを、ひとつの側面からではなく、良〜く視渡すこと、その背景にあるものを感じ取ることが大事だ。 テレビで視たことを、他人に最もらしく話したり、視たことをSNSですぐにフォローして拡散させる、などまずい行為だ。 もうひとつ、“診る”がある。これは、触って、臭いをかいで、温度を感じて、ということだ。 「お医者さんに診てもらう」などと使うが、最近のお医者さんは、触診をしないで、パソコンに向かって、 患者に状況を聞き、入力しているだけの医者がいる。これでは、ロボットと同じだ。もっと診て欲しい。 今日は国際ボランティアデーだが、ボランティアする時にも、その対象をよ〜く観て、 ニーズからずれた行動にならないことが大事だ。
わかりやすい例が、コロナ禍の対策だ。4月に緊急事態宣言を出し、さまざまな行動を抑制した。 これがハンマーだ。その後、コロナ感染の減少に対して、GOTO施策で経済の活性化を狙い、緊張を緩め、 国民の外出機会を増やした。その結果、夏ごろの第2波、そして今、第3波。 これに対して、GOTOイートの一時凍結、GOTOトラベルの一部制限、大阪市での赤信号点灯、こればハンマーだ。 この用語は、The Hammer and the Dance 理論という、心理学用語だ。ハンマーで怖い思いをさせ、 Danceで心を解き放つ緩急の施策をいうそうだ。政府や自治体はこれをうまく使い分け、 対応している。われわれ国民(市民)も、公助という政治や政策に左右されることなく、自助という、 自身のしっかりした考えを持って動かなければ。そして共助、周囲との協調・助け合いだ。 「政府は何やってんだ」、とか「市は何もやってくれない」などと苦情を言うだけでなく、 「自分はこれをやって自ら防御している」、「周囲と協力・協調しながらこれを実践している」 という姿勢と確信を持つことだ。
年末恒例の今年の流行語大賞が一昨日発表になった。 ノミネートされた30種の中から10種類が選ばれたが、コロナ禍に関するワードがほとんど、 選者たちもうんざりするくらいだったそうだ。 大賞には“3密”。今は普通に使われるワードになったが、小池都知事が発したことばだ。 小池さんは、横文字ことばも多いが、ことばを上手に使い、わかりやすく説明する名人だ。 仲が悪い政敵の方々も普通に多用することばとなった。10個選ばれたうち7個がコロナ禍で使われるワードだ。 これから大晦日まで、今年の漢字発表、今年の重大ニュース発表など、1年を振り返るイベントが続く。 おそらく、コロナ禍一色になることだろう。
貧乏な男が観音様のお告げで、手元の藁を持って旅に出かけ、みかん〜反物〜馬〜お屋敷〜と次々に物々交換、商人は富豪になる、という話。 地方によって交換するものなどがローカルな部分が有るが、次々に前よりも交換したものが高額になる、というストーリーだ。 このストーリーの現代版が話題になっている。大阪市鶴見区のNPO法人が100均の赤い糸から始まった善意の輪が1軒家になったという話だ。 ガツガツと交換を繰り返して価値を大きくしよう、という行動ではなく、遊び心で善意の輪を広げて行ったところがおもしろい。 110円の赤い糸→コーヒーセット→オリジナル漫画→元プロ野球選手とのオンライントークの権利→色鉛筆セット2000セット→築30年の1軒家10年間利用権(780万円相当)。すごい善意の輪だ。 自分主義の風潮の時代に、心温まる連鎖の輪。それぞれの連鎖には物語が有り、 笑いやユーモアがくっついているという。新しいコミュニケーションの姿かもしれない。
どこかの落選した大統領のように、うじうじと言い訳を並べ、新しい未来に向かう大局観に欠け、自己保身に走る。 “往生際が悪い”ということばがぴったりの行動だ。しかし、往生際が“良い”のが武士道だ。昨日のコラム、 渋沢栄一も武士道精神の持ち主だった。武士道とは、正義・義侠・敢為・礼譲を原則とする。こんな態度や行動、 現代社会では、通じにくいかも知れない。 武士道精神からすれば、巷で起こっていることは、チャラい気がする。 ここだけ、チャラいなどと、現代語を使って見たがそうしたほうが通じ安いと感じるのも、…何か変だなぁ。 「巷で起こっていることは、軽薄な気がする」と言い改めよう。完璧な武士道精神で生きる、なんて極めて難しいことだが、 その精神は大切にしたい。私利私欲を追い求めない清心(人間誰でも、すべてに清心ではない。 どこかに悪魔がきっと居る)な心で、義侠心(おとこだて、と言いたいが、男ばかりではない、 男も女も義理人情)を持ち、あきらめずに物事をやり抜く精神力と強靭な身体で、 謙虚で礼儀正しく、生きていきたい。
なかなかそうはなれない筆者だが、そうありたいとは、強く思う。
NHK大河ドラマ「麒麟が来る」の次は、渋沢栄一をモデルにしたドラマ「青天を衝け」だ。 明治から大正にかけての近代日本の経済を立ち上げた主人公は、 現1万円札の肖像画で、慶応大学を創設した福沢諭吉ほど、知られた存在ではない。しかし、 同じ時代を駆け抜けた福沢諭吉に代わって、 2024年から新1万円札の肖像画になることが決まっている。ドラマと併せて、馴染み深い英傑になるだろう。彼の著作「論語と算盤」は、 人としてあるべき形而上の内容で、現代でも全く色褪せていない。大リーグの大谷選手は、 日本ハム時代に、栗山監督から勧められて、この本が愛読書になっているという。 決して経営者や論語好きの人だけでなく、誰にでも通じる、生き方のエッセンスが散りばめられているのだ。 普遍的な人間の生き方が随所に表現されている。ポスト・コロナ時代の、 高潔に生きる指針となって行くような予感だ。
F1と言っても、自動車レースの話ではない。種の種類に F1種 が有るのだ。偉そうに書いているが、筆者も最近知った話。 ここ20年以上、何の知識もなく、自家製野菜から翌年の種を採ったり、ホームセンターで種を購入していた筆者にしてみれば、 今頃そんなことを知って…と思える大事な話だった。 そういえば、最近の種は、「一代交配種」と表記されていて、採種したものが使えないとか、 薬品でコーチングされたものとか(これはF1とは関係ない理由、ちょいと怖い話になるので、後日改めて。) が売られている。F1には、学生の頃、生物の授業で習った メンデルの法則 が深く関わっている。安全な野菜を食べるには、 種の知識、栽培の知識、いのちの循環の知識、土壌の知識、気候の知識、肥料や薬剤の知識、 などの広範な知識が必要となる。正直、覚えてられな〜い、といった感じだ。 スーパーで買う、形が美しく、色も鮮やかな野菜は、知れば知るほど怖くなってしまうのだ。
昨日の放送で、NHK朝ドラエールが終わった。 筆者も良く知る、実在の人がモデル、そして良く歌う歌を作曲した人がモデルのドラマに、 興味深く毎日見ていた。我が家の朝のルーティーンとして、朝食後にお茶を飲みながらのリラックスタイムだった。ドラマの途中で、 コロナ禍のためにロケが出来なくなり、ドラマの進行ができなくなる、というハプニングが有ったが、制作関係の方々の並々ならぬ工夫で、予定より2か月遅れてのエンディングとなった。 最終回は古関メロディーのメドレーで、出演者が歌を披露する15分となった。面白い構成だった。 中でも、作品を通じて出演した子役が少年少女合唱団となって、「鐘の鳴る丘」を歌ったのは、すごかった。 ドラマの中のシーンが蘇った。 来週からは、ミヤコ蝶々さんをモデルにした「おちょやん」が始まる。
昨日の朝刊に、「ヤングケアラー高校2年生の25人に一人が、家族を介護〜埼玉県〜」という記事が有った。 初めて聞くことばだったが、ケアすることを余儀なくされている高校生が多いという、 余り聞いたことが無いショッキングな情報だった。 ケアをする人の、およそ3人に一人(699人)が、介護や世話を毎日行い、 4人に一人(501人)がその悩みや不安を話せる相手が居ない、と答えているという。 埼玉県が、本年7月〜9月に県内の高校2年生のすべて5万5772人に調査票を送り、4万8261人から回答が有ったそうだ。 埼玉県は、今年の3月に、ヤングケアラーの支援を盛り込んだ条例を、全国で初めて制定している。それにしても、こんなにも多くの高校生が、家族のケアに携わっているとは、驚きだ。 国も来月以降、ヤングケアラーの実態調査に乗り出し、今年度中に結果を公表するという。
今日はゴロ合わせで、いいふろ の日。毎月この日はイベントをやる日帰り湯が多い。半額になる、とかプレミアムグッズのプレゼント、 とかお湯に果物が浮かぶ、などいろいろだ。今は差し当たって、柚子などがあるだろうか。以前、浴槽に大量の青いリンゴが浮いていて、 嬉しくなった記憶がある。摘果したリンゴを浮かべる、粋な計らいだった。最近は日帰り湯にあまり行っていない。やはり感染防止を 考えてのことだ。逆に、営業している日帰り湯は経営が大丈夫なんだろうか、と心配してしまう。日帰り湯は全国にいろいろ有るが、 何といっても、夕陽や朝陽を見るのが好きな筆者は、雲仙の海面すれすれの温泉から夕陽が沈むのを感傷的に見たことだ。 千葉のホテルの屋上の露天風呂から海に沈む、山形の山に沈む夕陽、甲府の雪の富士山を照らす朝陽、フェリーの湯から太平洋の 朝陽、など思い出がいっぱい有る。風呂好きの筆者は、旅行先で日帰り湯でローカルな味を楽しむのが大好きだ。
中華料理で良く使う調味料、豆板醤と甜面醤。醤油の“醤“の字が入っているので、おそらく発酵食品なんだろうな、とは思っていた。 いつも使っているので、“こういう味に仕上がる”くらいの経験値は有ったが、新聞記事でその作り方を知った。豆板醤はソラマメが原料、 甜面醤は小麦粉が原料だそうだ。両方とも発酵させるのに、麹が使われている。豆板醤は、塩と唐辛子を入れて発酵、 甜面醤は塩を入れて発酵・熟成させるとのこと。両方とも、麹菌で発酵させているのだ。だから炭水化物やたんぱく質を分解して、 甘くなるのだ。同時に旨みも出る。それを加熱することによって、香りもひきたち、中華料理がおいしくなる、ということだそうだ。 クッキングの時のうんちくもまた、たいせつだ。おそらく、発酵食品を摂取することによって、腸内環境が良くなり、免疫機能にも いいのではないかと想像する。コロナに強い体になってくれたら良い。
米国の大統領選挙、投票を終えても落選した人が認めない、不正選挙だと言ってあれこれ裁判を起こす、当選者に意地悪をして、 政権移行の情報やら資金を明け渡さない、など民主主義っていったい何なの?という現象が続いている。 日本だったら信じられないことだ。実は、アメリカは住民票がしっかり整備されていなく、選挙に出る人は、 自ら届け出をして選挙人になり、投票する、という制度だという。ちょっと信じられない制度だ。だから、 不正だのなんだので騒げるわけだ。 ヨーロッパなどは、投票率が90%を超えるという。投票に行かなければ罰金、の制度だという。多くの国では、 名前を書く投票ではなく、選択項目から選んでチェックする方式だそうだ。例えば、候補者の色やマークに対し、 チェックを入れる。何故なら識字率が低いため、文字を読み書きできない人でも投票できるという効果だ。 さまざまなお国の事情が民主主義の前提として存在することを、ラジオの番組で知った。
年間15日有る国民の祝日、そのひとつの勤労感謝の日。もともと、11月23日は、新嘗祭(にいなめさい)ということで、 農作物の恵みを感じる日、なのだ。宮中の行事も開催される。この日に勤労の意味を再認識する、ということで、 勤労感謝の日が定めされたという歴史のようだ。働く人に感謝する、という意味合いではなく、勤労を通じて物を生産することが、 文化の発展につながる、ということが国民の祝日の理解だという。他の祝日も含めて、その意味合いよりも休日であることが、 国民のメリットとして考えられ、祝日連休法案に見られるように、連休がもらえる、ということのほうに価値を感じる。 ほんとうは、その日の意味を考え、そこに思いを馳せなければならないのに。実は筆者も祝日の意味を、真面目に考えたことは無い。
今日は11月22日、ゴロ合わせで、イイフウフ。良い夫婦の日だそうだ。1985年に政府が経済対策会議で、 11月を「ゆとりの創造月間」として提唱したことに始まり、1988年、(財)余暇開発センター(現在は日本生産性本部)が、 夫婦で余暇を楽しむゆとりあるライフスタイルを提案、“いいふうふ”の日が制定された、という流れだ。 もともと、経済対策会議が提唱しただけに、経済の活性化が主目的であり、この記念日に消費拡大を目指した、 という裏の目的が見える。キャンペーンでも、花を贈るとか、ケーキを贈るとか食事や旅行に行くなど、 “物”中心のキャンペーンだ。筆者が思う夫婦が上手くいくコツは、健康で、互いを理解し、過干渉にならず、 何でも話せ、互いを思いやれる、ということだと思ってはいるが、なかなかそれぞれのことが円滑にいかないことが多い。 互いに違う人間が、一つ屋根の下で協働するわけだから、夫婦といえども、節制と許容と主張が必要なのはわかる。 歳を経るほど、それを感じる。今日は日曜日の夫婦の日。どういう1日になるだろう?
ある雑誌で、『今だからできること』の特集をしていた。今、この時代ならではの価値を考える企画だった。 今この状況をマイナスに考えるのではなく、今だから、いまならではの価値を見出そうという、プラス思考の企画、 なかなかいいなあ、と思った。いつも当たり前にやっていたことが出来ないことを、『あの頃は良かったなぁ』と嘆くのではなく、 新たな価値を考えたほうが楽しくなる。そのひとつが、ステイ・ホームの時間を、どうやって過ごすかだろう。 巣ごもり、ひきこもりの状態を、怠惰な時間の流れではなく、足跡をカタチに残す時間の過ごし方だ。 そうすることで、そのカタチを振り返った時に、新たな価値を獲得でき、そういった時間の流れが有ったことを、 振り返られるのでは、と思う。今だからできること、をたくさん持ちたい。