昭和女子大理事長の坂東真理子さん、2006年「女性の品格」という本を上梓してベストセラーになった。 今度は「70歳のたしなみ」という本を上梓、話題の本になっている。古希を過ぎたシニア世代に 「かきくけこ人生」を提言している。 今までの70歳台は「あいうえお」だった。つまり、(あ)あきらめる・(い)いじわるする・(う)内向き(え)・ (え)遠慮する・(お)遅れた行動だった、と。 これからは、(か)感動する・(き)機嫌よく・(く)工夫する・(け)健康で・(こ)貢献する、 いう具合の「かきくけこ人生」が必要と説く。 なるほど、歳だからなんて思わず前向きの人生を歩もうとの提案だ。「へぇ〜〜〜〜!」と感動することと、 それを表現することも大事だという。そして“きょうよう”と“きょういく”を大切にしようと訴える。 “今日用”がある、“今日行く”ところがある、という生活が外向きの気持ちと行動を促すそうだ。 コロナと上手に付き合いながらこういったことを目指すシニアがいいようだ。
Buy Now Pay After の頭文字を取った新しいサービス、普及しそうだ。訳すと、今買って後で支払う、という意味になるが、 スマホ決済を利用した後払いシステムだ。米国のPaypal社が日本のPaydy社を買収、日本でのビジネスを拡大させることに 伴ったものらしい。すでにファミリーマートでは実証実験を行っているが、スマホに支払い残高が足りない時でも、 10万円まではBNPAで後払いができるというもの。スマホ決済をしている人には便利なサービスになるようだ。
クックパッド(Cook pad)というクッキングに関するホームページがある。ユーザー登録いなくても誰でも閲覧できる。 筆者はここに書き込みをしている。ちゅうさんの男の夕食 というタイトルで自作のクッキング画像を投稿している。写真はある日の夕食、菜園の野菜メインのメニュー。 自慢は、器はすべてオリジナルの自作。
Cookpadは、ユーザー登録すれば情報の登録の他、 全国に居る200万人のユーザーと情報交換したり、特別なレシピを閲覧できたりする。 実は趣味のひとつが夕食づくり、月曜日から金曜日は、17:30から19:00まで90分で3〜4品をつくる。 完成したら写真を撮って、缶ビールを開けてかみさんと“お疲れ、カンパ〜〜イ!”。 レシピを参考にすることもあれば、オリジナルなものをつくって、これをCOOK PADにレシピ登録することもある。 時々はブログに書き込むという具合だ。クッキングの他、趣味やペットのことなど、さまざまなジャンルが設けられていて、 興味に合わせて閲覧できる。投稿したクッキングに“いいね”が付くと嬉しくなってしまう。
昨年1年間の国内の自殺者は2万919人(厚生労働省発表)と、前年よりも750人多くなったそうだ。 10年連続で減少していた自殺者数が増加に転じた。人口10万人あたりに換算すると、16.6人になる計算だ。 男性は前年減少、女性と若者は増加だった。特に子どもの自殺が増えているということには心を痛める。 子どもが自身の未来を想像することができなく、イノチを絶ってしまうなど、あってはならないのだ。 小学生が15人、中学生が145人、高校生が338人の合計498人もの数は、今まで最高の1986年の401人を上回っている。 いじめや差別の問題が主な理由のようだ。自殺は個人の問題ではなく、社会の問題、と提訴するのは、 自殺対策支援センター ライフリンク代表の清水康之さん、自殺問題を分析して社会に提言するNPOの代表だ。 国際的に見ても日本の自殺者数は多く、非常事態だという。 将来に希望を見出せなくて自らのたいせつなイノチを奪う行為、切ない現実に関心を寄せていたい。
コロナ禍の克服がなかなか先が見えない。政府は昨日、21県で緊急事態宣言の継続を決めた。9月いっぱいは今の宣言が続く。 ワクチン接種が若い人に対して加速される中、6月から始まった高齢者のワクチン接種。 終わった人の間に感染する事例が増えて来た。 ワクチン接種をしても感染する「ブレークスルー感染」という新たな課題が出て来た。 ワクチンの効果は時間がたつと薄くなる、ということが言われている。そのための3回めの接種が海外では始まっている。 ブレークスルー感染をした場合、熱が出る、咳が出る、呼吸しにくい、などが余り無く、症状が軽いのが特徴のようだ。 ワクチンの効果で重症化しにくいので、気が付かないうちに陽性になって快復する、という状況になる。 その場合に怖いのが、知らないうちに他人に感染させる、という行動だ。ワクチンで 安心して以前のような行動をしてしまうのはまずいようだ。 ワクチン接種を終えても、感染予防行動が重要視されるということで、落ち着かない日々が続きそうだ。
昨日の関東地方は、高い空と秋の雲、あの残暑はどこに行ったのだろうかと思う涼しい気候だった。 高気圧に向かって寒気が入って来たことにより、気温が低い日が続いている。1週間以上続く長雨のあとの晴天に、 心が少し軽くなった。8月12日から昨日までの日照が例年に比べて4割以上少なかったそうだ。 野菜の値段が高騰、というニュースが流れていた。天候の不純はづぐに野菜の価格にはね返る。 因みに我が家は自家菜園なので、野菜の値段は気になっていないのだが。 昨日の高い空は、遠くから運動会の行進曲が流れて来るような雰囲気だった。毎年秋に運動会を行う学校や地域では、 今年もコロナの影響で中止になるかもしれない。オリンピックはやったのに…という思いが湧きそうだ。
これほど“多様性”が言われたことは無かったような気がする。パラリンピックの効果が絶大だった。 最近では性的マイノリティーのたちに対する社会の見方や対応が変わって来ていた。人権に対する配慮や対応が変わりつつ有った。 そういった土壌の流れの中にパラリンピックが有った。特に閉会式の演出ではそのことを強く感じた。 一つのダンスパフォーマンスが、出演者の衣装がみんな違っている。踊り方も違う。車いすの人、聴覚や視覚に障がいのある人、ダウン症の人、さまざまな人たちがそれぞれの笑顔でひとつの同じリズムに乗る。みんなが違うのだが、何か調和を感じさせる。 「みんなちがってみんないい」という金子みすずが説いた理念そのものだった。 自分との違いを認めないことからさまざまな軋轢が生じ、いじめや争いごとのもととなる。 その違いを認めながら、自分の考えを発信していくことがたいせつになって来る。 日本人にはムラの意識があり、いつもみんなと一緒になっていたい、なっていなければムラ八分、というDNAがある。 男はこう、女はこう、というDNAがある。そのDNAを変えるには時間がかかる。 そのDNAが災いしてオリンピック組織委員会の人事のごたごたに繋がった。 パラリンピックを映像で見た子どもたちが少しでもダイバーシティの心を片隅に持っていてくれたら、 これからの社会は変えられるだろう。
日本は外国に比べて物価が安い、という発言があちこちで聞かれるようになった。テーマパークの入場料、ハンバーガーの値段、 運賃、日用品、外国に比べたら安い買い物ができるという。アジアや欧米からの観光客が多かったのは、物価が安かったからだ、 という分析も有る。物価が安いということは、働く賃金も安いということだ。人件費を抑えるために、 給与水準を安くしないといけない。 だから、非正規雇用で企業は逃げようとする。こういった日本は、貧乏くさい国になっているという評論家も居る。 人口ピラミッドで一番膨らんだ、1948年から1950年生まれの団塊の世代が戦後の日本のターニングポイントをつくって来たが、 この年代が75歳の後記高齢者になるのがあと3年、そうなると社会保障費の負担が激増する。 借金まみれで利子返済が国家予算の3割、という借金財政が持つかどうか。最貧国の表現もわかる気がする。 安い安いを掲げるデフレ状態が改善されないままの経済はあり得ない。 新政権は、コロナも大切だが、もっと先を考えた財政、くらしのビジョンを描いて欲しい。
2013年9月6日、ブエノスアイレスで開催されたIOC総会で、滝川クリステルさんが発言し、 流行語にもなった「お・も・て・な・し」本番のオリンピック・パラリンピックが今日のパラリンピック閉会式で幕を閉じるが、 このことばが語られることもなく、大会は閉幕する。 当時招致活動で関わった組織委員会のトップ、東京都のトップはスキャンダルで退陣した。あれから8年たった。 開催期間中、おもてなしのことばを聞くことは無かった。新型コロナなどという疫病の世界的流行など、誰が想像したろうか。 多くの外国人が日本を訪れ、大きな経済効果をもたらすはずだった。福島の復興が世界に発信されるはずだった。 日本文化が世界に発信され、強力なアピールをするはずだった。海外の多くの選手が国内のいたるところで 子どもたちと交流、国際交流の輪が広がるはずだった。聖火リレーや観戦・メダル獲得の応援で国民が心をひとつにするはずだった。 しかし、皮算用はなにもかも実現できないばかりか、開催賛成・反対で意見の違いが国民を分断した。 イベントが終わって、もう一度「お・も・て・な・し」の心を思い出し、日本がひとつとなって国のルネッサンスを進めて行きたいものだ。
都会では号外が配られるくらいの大きなニュースだった。菅総理大臣が今月の総裁選挙の立候補を辞退するという。 自民党内の求心力の弱体化、コロナ対応のダッチロール、説明責任を果たさない、などなどが影響したのだろう。 支持率は1年前の60%台から20%台に急落、どう見ても総裁選挙後の衆議院議員選挙では自民党の大敗が見えている。 もっとも、自民党が政権を持てない事態になったらどこの党が与党になるか、が見えない弱体野党しか無いので、 そこが心配だが。菅さんの立候補辞退で、自民党の中が色めき立っている。立候補を決めて政策を出している人も、 対抗馬が誰かによってその政策のチェンジを拙速に求められる。立候補しないと宣言した人は、条件が変わったから立候補を 考えて行くと発言。立候補は白紙だと言っていた人は、選択肢が狭まった、と意欲が見え見え。 派閥のドンには黙って立候補を発言して素直に「応援する」と言ってもらえない人。推薦人も居ないのに立候補をにおわす人。 国民不在のドロドロの永田町の権力争いが始まった。 菅さんは、コロナの収束に全力を果たしたい、という。退任しかない身になったから余計な人気取りの保身は必要無くなった。 捨て身でコロナの収束に道筋をつけて退任すれば、本気の総理職であったかどうかが問われる。 あとを濁さない総理の姿で有って欲しい。
TBSラジオ金曜夜9時から始まる「宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど」という番組、今夜放送だ。この番組、 パーソナリティーは作家の宮藤官九郎さん。あの「あまちゃん」のストーリーを描いた人だ。 毎週毎週、ひとりの人にゲスト登場してもらい、その人の業界のグチを聞いて、現代の社会の問題や矛盾を深堀してみようという、 社会派の話題だ。内容は、宮藤さんのトークで具体的に料理されて、ゲストが本音で語る。グチは、良い内容の話ではない。 自分の抱えるジレンマが心に鬱積してグチになって吐き出される。相手に言えないから第三者にグチになって吐き出される。 飲食業、宅配業、美容院、コールセンター、コンビニ、ファミレスなどなど、それぞれの現場で働く人たちは、 楽しい話ばかりでなく、グチになって出て来ることも多く経験しているはず、それを吐き出して貰えば世の中が見えて来る、 ということで2年前に始まったそうだ。今夜は、葬儀屋さんのグチがテーマだ。さて、どんなグチが飛び出すか。
3年後に出回る予定の新紙幣、1万円札、5千円札、千円札の3種類が予定されている。1万円札の肖像画は、今話題の渋沢栄一翁、 大河ドラマで放映されているから、1万円札や渋沢翁に対する関心がいやがおうでも盛り上がることだろう。 その新札の印刷が始まった、というニュースが昨日放映された。3年も期間があるのにもう印刷を始めたのは、 ATMや自動販売機で入念な使用テストを行う必要があるからだそうだ。紙幣の制作には最新の技術を使い、 偽造できない仕掛けがしてあるそうだ。 1万円札に関しては、1984年今から37年前に聖徳太子像から現在の福沢諭吉に変わって以来だ。 見た感じの1万円札は、算用数字で大きく10000と印刷されて、見やすい感じだ。偽造防止の技術を駆使したほか、 視覚障がい者の人が困らないようなユニバーサルデザインも自慢だという。 麻生財務大臣は、新しい刷り上がりを見てご満悦の様子だったという。
今日は防災の日、1923年(大正12年)9月1日、マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲い、死者10万人、 焼け出された人200万人という大きな災害となった関東大震災が起こった日、それを記念して防災の日と決められた。 各地で防災に関するイベントや学習会などが開催される。 昨年、今年はコロナ禍での防災の日となった。100年に一度と言われる新たな疫病災害のさ中に防災の日、 意味のある1日にしたいものだ。このところの自然災害は、日本列島のどこでも起こりうる水害や土砂災害が多い。 その都度大きな警報や避難指示が繰り返され、被害も数多く発生している。ゲリラ豪雨では、 その都度雨雲の流れに応じて対象市町村が発表される。「今までそんなことは無かった」などの経験値が通用しない。 水害、土砂災害、地震、突風、津波…予期しない災害に見舞われた時にどう行動するかを考えるのも、防災の日の役割だ。
今日は8・3・1で野菜の日だ。家庭菜園はかれこれ30年以上になる。最初はやみくもに作っていたが、30年もすれば、 それぞれの野菜の特徴や、天候・害虫などに対する経験値が活かせ、勘の栽培からデータの栽培へと変わって来たような気がする。 しかし、野菜へのケアや愛情は、データだけで対応しきれず、大いに勘も働かせる対応となる。 種類にすれば、年間70種類くらいを季節に合わせて種を蒔いたり、球根を植えたり、相当な時間を割いている。 季節の野菜は、購入することなく、自家製の新鮮なミネラル豊富な野菜クッキングが食卓に並ぶ。 テレビなどで家庭菜園のノウハウを放映しているが、必ずしもその方法が自分流に合わない場合もある。 例えば、化成肥料を施肥する、黒いビニールでマルチングする、支柱やネットなどの園芸資材を大量に使う、などは筆者はしない。 土の中の微生物の活躍のためには化成肥料ではなく、コンポストの活用や枯れ葉の腐葉土活用、ぼかし肥料の活用を。 ビニールマルチングは、プラ資材の削減のため雑草マルチを、園芸資材の活用は、竹・わら・もみがら・ぬかなどの活用を。 という具合に環境に配慮した栽培を基本にしている。 害虫も多いが、これにはコンパニオンプランツを活用、害虫を寄せ付けない植物を隣に植えて防除、 これによって農薬の使用は一切なし、 といったこだわり栽培だ。これから秋蒔きのシーズン、菜園に居る時間が長くなる。
2021.8.30 『冨士山』 今日は冨士山測候所記念日
富士山頂には6回立っている。いずれも河口湖側5合目から登って、8合目か9合目の山小屋で1泊、頂上でご来光を拝む、 というコースだ。6回のうち3回は家族と一緒だった。長男が小学校1年の時、長女が小学校1年の時、孫が小学校4年の時、 いずれも思い出がある。子どもたちが小学校1年で日本一高い山の頂上から雲海を見たことは、記憶に残っているようだ。 長男と登った時は、台風が接近、富士山の雨は下から吹き付け、びしょぬれになって山頂、寒くて震える長男を山小屋に頼んで 少し休ませてもらった。孫と登った時には、孫が高山病になってあえいであえいで、励まして頂上に立った。雷が鳴りだし、 すぐ近くに落雷して怖いめに逢った。今日は冨士山測候所記念日だそうだ。公設の測候所ができる前に、 1895年に大日本気象学会の野中至さんが私財を投じて建設したそうだ。今はレーダー網が全国に整備され、 冨士山のレーダーの役割は終え、レーダードームは今、富士吉田市に移設展示されている。明日で公式には登山シーズンの終わり、 山小屋がクローズする。例年だと、混雑時は畳1枚に3人くらい寝るのだが、コロナ禍で経営も大変だったことだろう。
2021.8.29 『焼肉』 今日は焼肉の日
今日は8・2・9に語呂合わせをした「焼肉の日」だそうだ。全国焼肉協会が決めたこの日、 各地で地域社会への貢献と販売促進のための行事を展開するそうだ。コロナ禍で営業が思ったようにできず、 苦戦を強いられている焼肉業界だが、街中には焼肉店が多い。若い人に人気があるようだが、 われわれシニア層には油が多く、胃もたれするので、あまり行きたいとは思わない。 お店に行っても、さまざまな専門用語がメニューに書いてあり、それがどこの部位なのか、 どうやって味わえばいいのか、よくわからない。焼肉屋を敬遠する理由のひとつにもなっている。 自宅で焼肉もいいが、煙とにおいがすごくて、これもあまり好きではない。 最近は照明器具に組みこまれた排煙装置がついた電灯も販売されている。 みんなでワイワイ焼きながら食べる方式は、コロナが収束してからにしよう。
2021.8.28 『選手村で自動車事故』 今日は民放テレビスタートの日
昨日、パラリンピック選手村で、自動運転のバスと日本人の柔道選手が接触する事故が有った。 接触した選手は大きな怪我はなかったものの、頭と両足を打撲、競技の出場を辞退したそうだ。 5年間、この日のために努力したことが一瞬で無駄になってしまったこの事故、不慮の事故とはいえ、選手の気持ちを考えると、 憤りを超えたものがある。選手は視覚障がい者だが、白杖を持っていなかったという。自動車は自動運転の電気自動車だが、 運転手等2名の担当者が付いていたという。そもそも、選手村という狭いエリアで自動運転のモーターカーを走らせる必要は有ったのだろうか。 視覚障がい者や聴覚障がい者などが多数集まるエリアで、このような自動運転の初歩的なエラーが出てしまった。 より安全装置を働かせなければならないはずが、このようなシステムを安易に動かした大会事務局やメーカーのトヨタ自動車の、 事故検証報告を待ちたい。
2021.8.27 『車椅子バスケットボール』 今日は交番の日(毎月27日)
車いすバスケットボールが男女とも活躍している。昨夜は男子チームがコロンビアと戦って63-56で勝利した。 テレビ放映を見て興奮した。選手の車椅子ワーク、ボールのハンドリング、相手チームとの攻防はまさに手に汗握るゲーム展開だった。 車いすを操作しながらボールをハンドリングできることに目を見張った。まさに職人業だ。クルっと回転するのは、身体の重心を 移動させながらやっている。強い体幹を持っていないとできない業だ。転倒することもザラにあったが、 身体を車いすに固定させているのですぐに起き上がる体制を整えてプレーに入って行く。 3ポイントシュートも軽々とやってのける上半身の力強さ。それぞれの可能性を開花した選手の筋肉が美しい。
2021.8.26 『パラ五輪始まる』 今日は人権宣言記念日
オリンピックが終わって一段落。今、事後のさまざまな“検証”が行われている最中だ。 そして一昨日パラリンピックの開会式が行われた。感染の影響で無観客開催になったものの、パラアスリートの活躍は、 オリンピックとは違った感動を私たちに与えてくれることだろう。競技のルールや見どころなどが特別番組で解説されているが、 障がいの程度でクラス分けされたり、競技をサポートする用具の工夫、テクノロジーでサポートするための技術者たちの格闘、 選手を取り巻く関係サポーターたちが一体となって出場を可能にする。 アスリートたちは障がいを受け止め、それをものともせずに可能性を追求して行く。 失ったものを探すより出来る可能性を探して行こう、という姿勢がすごい。 このあたりがオリンピックとは違った感動を与えてくれるのかもしれない。 そして選手たちは口をそろえて言う。障がいは一つの個性、競技を通じて障がいのことを理解して欲しい、と。
2021.8.25 『プラごみ削減』 今日は即席ラーメン記念日
コンビニでもらうスプーンやフォークも有料化されるかもしれない。レジバックの有料化はすっかり定着、エコバックを持ち歩くか、 バックをもらわず、裸で持ち帰るのが普通になった。プラごみの削減は、個人個人がその気になればできることが証明された。 しかし、法規制でそうなった、というよりも個人の意識でそうなった、という具合だったら、もっといい効果が出るだろう。 文房具にはプラがあちこちで使われている。目立つのはクリアファイル、便利に使われているから、 使用料もたぶんすごい量だろう。文具メーカーではプラ由来の素材以外に置き換えようと製品開発をしている。 あまりにも便利に、大量に生産し、廃棄後の仕組みまでは考えていなかったプラへの依存は少しずつ減って行きそうだ。 自然の循環と人間の暮らしの間に生まれた不具合をどんどん減らして行かないと、地球は持たない。
2021.8.24 『処暑』 今日は愛酒の日
昨日は24節季の処暑だった。暑さも今日まで、という暦の上の宣言日。これからは残暑になっていくのだろうが、近頃の天気は、 毎日どこかで大雨洪水注意報やがけ崩れ警報や避難指示が出される。どこに出されるかわからない、目まぐるしい雲の動きだ。 スマホのアプリで雲の動きを頻繁に検索して注意するようになった。天気予報のマークだけでは、広域の予報なので、 自分の居る場所のスポット予測は予報マークだけでは不可能な時が多い。午前中は雨雲が来ない、という判断でも30分後には 強い雨が降り出したりする。まさにゲリラ的な天気だ。処暑を堺に安定した秋の天気になって欲しいものだ。 そして秋の味覚・スポーツ・文化活動などに勤しめる時間が戻って来ることを願いたい。
2021.8.23 『楽器』 今日はウクレレの日
子どもの頃から楽器が好きだった。今まで挑戦した楽器=ウクレレ・ギター・アコーディオン・フルート・ケーナ・ カントリーハーモニカ、一番値段が高かったものがアコーディオン、 15年くらい使って音の調節もしないまま押入れの肥やしになっている。 一番長続きしているのがギターで50年以上になるが、今でも弾き語りしている。一番最初に手にしたのがウクレレ。 牧伸二が「♪あ〜〜やんなちゃった」とやっているのを視て、簡単にできそうと思ったのが動機だった。 楽器屋さんでもウクレレがよく売れるという。カルチャースクールのウクレレ講座は人気だ。 これ、奏法がとても難しいのだが、“私にもできそう”と筆者のように勘違いして手を出す人が多い。 左手で押さえて親指でポロンポロンできるので音はすぐに出る。管楽器や弦楽器ののように、 なかなか音が出ない、音が出るまでしばらくかかると心が折れる。簡単そうに見えて実は奥が深いのがウクレレ。 今日はそのウクレレの日。 ポルトガルからハワイにウクレレが持ち込まれ、1979年にポルトガル移民が移民登録をした日を記念日としたそうだ。
2021.8.22 『ドキュメント72H』 今日は噴水の日
一昨日の夜、NHKで放映された「ドキュメント72Hour」を視た。この番組はある特定の場所に72時間カメラを据え、 そこに出入りする人を取材し、その人の生き様や考え方を浮き彫りにしていく番組で、興味を持って視聴している。 駅・コインランドリー・カラオケ・銭湯・観光地・神社仏閣・道の駅などなど、さまざまな人が集まる場所で、 訪れた人を取材し、来訪の目的や動機などを探って行きながら、その人の生活観や生き様を深堀りして行く、というものだ。 カメラを向けられた人は最初尻込みするが、インタビューを受けているうちに、自分の今の状況や過去のことを語り始める、 という構成だ。先日は、埼玉県にある大規模な熱帯魚ショップがロケ地だった。コロナ禍で売り上げが増えているという。 「巨大熱帯魚店 小さな命のある暮らし」と題した内容は、ここで熱帯魚を買うのはどんな魚か、 なんでその魚を飼っているのか、生活の中で魚から得られるのはどんなことか、 などを話しているうちに、人生で挫折したり、決断したり、恋をしたり、別れたりの話に入って行く。 ひとつの場所を通してさまざまな人の人生が語られ、それを肯定も否定もせず、淡々と72時間を追って行く。 多様性のひとかけらを感じる番組の姿に好感が持てる。
2021.8.21 『かたえくぼ記事』 今日は福島県県民の日
朝日新聞朝刊に「かたえくぼ」という覧があり、読者からの世相を詠むコメントが掲載される。 毎回、全国の読者から珠玉の作品が登場する。 昨日の記事は、特集として4月から7月まで投稿が有ったものの中から秀作が掲載された。
『選挙で与党3戦全敗』〜負けに不思議の負けはなしー野村監督 なるほど!
『家族総出』〜昔田植え、今ワクチン接種予約 なるほど!
『打った?』〜野球ファンー大谷選手、高齢者ーワクチン なるほど!
『8時』〜昔ー全員集合。今ー全員解散 なるほど!
『何言ってんだか』〜こっちの太郎も、あっちの太郎も なるほど!
『何もしないこと』〜スガる なるほど!
全作品に“なるほど”とうなづいてしまう。よく考えつくものだ。
負けじと筆者もひとつ…
『救急車』〜昔ータクシー代わりに使わないで、今ーコロナになっても使わないで
笑いごとではない。医療現場のひっ迫は、由々しき事態になっている。
2021.8.20 『イノチの選択』 今日はNHK創立記念日
新型コロナウィルスに感染してもすぐに入院できなくなってしまった。症状が重い状態でも自宅療養を強いられ、 現場の医師は苦闘する。救急車を呼んでも入院できる病院が無いため、救急車の中で数時間も待機。 これでは通常の救急医療に支障が出ているということだ。現場では確実に命の選択を強いられている。 救急医療現場の人たちの苦悩は想像を絶することだろう。 千葉県柏市では、自宅療養中の妊婦が入院できないため、自宅で早産、赤ちゃんが亡くなった。 自宅療養をする人がますます増えて、想像できなかったイノチの問題が顕在化して来るだろう。 第5波の感染爆発は災害規模のステージとなり、子どもの感染拡大、ワクチンを打った人の感染など、 新しい課題にも対応しなければならない。市民の協力頼りの施策は万策尽きた。強力な法制度が必要な段階だ。
2021.8.19 『虹』 今日は俳句の日
毎朝5時半に家を出て22キロのサイクリングに出かける。日中は30度を超える日でも、朝のさわやかな空気は気持ちがいい。 今朝は更に気持ちのいい朝に。カラっと晴れたが、西の方に雨雲がうっすらと。出発してすぐ、西の方向にうっすらと虹、 少しずつ濃くなる。自転車を止め、スマホでパチリ、川の土手を走るが、西側の虹から離れた北西の方向に反対側のかけら、 自転車の進む方向に合わせて濃さと方向が少しずつ変わる面白い体験をした。自分の前方に虹、後方には明るい太陽、 光の屈折の自然の美しい姿、今日はいいことがありそうだ。
毎年8月18日は白菜の種蒔きの日と決めている。我が家の歳時記だ。何があっても8月18日なのだ。 立秋を過ぎて朝夕が少し涼しくなるから、との理由だが、最近の気象はこの時期さっぱり涼しくならない。 種蒔きしたポットを日陰に置いて慎重に水やりしたりする。何とか芽出しができて、9月中旬の畑への定植に間に合わせる。 今年は、梅雨を思わせる1週間の長雨の直後に8月18日になった。強烈な日差しが出るよりいいので、8月16日に少し 早めて蒔いた。一つのポットに4粒、蒔いたポットを2日感新聞紙で覆い、芽出しを促進させる。見事に芽が出て来た。 白菜の種蒔きを終え、9月に入ると、本格的な秋野菜の種蒔きが始まる。残暑があまり続かないよう祈っている。
プロ野球に、高校野球、それにメジャーリーグで大谷選手の活躍、俄然野球が今おもしろい。プロ野球セパリーグの試合は、 オリンピックが終わって再開されたが、サムライジャパンで活躍した選手たちのナイスプレーが続いている。 オリンピックに出場した選手たちのモチベーションがすごいこと、その選手の熱が乗り移った他の選手もまたファインプレーをする。 オリンピック効果のシナジーがファンをうならせる。高校野球は、何といっても県別に勝ち上がった高校への地元の熱い応援、 高校球児のはつらつとしたプレーだろう。昨年の中止の分まで頑張る選手たちが素晴らしい。 メジャーリーグの大谷選手の活躍は、投・打・走の活躍に、米国人の声援がすごい。それを見ている日本人の誇りがニュースになり、 日米での期待感、昂揚感がすごい。今日はナイター記念日、1848年8月17日、 横浜で日本初のプロ野球公式戦がナイトゲームで行われたのを記念した日。ナイターという和製英語が使われたのは、 1950年、週間ベースボールマガジンで使われたのが初めてだそうだ。
特定の思想や世論や意識や行動へと誘導する、意識を持った行為をプロパガンダと言う。昨日の終戦記念日、 テレビのNHKスペシャルでは、太平洋戦争で後戻りできない、泥沼の戦争へと突き進む日本の指導者の動きが放映された。 膨大な首脳部の日記や証言から分析した、国際情勢、諸外国首脳の動き、蒋介石のプロパガンダ合戦の内幕が解明された。 興味深く見入ったが、今まで聞いた歴史認識を新たにした内容だった。 国を間違った方向へと導いた、当時の日本の指導者たちの、国民に対するプロパガンダ、 中国の蒋介石の考えた国際情勢誘導のためのプロパガンダ、各国首脳のプロパガンダが渦巻き、 日本を敗戦へと追い込む。 ひとつ言えることは、人の命を武器のように使い、国民を疲弊させた太平洋戦争で日本が得たものは何もないということだ。 哀しみだけを引きずって、今の日本が有る。戦争はいけない。人間はそれを知っているのだが、 今も世界のどこかで国と国が、民族と民族が、宗教の理由で、と命を奪い合っている。 そして多くの罪のない難民が命からがら彷徨っている。
ビートルズのヒット曲、「Let it be」の詞を訳すと、「困ったことが起きたらそのままにしておけよ。時間が解決してくれる」 と言っている。ジョン・レノンは、自分を肯定してみなさい、というメッセージを込めてこの歌をうたった。 コロナ禍で毎日不便な生活を強いられる。以前は良かった、と言っても現状の世界がある。まずは今を肯定しよう。 そうすれば未来は開かれて行く、とも解釈できる。ここで経験した出来事は、未来に続く遺産なのだ。前のことを羨み、 そこに戻ろうとするのではなく、時間がたった時に新しいものが生まれているだろう。だから心を開いてYESと言おう。
「年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時、初めて老いる」米国の詩人サミュエル・ウルマンのことばだ。 余りにも有名で、さまざまな所で唱和したりする。誰もが励まされることば、「年取ったから」を都合のいいことばとして、 行動力や思考力や記憶力が劣ったことを弁解しようとする人が何とおおいことか。そんなことをしたら、5歳のチコちゃんに 叱られてしまう。サミュエル・ウルマンは夢を持つことで、生きる力をたぎらせることが出来ると考えた。 「年だから」は、その人の年齢を理由にした最高の“言い訳”だ。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と米国軍人は言うが、 消え去るとは、現役は若い人に委ね、任せ、自身の夢を追って生きよう、ということだ。 年齢を重ねたら重ねただけのいぶし銀色をした夢を持つのが良いのだろう。
24節季の立秋、今年は8月7日だった。暦の上の秋の始まりだ。毎日の猛暑で熱中症警戒宣言が出されているが、 周囲では秋の気配が感じられる。田んぼの稲は早いところで黄色く色づいて来た。朝夕が気持ち涼しくなって来た。 日の出、日の入りの時間が変わって、夕方暗くなるのが早く、朝明るくなるのが遅くなって来た。 太陽の傾きが鋭角になって来た。ススキの穂が出だした…などなど。 先日、避暑に行った奥日光では赤とんぼの群れが飛んでいた。 読書の秋、食欲の秋、音楽の秋、勉学の秋、スポーツの秋、などなど形容されるが、秋もまた楽しみな季節だ。 今日から始まるお盆が終わると一気に秋色が濃くなる。
1985(昭和60)年8月12日、日本航空123便、羽田発大阪行きが、羽田を離陸して間もなく群馬県上野村の御巣鷹の峯に墜落、 520人のと尊い命が失われた。悲惨な事故だった。このニュースを今でも覚えている。会社の夏休みで小学校2年の息子、 幼稚園年長の娘を連れて家族4人でキャンプに行き、夕食をつくっている最中のラジオのニュースで知った。 この便には「♪上を向いて歩こう」をうたった坂本九ちゃんも乗っていた。この事故をきっかけに、航空機の安全を誓うために “航空機の安全の日”を決めた。遺族の方たちが編集した追悼記タイトル《茜雲》から《茜雲忌》とも言われる。 この後も航空機による悲惨な事故がたくさん有った。筆者は飛行機に乗る時、いつも“イノチは大丈夫なのだろうか” と不安になる。特に離陸時のGが掛かって、機体がフワっと浮いた瞬間にゾクっとする。多くの安全装置が有るのだが、 あの重いアルミの塊が数百人の乗客を乗せて空に浮いているのだ。犠牲になられた方々を悼み、これからも事故が無いよう祈りたい。
「僕には変な癖があるけど、捨てなかった。それが僕の個性だから」と言ったのは、米国のシンガーソングライター、 ボブ・ディランだった。ノーベル賞の授賞式にガンとして出席を拒否した。 今までこんな名誉に授かって授賞式に出席を拒否した人は居なかった。 ノーベル賞事務局は、彼を傲慢だと言った。私たちは大なり小なり。似たような場面に遭遇する。 自分では“こうしよう”と思っても社会通念に照らし合わせたり、人からどう思われるだろう、と思って自身の考え方や行動を変える、 よく有ることだ。自分の考え・行動を自制することで自分に対する軋轢をかわそうとする。 「ひとりひとりは違う考えを持つ」ということはわかっているのに。違い=個性を認めるということは難しい。 個性ばかり主張していては、社会が成り立たない。 オリンピックに観られるように、世界が男と女、国と国、障がいのあるなし、肌の色、 年齢などで差別することを嫌う風潮が出て来ていることを歓迎したい。
「暑い」とはあまり口に出したく無い。何故言いたくないかと言えば、言うだけ暑くなるから。涼しい顔をしていると、 気分的に暑さに負けない気がする。しかし、最近の暑さは、涼しい顔が出来ない“酷暑”だ。 テレビやラジオで熱中症警戒情報が頻繁に出される。今日も台風の影響で太平洋側では40度の気温が予測されている。 我慢していたら死んでしまうかもしれない。筆者が高齢者になってからというもの、我慢ができなくなったということもあるが。 今はエアコンが有るから、スイッチひとつ入れればすぐに快適な空気が得られる。 しかし、昔を知っている我らはすぐにスイッチを入れず、何とか暑さを逃れられる工夫を試みる。 これが高齢者が熱中症になりやすい理由かもしれない。畑で草むしりに夢中になっていたら、いつの間にかフラフラになっている、 ということも有る。とにかく酷暑から自分で自分のイノチを守らなければ。その暑さの中、1日遅れの高校野球の開会式が行われる。 オリンピックとは違った感動ドラマが展開されるに違いない。
いったい、この大会は何だったんだろう。世界的にコロナに負けてはいない、というアピールになるなどとIOCが言っていた。 日本では第五波の感染爆発、世界中が新しい変異ウィルスで感染者増。昨夜の閉会式での各国選手のバカ騒ぎ、 コロナなんて忘れた世界。暑いから東京ではなく、札幌でマラソンをやろう、 というIOC、結果東京よりも暑い大会になってしまった。福島の復興を世界にアピールという当初の目的は、 どこかに葬られてしまった。わずかにメダル獲得者に福島産のブーケ。それを放射能汚染で危ないなどという国も有った。 こどもたちや市民のオリンピック選手との交流、どこでも選手隔離のためできず。感染予防のためにバブル方式で実施、 ところが穴の開いたバブルで感染者200人近く。競技に出られない選手も居た。 そういう選手もいるのに、金メダルを首にかけて浮かれる選手。 オリンピックに政治は持ち込まない、はずなのにベラルーシの選手が亡命、 とにかくガタガタの運営でIOCにひきずり回された日本。 橋本組織委員会代表は、大成功に終わったと自画自賛。バッハ会長も超自画自賛。いったいこの大会で日本に何が残ったのか。 負の面しか思い浮かばない。
山の日には登山に行きたいなぁ、と思うのだが、予定がなかなか取れない、コロナが心配、それ以前に体力が心配…などで、 山の日登山はまだ叶っていない。2016年制定の山の日、ほんとうは8月11日だが、 今年のみオリンピックの閉会式の日に変更した。海の日が有って山の日が無いのは?という動機で制定されたというが、 8月11日なのは根拠が無いそうだ。 祝日が多く、敬老の日や体育の日など、月曜日に移る日もあるから、カレンダーの日付が赤い色なのは何の日?と考えることがある。 今年の7月19日の海の日などは、オリンピックの開会式に合わせて移動させられた。 今年の山の日は、カレンダーの印刷が終わってから決定されたこともあり、カレンダーはそのまま赤色で出回った。 市役所などは、7月19日と8月11日は平日開庁です、などというアナウンスが有った。 山登りは、最近100名山から高度が低い里山へと傾向が変わった。 日帰りでゆっくりと登山でき、帰りは近くの温泉などに入って、という ゆったり登山のほうが好みになった。どうしても100名山だと標高が高いので、山小屋泊になってしまう。 里山は、地元の人たちの気持ちがこもった整備が成され、そこに暮らす人たちの生活に根差した山、高山とは趣が違う。 高山だと、ひたすら頂上を目指す、という急いた足取りだが、 低山はゆったりと周囲の景色や植物を眺めて写真を撮影するゆとりが有る。 魅力のある里山巡りを続けて行きたい。
昨日の広島原爆の日、式典であいさつに立った菅総理大臣、演壇までの足取りが重かった。かなりお疲れのように見えた。 冒頭、何か発音がはっきりしない。テレビの画面下には総理のあいさつ文が映し出されている。ちょっと噛んだ感じのところがあった。 途中で言っていることとテロップが違った。テロップはすぐに消され、総理は挨拶を続ける。どうやら一行読み飛ばしたようだ。 核心部だっただけに、読み飛ばしは故意ではないかと感じた。ところが、その後読み飛ばしを釈明して、正式なあいさつ文に差し替えた。 核廃絶に関するセンシティブな部分だけに、あってはならないミスだったのだ。 連日のコロナ対応やオリンピック対応でお疲れなのか、総理の健康状態が心配だ。 オリンピックは明日終える。待っているのはオリンピック後のコロナ感染爆発を抑えること、それ以上の重きを置いていると思われるのは、 衆議院選挙のことだ。為政者は常に自分の権力を守れるかどうかに最大の関心を寄せる。悲しいかなそれが現実だ。 そしてパラリンピックが待っている。
1945年8月6日、午前8時15分、灼熱の太陽が照り付ける広島市に原子爆弾が投下された。14万人の市民が犠牲となった。 悲惨な惨状は、数々の報道で明らかになっているが、広島原爆資料館の展示を超えるものはない。熱波に逃げ惑う市民、 焼け焦げた子どもの死体、熱波で溶けた屋根瓦、変形した台所用具、目を覆う写真や品々が心に刺さる。 核の廃絶を目指す核兵器禁止条約が国連で採択された。しかし、日本は政治的理由から批准していない。 もっとも早く批准しなければならない日本が批准しないという矛盾。広島市民は早期批准を強く希望している。 核という抑止力で国を守らなければならないような悲しい事実を、世界から無くさなければ、 愚かな原爆がまた使われるかもしれない危うい世界情勢だ。
6月まではあまりビールを飲まなかった。ビールはどうもお腹が張ってしまい、食後の適度な満腹感よりも超満腹感のため、 就寝までお腹いっぱい感がぬぐえない。冷蔵庫にはず〜っと入りっぱなしの缶ビールがあった。それまではビールの代わりに、 少し濃い目の焼酎のお湯割りだった。7月に入って暑い日が続くようになって、冷蔵庫の缶ビールに手が届くようになった。 8月の連日の猛暑、ビールがおいしい。今はしばらく焼酎お休みだ。時々は昼食時に缶ビール1本、という時もあるが、 飲みたいのだけど、体重が増えるので、ちょっと考える。
今日は世界ビールデーだそうだ。アメリカのカリフォルニア州で始まり、 醸造家たちに感謝する日らしい。最近は国内でも地ビールが増えて来て、あちこちの道の駅や土産物屋で、 さまざまなテイストの地ビールを販売している。価格は少し高めだが、そこでしか味わえないので、つい買ってしまう。 コロナ禍で、「かんぱ〜〜〜い!」とは行かないが、この夏ビールをおいしく味わいたいものだ。
テレビのリモコンチャンネルをこれほど目まぐるしく触ることもそう無い。3つくらいの放送局がオリンピック中継をしているから、 観たいスポーツをやっているか探し出す。それでも見つからなければラジオを点ける。コロナ禍のオリンピックにはいろいろ意見を 持っているが、どうせ開催されるなら、意固地になってオリンピック中継を見ないぞ、 などというより、出場する日本選手を応援したい。メダルを何個取ったか、金の数では上から〇番目、 などは、まったくもって興味が無い。単なるメダル合戦ではなく、鍛え抜かれた選手個々人の技と、 その陰に隠れた選手個々人のドラマを覗いてみたい。そういう解説を希望するのだが、 過去にメダルを取った解説者などは、テクニカルなことしか言わず、どうやったら勝てるかにしか目が行かない。 その点、増田明美さんなどは豊富なデータを駆使して選手個人個人の素顔をあぶり出して語ってくれる。 語り過ぎてプライバシーは大丈夫か?と思うほどだ。試合後のインタビューなどもつまらないインタビュアーばっかりで、 成績の優劣しか聞かない。負けた選手の心にズカズカと土足で入るようなインタビューはやめて欲しい。
報道は難しい。
7月29日(木)福岡県中間市の幼稚園で、バスに乗車した園児がバス内に取り残され、熱中症で死亡する事故が有った。 信じられない事故だった。このバスは幼稚園の園長が運転、園児の母親は朝バスに乗車させ、帰りのバスが到着したのに、 娘がバスから降りて来なかったことで、事故がわかったという、信じられないことだ。幼稚園バスは、だいたい運転手が一人、 担当の保育士が一人乗車して園児の管理にあたる。当該バスは園長ひとりで運転していたそうだ。バス乗車カードなるものが あり、保護者から幼稚園側に渡し、出欠の確認と、ちゃんとバスに乗ったかどうかの確認に使っていたというが、 それが回収されていなかったという抜け穴。バスの運行が終わったら、忘れ物や乗車した人員と降車した人員の確認をする、 という基本動作を怠っていた、という事態にあきれてしまった。担任の保育士は、バス乗車していなかかったと思い込んで、 欠席として1日過ごしていた。どこまでいい加減な管理の保育所なんだ!管理不在の幼稚園の姿勢に唖然とする。 管理と言っても物じゃ無い、イノチの管理なのだ。この信じられない事故、園児の母親の悲しみと憤りは察して余りある。
『絶望を希望に変える経済学』アビジット・V・バナジー、エステル・デュプロ著、村井章子訳によると「二極化の進む世界で、 よりよい対話を行うには、人としての尊厳を認めてほしいという人間の本質的な願いを認めるところから始める必要がある」 と書いている。 アメリカでも、中国でも、日本でも、イデオロギーの対立で相手の尊厳を認めない自己の主張が台頭する。極端な行きつくところは、 人権を無視した強権的な人間の扱いだ。アメリカを二分するトランプ派の主張は、ホワイトハウス襲撃という前代未聞の侮蔑的行為に走った。 中国の一部民族への不当な扱いは言論統制や行動抑制というかたちで弾圧をする。日本でもオリンピックの開催を廻って国論が2分化した。 それぞれのイデオロギーが対立して互いに言い合うのはいいのだが、相手の考えを認めず、互いに非難し合うことがまずい。 多くの難民が未だに恐怖から逃れられないでいる世界の現実、幸せに生きる権利を奪うことは不幸以外のなにものでも無い。 食べたいものを食べ、やりたいことを行える今の日本は、たとえコロナ禍という制約下でも幸せな生き方ができる。
園芸療法というのがあるが、これはストレス緩和効果があるのだそうだ。植物に触れていると、 何となく身体にいいのではないか、と感じることあるのは事実だ。 。順天堂大学の研究で、農作業はストレスホルモンの出方に関係して来る、ということが立証されたという。 ストレスホルモンは唾液で測定できるのだそうだが、農作業した時とそうでない時には、コルチドールという物質が作用して、 明らかにストレスが減るのだそうだ。コルチドールが効果的に出ると、集中力につながるのだそうだ。農業に従事している人は、 この物質の恩恵に大いに預かっているという。家庭菜園をする人などは、日常のストレス緩和に役立っているということになる。 コルチドールと言わずとも、家庭菜園をやっていると、何を育てるかのプランに始まり、種まき、水やりの他、 気候のことを気にしたり、害虫のことを気にしたりしながら丹精込めて育て、 その完成品をおいしく味わえるのが功徳感につながっている。
オリンピックで金メダル確実、と期待される選手の相次ぐ予選敗退、世界ランクではるか格下の選手に敗退、 といった現象が出ている。実力の有る選手が実力を出し切れない、というのはさまざまな理由があろうかと思うが、 選手のメンタル面の影響が無いだろうかと感じる。 国を代表して戦うオリンピックの重圧は相当なものだろうと想像する。アメリカの体操女子女王、 シモーン・バイルズは試合中に出場を棄権し、身体の不調ではなく、メンタル面が理由だと語った。 優秀なスポーツ選手は、強靭な身体と強いメンタリティを持っている、と一般の人は思っている。 しかし、スポーツ選手と言えども人間だ。スポーツ選手は今まで自身のメンタルを訴えることが無かった。 テニスの大坂なおみ選手が、メンタルを理由に、しばらく試合を休んだのは、今年の初めのこと。 こういった潮流ができて来たのだろうか。 スポール選手に常に勝ちを求め、選手はその重圧に耐えながら戦う。 勝ったら讃え、負けたら揶揄する。こういった市民感覚もまずいのだろう。
東京都医師会の会長がオリンピック前に発言していた。オリンピック開催には警告を出しながらも、 「せめてオリンピック期間は外出せずに、家でテレビ観戦して人流を少なくしましょうよ。そうすれば感染が抑制され、 オリンピックの効果が有るといういうものです」という捨て台詞だった。 希望的観測は残念ながらそうはなっていない。政府は、「人流が抑制されており、ワクチンの効果も上がっているから、 危機的状況ではない」という。感染という怖いものを片方に、感動という嬉しいものを片方に、その中間で綱を渡る今の状況。 アクセルを踏みながらブレーキを踏む、の例えが最近言われるが、まさに今がその状態だ。 人流の抑制は、緊急事態宣言やまん延防止宣言ではもはや何の効果も無い。飲食店の営業時間短縮をしても、 何の効果もない。オリンピックを開催しながら人流抑制や飲食店の営業時間短縮要請は説得力は無い。 ブルーインパルスが飛ぶと言えば、路上に密集する市民、開会式は花火大会気分で国立競技場に集まって奇声をあげる若者。 人流を増やす仕掛けばかり実施しているではないか。 オリンピックを開催しておきながら、各種イベントの中止など出来るわけが無い。 オリンピック後の衆議院選挙を見据えた、与党の支持率向上政策に翻弄される、感染と感動のトレードオフ、 せめて自身を守る行動くらいしか無いのか。
「CQ,CQどなたかお聞きの方がおられましたら応答願います。こちらのコールサインは〇〇〇」と言って交信の相手を 探し出し、互いの話題を交信する。知っている人であれば「〇〇〇さん、お聞きでしたら応答願います」と言って呼び出し、 うまく行けば繋がる、という電波の活用をするのがアマチュア無線だ。電離層に反射させて、地球の裏側まで微弱電波を 出し、交信する楽しみもある。業務には使えない。利用できる周波数帯や出力が決まっていて、 その範囲内で活用できる。無線免許を取らなければならないが、資格には1級から4級まで有る。携帯電話の普及、 インターネットの普及でアマチュア無線人気は下火、秋葉原などでは、無線機の店がパソコンショップに変わっていたりする。 災害時のアマチュア無線家の活躍などで社会貢献活動になっている。筆者は20年ほど前にアマチュア無線に夢中になったが、 今は免許更新もしていない。今日は、太平洋戦争で禁止されていたアマチュア無線が復活したことを記念した日だ。
オリ・パラ報道に隠れて、今全国で行われている第103回全国高校野球選手権の報道が少ない。昨年はコロナ禍で中止になってしまった大会、 今年は球児たちはそのエネルギーを爆発させている。各県代表もだいぶ揃って来た。8月10日が開会式だ。オリンピックを開催、 まさか高校野球が中止、ということは無いだろう。
もうひとつの高校生の大会がある。こちらの大会も、マスコミの報道がほとんどなく、残念なことだ。文化部の全国大会、 「第45回全国高校総合文化祭」だ。スポーツのインターハイに対し、文化部インターハイと表現する人もいる。 その文化部の生徒たちは、この大会のために日夜練習に励み、自身のパワーをこの大会にぶつけている。 演劇、合唱、吹奏楽、ダンス、美術、工芸、書道、囲碁、小倉百人一首かるた、文芸、特別支援学校などの発表の場が用意される。 スポーツであれ、文化活動であれ、若い高校生が活動の中で青春を爆発させる姿はすがすがしい。
5号と6号の2つの台風が日本列島をかすめている。今日はどうやら1日雨模様、家の中でオリンピックテレビ観戦となりそうだ。 昔は、大雨や風の影響を夏の台風警戒で住んでいたが、このところの集中豪雨や竜巻などの被害は、いつ起きるかわからない、 年中警戒型に変わって来た。それも「今まで経験したことが無い」、「100年に一度あるかないか」といった冗談ともつかない 表現で警報が出される。それも当たる。「まあ大丈夫だろう」は通用しなくなった。自治体の防災担当部署は気が休まる暇が無い。 加えて避難に関してはコロナ対策もしなければならない。「全市域に避難命令」とか出しても、受け入れる場所の確保に苦労して いそうだ。熱海市などでは、台風の影響で先般の土砂災害の二次災害を警戒し、避難命令を出した。こういった現象は日本だけでなく、 全世界で起こっているようだ。地球が悲鳴を上げているのを、経済成長のためにきちんとケアしなかったツケは大きい。
オリンピック3日めだ。昨日は日本が金メダル4つ、そのうち2つは柔道の阿部兄弟の2つの金。一方、水泳でメダル確実と言われた 選手が2人決勝に進めない、体操の内村選手がまさかの鉄棒落下、オリンピック初出場の4人がチームを組む男子団体ではトップ成績、 世代交代を印象付けた。柔道の阿部選手兄弟が同じ日に金メダルを獲得したことは、ひときわ明るいニュースだった。 テレビ中継でも力が入った。兄弟で同じ競技に熱中し、オリンピック出場を果たすこともすごいが、金メダルはすごすぎる。 オリンピック選手が若くして金メダルを取ると、次の目標を失い、その後の人生に影響を及ぼすという。 女子ソフトボールのピッチャー、上野選手が26歳で金メダルを取ったその後が、空虚な心をどのように克服したかをテレビで語っていた。 選手のメンタル面を左右するメダルの魔力だろう。さまざまなドラマを生み出すオリンピック競技、まだまだ壮絶なドラマが展開されるだろう。
政府の接種計画と、現場の自治体の接種計画にズレが出ている。接種数を多くしたいという政府と、 ワクチンの供給が無いので予約ができない、という自治体。ほんとうはどうなんだろう。新聞に出た各県別の接種率を見ると、 50〜60%台、この状況では、9月までに全国民に、などという政府の計画は実現できるのだろうか。 自治体側では、政府の言い分がコロコロ変わり、その都度住民に対応しなければならない事態を憂慮しているだろう。 筆者は明後日、2回目の接種を終える予定だが、若い人たちの接種希望が少ない、というニュースを聞く。 ネット上には、摂取が危ないという映像があふれている。接種しなければこうなる、感染したあとの後遺症がこうなる、という 情報は少ないようだ。SNSで接種の怖さが助長されているのではないか。多くの人が接種しないと、集団免疫にはならない。
このところ、ラジオやテレビで昭和のヒット曲を放送する番組が多い。一昨日のNHKラジオでは、 若い女性アナウンサーの司会で昭和30年代後半から40年代の歌謡曲を放送していた。これは、 ラジオ深夜便の中で放送しているものを引用したものだった。 ラジオ深夜便は、シニア世代向けに、静かに深夜にNHKのOBアナウンサーが司会している人気の放送だ。 そこで紹介している歌謡曲を懐かしい、と思って聞くのではなく、若いパーソナリティーがその曲をどう感じるかをトークする、 という視点の違う放送の仕方でおもしろかった。曲を聞いたあとで、メロディーはサルサ超で、 それに和製メロディが乗っていてとてもいいリズムですね。 とか、詞はすごく可愛らしくていいですね、といったコメント。とても新鮮に昭和の曲を感じられる内容だった。 リメークした昭和の曲が現代版で流行るのも、人に訴える力が有るのかもしれない。
昭和の曲シリーズは、歌詞のみの記載だが、このコラム 2020.6.27〜2020.7.27 まで40回掲載している。
どこまでスキャンダルの対応をすれば済むのだろう。今日の開会式を前に、 組織委員会はその開閉会式のディレクターの解任を発表した。 今日の開会式までの準備期間は、まさに迷走の連続だった。そのスキャンダルの原因は、人権問題の原因がほとんどだった。 いかに、日本人の国際的な常識から外れた人権感覚であったかが露呈したということだ。こういったスキャンダルが無ければ、 組織委員会がもっと機能していたはずだ。 真面目に準備に取り組む組織員会職員たちは、おそらく「またか」とあきらめの感覚だろう。 加えてコロナ感染者の急増、「安心安全」とはいうものの、具体的な対応は明示されないし、選手村で起きた陽性者の発表に ついても、組織委員会から詳細情報が知らされないために、東京都は情報把握に苦労している。 そのくらい、組織委員会が混乱しているということだろう。 昨日の組織委員会のインタビュー映像では、「いろいろろ混乱していますが、始まってみれば感動が有るはずです」 と開き直ったような無責任な幹部の声だ。果たして未来に向けたレガシーが残る大会となるだろうか。 せめて、今日の開会式は、家でテレビを見て人流を抑制して欲しいものだ。
江戸時代の暮らしに興味がある。山本一力の小説を読んだ影響かもしれない。現代からしたら比べものにならないくらい不便な生活。 乗り物は駕篭くらい、基本的には歩いての移動、電気は無い、従って暗くなったら寝る。冷蔵庫や洗濯機は無い。 ガスは無い、家の玄関先に有る竈(へっつい)で煮炊きをする。水道は無い、飲料水は水売りから買う。 力仕事の動力は無い、人力のみで工事を行った。 ゴミ収集車は来ない、ゴミは糞尿に至るまでリサイクルする。スマホは無い、情報伝達は人から人だった
といった、すべてのものが人力と工夫と人同士の助け合いで成り立っている。今から比べたら超スローな生活。 人々はそれぞれの関係性で生き、助け合って、工夫しながら暮らしていた。 だから平和な江戸時代が200年以上続いたのかもしれない。 便利になり過ぎて、すべて個とお金で暮らしを賄い、争いが絶えない現代生活を考え直してみるのもいいかも知れない。
このコラム、2020.6.17 に掲載した歌詞が「上を向いて歩こう」だ。いつでも元気をもらえる歌だ。 6−8−9トリオ(六輔・八大・九)のこの曲は、1995年の阪神淡路大震災の時によく歌われた。 2011年の東日本大震災の時に良く歌われた。そして今、コロナのパンデミックでも歌い継がれている。 筆者もギター片手に独り部屋で歌っている。
作詞:永六輔、作曲:中村八大
♪上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す 春の日
一人ぽっちの夜
上を向いて歩こう
にじんだ星をかぞえて
思い出す 夏の日
一人ぽっちの夜
幸せは雲の上に
幸せは空の上に
♪上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら歩く
一人ぽっちの夜
思い出す 秋の日
一人ぽっちの夜
悲しみは星のかげに
悲しみは月のかげに
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら歩く
一人ぽっちの夜
一人ぽっちの夜
上を向いて歩こう……
大相撲名古屋場所は、白鵬の全勝優勝で終わった。横綱・大関陣の相次ぐ休場や負け越しで、 相撲の醍醐味がすっかり感じられなくなっていたが、序の口まで陥落した照ノ富士の来場所横綱を掛けた全勝相撲や、 白鵬の進退を掛けた気迫の有る相撲、そして千秋楽の全勝対決、俄然面白くなった名古屋場所だった。 優勝した白鵬の気合いはすごかった。勝負には白鵬が勝ったが、相撲の内容や勝ったあとの振る舞いには相撲道精神が 宿っていない粗末な振る舞い、これにはがっかりした。相撲は他のスポーツなどと違って、神事なのだ。 いくら現代的な中でも神事の中の武士道精神が有っての相撲だ。勝つことだけにこだわって、何をしてもいいのかと いうと、しきたりや心の入った所作というものがある。白鵬は日本国籍を持ったので、 引退後はおそらく指導者として部屋持ちの親方になることだろう。そんな親方に育てられた力士は、 やはり勝敗のみにこだわる力士になることだろう。もっと相撲道を磨かなければ満足な指導者にはなれない。 新横綱の照ノ富士のほうが品格がありそうだ。
1984年のロサンゼルスオリンピックから、女子マラソンが公式競技になった。増田さんはこの時の日本代表選手。 大きな期待を背負ってのスタートだったが、16キロ地点で棄権、過酷な練習で身体は悲鳴を上げ、 もう走ることができなくなったという。 帰国時には観衆の目を避けるように出口から出て来た。メダルを取るか取らないかで、凱旋ではなくなってしまう。 心無い人からは、罵声を浴びたという。そんな増田さんが立ち直ったのは、その後出会うさまざまな人たち。 「今までは、勝たなければならないというスポーツで、楽しくも何ともなかった。楽しいなどというものとは程遠い努力を 自分に課していた」という。NHKラジオで本人が語っている。以来スポーツの楽しさを伝えることに主眼を置いた活動をして、 今の活躍する増田明美さんが居る。解説では、選手の素顔を取材した中から織り交ぜて選手の日常や心持をトークする。 ただ買った負けた、早い遅い、記録がどうのこうのではない解説の醍醐味を感じる。綿密な取材の努力に基づくものだ。 ロスで負けたから、今の増田さんが居る。
関東地方は、先週の梅雨明けと同時にギラギラの太陽が照り付け、30度以上の熱中症注意報が出されている。 1週間以上も続く長い雨で、カビ臭くなったり、菜園の野菜に影響が出たり、早く太陽が顔をださないかと、心待ちだった。 しかし、この太陽も3日も続けてギラギラと照り付け、熱中症注意報が出され続けると、いいかげんにしてくれ、と思う。 勝手なもんだ。加えてコロナ感染予防でマスクを2重に付けているから暑さが余計応える。しばらくは夏日が続くようだ。 スマホで天気予報を見ているが、アプリが変わると、微妙に予報にも違いが出てくる。いろんなものを見て比較するのは やめたほうがいいかもしれない。もっとも、最近の天気は目まぐるしく変わるので、 予報官も翻弄させられているのかもしれない。
朝ドラのモネちゃんは、気象予報士試験の狭き関門を通って合格、東京での気象予報会社に就職、その世界に跳びこむ。
経済面で、軍事面で、宇宙開発面で、科学面で、世界を台頭する中国。アメリカに言わせれば、勝手に他国の海域に侵略し、 一部の民族を人権弾圧し、民主的なことをしていない、臭いものには何でも蓋をして情報を出さない、 ということで、同盟国を巻き込んで敵対視している。しかし、中国のナショナリズムは、若者にも浸透し、 愛国者が増えているという事実が有るようだ。毛沢東や鄧小平などの生誕地を廻る共産党の聖地巡りの旅が若者に人気が有るという。若者にも国づくりへの関心があり、国を誇りに思っている、という現象だろう。 翻って我が国の場合は。若者たちの愛国心があるかどうか、実に疑わしい。 自由すぎる不自由が日本の若者たちに蔓延しているような気がする。 若者が自分の国を“祖国”と思うことは大事なことだと思うが、選挙の投票率などを見ても最悪だ。 国家権力で思想統制や言論統制をする中国の現在の政治は、決して望ましいものではない。 しかし、若者に国づくりの関心を持たせ、祖国を敬い想う愛国心を育てる、という意味では成功していると言えるだろう。
昨日、文部科学省が全国の国公立学校の教室を広くするよう、自治体の教育委員会に通達を出すことを固めたようだ。 一人1台の情報端末が配備されるが、それに伴い、一人の机スペースが足りなくなることから、机を大きくするためだそうだ。 全国の教室平均スペースは、64平米だというが、教室の広さの決まりは無いらしい。少子化で使われていない教室を活用したり、 廊下との仕切り壁を無くしたりして対応するとのことだ。全国には築40年以上の校舎が46%有るということで、 校舎のリニューアルと絡めて対応して行くという。子ども庁の創設も決まっているが、学校を含む子どもたちの環境改革、 ドライブがかかることはいいことだ。
オリンピックの開催まであと1週間、開催中止を訴える声が聞こえる。しかし、決定の背景などいろいろあろうが、 開催を決めた以上は、大会の成功を祈りたい。しかし、1週間前になって前途は多難だ。昨日の感染者は東京都で1149人、 最悪のシナリオになって来た。聖火リレーは一般客をシャットアウトしたトーチキスのセレモニーに、会場の観客は入れないことに、 会場で酒を出そうか、などの議論は無駄な夢だった。選手村入りのセレモニーは中止、選手たちはバブル方式と言って、 選手村と会場の往復のみで、一般の人との接触無し。祝日を無理やり入れ替えて開会式にしたのは意味がなかった。歓迎ムードなど、 全く無い。 異例づくめで開催の準備が進む。IOC会長はすでに日本入り、昨日は総理と会って、「オリンピックで日本人に対するコロナの リスクはありません」と。コロナの問題は日本の問題、と言ったように受け止めた。開催の意義が当初の目論見どおりにはならない。 福島の復興を世界にアピール、外国人旅行客増による経済効果、選手たちが各地で合宿などすることによる国際交流、などは どこかに行って、「コロナ禍でも安全安心な大会の成功を世界にアピール」などと意義どころか、莫大な経済損失を抱えて、 これからの財政へのひっ迫は避けられない。冬のオリンピックを控えた中国のこれからの動きは、世界に中国をアピールする動き となってドライブがかかることだろう。悪運のくじをひいてしまった日本、立て直しにかかる時間と労力は、甘い皮算用のツケとして、後世まで続きそうだ。
空地のいたるところに太陽光発電のパネルが見られるようになった。特に田んぼの遊休耕作地に多い。田んぼは日当たりが良いし、 面積が広い。地主さんから借用して業者が設置する。地主には、土地の借用料が支払われる。もともと遊休地だから、 地主には何も収入が無かったところに定期的な収益が見込める。太陽光パネルの生産量が増え、コストが安くなって来たようだ。 7月12日(月)経済産業省が発表した発電コスト比較のデータによると、太陽光発電のコストが原発よりも安くなったという。 原発の安全対策費用が嵩み、太陽光パネルの価格が下がったことで、6年ぶりの試算でこのことがわかり、 原発に頼っていたエネルギー政策が変わるかもしれない。原発は11円・1KW、太陽光は8円から9円という試算だ。 しかし、太陽光発電は、天候に左右される部分が大きいことから、安定供給の面で難があるようだ。 カーボンゼロ政策も原発に頼る見通しだったものが、見直される可能性があるかもしれない。 原発反対派にはいいニュースだった。
6月24日、上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれた。何と双子の赤ちゃんだった。その後男の子と女の子であることがわかった。 コロナ、コロナで暗いニュースが多い中、人々を笑顔にするニュースだった。赤ちゃんは100グラム程度で小さいから、 母親の身体の下敷きになったりするということで、動物園では保育器に入れたり、母乳を哺乳瓶で与えたりの厚いケアを行い、 順調に育っているという。地元の上野では、商店街が歓迎の行事をさまざまに行っているようだ。 今後は、名前の募集などを行う、という都の計画だそうだ。少し冷えている中国との関係が、パンダ外交で和らぐことを期待する 向きもあるだろうが、パンダからしたら、政治に利用などされたら、 たまったものじゃない。
部屋を整理していたら、1枚の筆書きの資料が見つかった。いつ、どこで手に入れたものか思い出せないが、心に響く文だったので、 掲載しておこうと思った。
人に接する時は暖かい春の心
仕事をする時は燃える夏の心
考える時は澄んだ秋の心
自分に向かう時は厳しい冬の心
そうありたいと思う内容だった。
天気予報を見ていると、雲の動きの映像が時系列に出ることがある。雨雲が日本列島に線状に掛かり、線状の雲が動いても、 同じ場所で長時間降水量が多いことが有る。色が濃い部分が移動せず、いつも同じところで降り続き、警戒宣言や避難指示に結びつく。 予測できることもあれば、予測が困難な場合もある。多くの予測困難な場合は、自然を相手にして経験が無く知見が無い場合だ。 熱海市で起きた土石流なども、盛り土という、想像もできなかった行為が被害を大きくした。国や自治体は、 あわてて全国の盛り土の調査を始めた。おそらく、似たような違法盛り土の場所が多く指摘されることだろう。 自然現象は人間の英知を超えたところで起きるから、怖いことだ。言えることは自然を甘く見たらいけない、ということだ。
世の中ポイントカードで溢れている。コンビニ、デパート、ファミレス、スーパー、パン屋さん、カフェ、家具屋さん、映画館、 ガソリンスタンド、レストラン、家電量販店、などなどお店は顧客を囲い込む戦略としてポイント制度を導入している。 客の方は、それぞれの店のポイントカードを保有するから、その管理が大変だ。 筆者も財布がパンパンになるほどのカードを持っていて、 レジの時、お店でカードを出すのが大変。全部出してトランプのように広げて探している。 どうせ買い物するならポイントが付く店で、と考えるのは、店の戦略に乗っている行動だろう。 最近はいろいろなポイントカードをクレジットカード付きにしてくれ、という勧誘。入会すれば500ポイント差し上げます、 などというもので、そんな勧誘に乗ったら、クレジットカードを何枚も持つことになる。 ポイントをうまく使う名人も居て、1度の買い物で2つの仕組みのポイントをゲット、などしているという。
ASMRが今、若者の間で流行っているそうだ。Autonomous Sensory Meridian Response 。略すると、自立感覚絶頂反応というそうだ。 人間が聴覚や視覚から感じる反応で、脳がゾクゾクするような心地良い感覚のことを指す。 ゾクゾクというか、聞いて心地よい音というものがある。ある人はせせらぎの音、ある人は電車が通過する音、ある人は雑踏の音、 ある人はバイクのマフラーのバリバリ音。変わったところでは、耳かきの音、美容院でシャンプーをしている時の音、 人によって音の心地よさは違う。自分が心地良くても隣の人は不快に思うかもしれない。 電車の中で聞こえるイヤホンからのシャカシャカ音、本人にはASMRでも、周囲には不快としか聞こえない。そういったASMRの音が YouTubeには溢れている。こういう音を専門にYouTubeにアップする人も居るようだ。
企業やお役人の世界で不正がまかり通る。その不正が起こる起因として、3つのトライアングルが有ると言われる。 財務省の文書改ざんで担当者が自殺に追いつめられた事件を例に考えて見よう。
ひとつは“動機”だ。 財務局長が自分を総理大臣に忠実な部下であることを装うために地方の財務局に改ざんを命じた。その財務局長はその後出世した。 改ざんさせられた部下はその後、良心の呵責に悩み、自殺。
2つ目が“状況”だ。総理大臣が国会の追及に遭い、「もしそんなことが有ったら、私は辞任しますよ」と言ったことに、 辻褄を合わせるために、議事録を改ざんして応えた。議事録さえなければ、事は丸く収まると思ったのだろう。 そういった状況をつくった、時の総理大臣のうぬぼれと権力を一手に集めた姿勢が原因だ。
3つ目に“正当化”不正がまかり通ることがわかれば、それが不正の連鎖となり、麻痺した結果、腐敗の連続になる。 相次ぐ省庁の資料改ざんが発覚した。不正が正当化される温床となった。
いずれもっと、すべてが明らかになると思うが、財務省事件で国会が蛇行し、少しずつその真相が解明されて来た。 お役人の不正に対する甘い認識だ。すべては、金と権力に結びつく。不正はいつか暴かれる。
「うそ」という演歌が有った。♪「折れたタバコの吸い殻で あなたの嘘がわかるのよ〜」という歌詞だった。 目の前に居る妻が、旦那の吸ったタバコの消し方を見逃さず、ウソついてるな!と感じた情景だ。 男は浮気をしていたのを咎められて、咄嗟に嘘をついてしまったんだろう。嘘は万事がバレる。 それがわかっていても悲しいかな人間は嘘をつく。
朝乃山が緊急事態宣言中に深夜の接待店に出かけて「断固ありません」、バレた代償が6場所出場停止。 元法務大臣が選挙違反をしたのに、公判で嘘の証言、途中で本当のことを言わざるを得ず議員辞職、 本人は周囲の人を惹きつけたくて金を配ったという幼稚さ。 三菱電機の検査不正事件で社長が引責辞任、不正のデパートとも言われて、辞めるのが当然なのに、 会社を良くしたいから、自分が辞めざるを得ない。しかし法律には違反していない、 とそれでもカッコつける。 みんな日本人が持つ潔さ、武士道精神が無い。嘘をついて自分を偽ったら、何のための人生かわからなくなる。 大切なことに気づかない、嘘つきの愚かさだ。何度も嘘に関するこのコラムを書いたが、いつも腹がたつ。
新聞に、面白い記事が有った。その受け売りを…。
「ゴジラ」「ガンダム」「ゴレンジャー」などの濁音が入った言葉、これは力強いイメージを人間に与えるという。 「パパ」「プリキュア」「ぷーさん」などの半濁音が入った言葉は、優しいイメージを想起するという。 音声学として分類・研究する慶応大学の川原繁人准教授の「音象徴(おんしょうちょう」の研究だ。 “ことば”が、良い・悪い、大きい・小さい、強い・弱い、 暖かい・寒い、安心・不安、平和・争い、簡単・難しい、できる・できない…などなど人間の行動に影響しているんだ、 ということが何となくわかる。例えば外国語を比較しても、フランス語と韓国語はいかにも違って、温和・激しいの イメージだ。意味はわからないが、感情が伝わって、国民性もそんな感じがする。翻って日本語でも、 京ことばと堺ことばの違いを感じる。これは文化なのだ。言霊というのが古くから日本の文化になっているが、 たいせつにして行きたいことの一つだ。
終活として、どんどん物を捨てる断捨離、一時流行ったが最近はあまり聞かない。しかし、コロナ禍でおうち時間が増えて、 この期間に断捨離を、と取り組む人が周辺に多い。友人も部屋にこもって断捨離に挑戦しているが、 なかなか捗(はかど)らないという。 ひとつひとつ見て行くと、思い出にふけってその思い出の物が捨てられない、というのだ。 見方を変えれば、そういった思い出にタイムスリップする時間を味わうのにいいのでは、とも思える。 しかし目的は物を少なくすること、バッサバッサとやりたい。でも、難しいんだなこれが。 筆者の場合、定年退職して3年目くらいに一度やった。カミさんから、「おとうさん、少しは捨てて身軽になってよ」 という掛け声に渋々やったものだ。そんなに捨てていいのかと思うほど書棚2つ分くらいを捨てた。 あれから6年たって、捨てても何も困る事が無かった。断捨離の意味が有ったという結果だ。 またやりたい気がするが、“そのうち”と思って何も手を付けていない。“そのうち”は、やらない、ということなんだよね、 友人と、そのうち温泉にでも行こうよ、というのは、本気で行こうとは思っていなくて、お愛想で言っているに過ぎない。 ほんとうに行きたいのなら、具体的に日付を決めるまで踏み込むはずだ。というわけで次回の断捨離は“そのうち” の部類になっている。階下から「“そのうち”をお葬式の前にしてよね」というカミさんの声が聞こえて来そうだ。
レジバックが有料化され、買い物した時に当たり前のようにもらっていた袋がもらえなくなった。 靴屋さんでスニーカーを買い、「袋要りますか?」と聞かれ、要りませんといったら、 スニーカーを裸で渡され、持って帰るのが恥ずかしかった。 コンビニで「レジ袋必要ですか?」と聞かれ「要りません」と答えて、買ったものを抱えて店を出る。 なんとも恥ずかしい瞬間だ。 買ったものを手で抱えた中からおにぎりを1個落としてしまった事件から、 コンビニに入る前にエコバックをチェックするようになった。
レジ袋が無くなって、家庭で困るのがゴミを出す時に入れていた袋が無いことだ。 今では以前もらった袋を大切に使っている。我が家は家庭菜園をやっているが、 畑から持ち帰る時、おすそわけで近所に差し上げるときにレジ袋が無くて困る。 でも、太平洋がプラスティックのプールになっている。と指摘した環境学者の声は心に響く。
菅総理大臣の記者会見で右胸に付けた黄色い羽根、見かけたことが無いので、なんだろう?調べてみた。 菅総理だけでなく、周囲の官僚の人たちも全員が付けている。どうやら今年始まったのではなく、2、3年前から、 議員さんたちを中心に付けていたらしい。7月1か月は「社会を明るくする運動」期間だそうだが、 その啓発のためのものらしい。1949年から始まった運動だという。犯罪や非行を社会から無くし、 罪を犯してしまった人の立ち直りを支援するための運動だそうだ。法務省主管で行われるが、この運動のシンボルとして、 2008年から黄色い羽根が使われたという。実は黄色い羽根が使われる運動はあと2つ有って、 春と秋の全国交通安全運動、岩手県で使われているそうだ。もうひとつは、腎臓移植の啓発運動、 これは石川県で使われているそうだ。今回の菅総理の黄色い羽根は、社会を明るくする運動のほうだった。 因みに「はね」の表記は、「羽」と「羽根」があるが、 その違いはネットでどうぞ。
株主総会が終わってからニュースになった三菱電機の製品検査不正事件、正直に総会で言わないのは許せない。 この会社は、不正のデパートと言われるくらい、次々にいろんな不正事件を起こす常習犯会社らしい。 ウーバーイーツのコンプライアンス担当が、ベトナム人を不法就労させていた事件、 コンプライアンスを守る人間がこうでは許せない。 大阪府貝塚市の職員が緊急事態宣言中に飲酒しながらバーベキューを行いコロナに感染、自らの範を忘れるのは許しがたい。 (似たようなことが国会議員の深夜の銀座詣でや力士の接待店への頻繁な夜間外出もあったっけ)。 和食レストランチェーンが、寿司ネタの賞味期限を改ざんして販売(食品関係ではよくある話)、新聞社の指摘を受けて 発表、など消費者を何だと思っておる! 三井住友信託銀行の30代行員が架空のキャンペーン企画を顧客に販売、3億7千万円着服、信用を逆手に取ったあくどい犯罪。 札幌市水道局が個人、法人のクレジットカード情報が入った400枚の申込書を紛失。これらの不祥事は今年発生したものばかり。 企業組織としての組織利益を優先して法を守らなかった責任やミスの代償は大きい。この他に組織の中の社員や職員が やんちゃをする事件は数知れず。自治体、議員、警察、自衛隊、民間企業の社員が個人的な利益を得るため、 あるいは自己の権利を保身するためにしでかすことは数知れず。捕まった時はウソを言うが。全部必ずバレる。 ご丁寧に、組織がコンプライアンス違反した時に謝罪会見するそのやり方を指南するコンサルタント会社まである。フ〜〜〜〜ッ!
梅雨の前線が日本列島にかかって、大雨になっている地域が有る。梅雨に入っても、 しばらく強い雨が無くて水不足が心配されていたが、昨日から厚い雨雲が列島を覆っている。 線状降水帯ができているところも有って、水害が心配になる。気象庁の発表形態が、 避難の判断をしやすいように変更されるなど、水害への対応を迅速に行えるような工夫がされている。が、避難するにも、 コロナ禍ではその判断に迷いが生じてしまう。そもそも避難とは、緊急事態にたくさんの人を一時的に受け入れて、 命を守ってもらおう、ということなので密集は避けられない。密集すれば感染のリスクがある、ということでコロナ禍では、 分散避難が言われている。昨年秋には避難所が定員いっぱいで入れなかった、という事態があったが、 避難所に入れないリスクも増えた。一般人には避難所を探し当てることなど、かなり難しいことになる。 加えてお年寄りや障碍者の場合は更に大きな負担になってしまう。避難所での過ごし方にも工夫が要るようだ。 日ごろからこういったことを考えておかねばならない。わたしたちが大変な以上に、担当する自治体の職員の方々は、 コロナに翻弄され、気が休まる暇も無い。ご自愛されることを祈念している。
食材や加工食品や調理済みの食料に関する価値の見直しを行う“フードロス”の考え方が広まっている。特に日本の場合は、 食料の自給率が50%以下と、輸入した食料を加工して、食べ残しや賞味期限切れを捨ててゴミとして廃棄していることが 問題だ。コンビニで賞味期限切れの商品を無駄に捨てている問題が、このところ改善されて来ている。テレビやSNS情報の中に、 野菜の調理ゴミを少なくする方法が多く掲載されている。家庭で余っている食品を集めて福祉活動や国際交流活動などに活用する、 などあちこちで食品を無駄にしないことが工夫されている。我が家では家庭菜園で採れた野菜くずが多く出る。 これはコンポストを経由してまた畑の肥料として還って行く。フードロスが出ないこういった仕組みをつくりあげることも大切だ。
感染者増をものともせず、開催と有観客に突き進むオリンピック準備。来日する選手団の中から、空港検疫で感染者が見つかる。 通常の海外からの来日者に対して義務付ける14日間の隔離ステイ、これを省略して国内を移動する選手。 移動したあとで感染者が見つかる事態も。 こういった事態は想定されていたはずなのに。“安全安心の開催”としか言わず、具体的施策を語らない推進事務局。 IOCのバッハさんが広島を、コーツさんが長崎を訪問し、平和のメッセージを世界に発するということが昨日発表された。 国内の移動制限を無視したオリンピック関係者の特例措置。 とうてい国民には理解できないことなのだが、開催事務局や政府には停められない彼らの行動。 感染者が増えている最中のこの行動が、今後の国内感染に重大な影響とならなければいいのだが。 国際的な成果と引き換えに日本が大きなリスクを抱えなければならないことは、どう考えても理解しがたいことだ。
週刊誌のトップ記事、高齢者の生活や終活に関するものが目立つ。健康、暮らし、遺言、葬儀、断捨離、薬、病院、高齢者ホーム、 財産、預金、下世話なセックスの話題まで。それだけ関心を持って買う人が居るということだろう。もしかして購買層は高齢者? 確かに、若者は週刊誌など買わないし読まないだろう。自治ネタや芸能人スキャンダルに強く、社会を動かす週間文春は別として。 その文春も最近は文春オンラインがヒットしている。週刊誌の記事は、まともに読むのではなく、少しオブラートに包んで、 半眼で見るようにしたほうが良い。高齢者向け話題を書いている記者さんたちは、果たしてそういった年代の方なのだろうか? 年代のステージが同じ目線だったら問題ないのだが、少し疑わしいものも有る。因みに、今日発売の3誌、「AERA」は、 “老後に泣くのはマネー情報2100万”、「週間ポスト」は、“60過ぎたら友人も要らない”、「週間現代」は、完全保存版 “老親をきれいに見送る方法”、という見出しだ。
市の防災無線からときどき行方不明者の情報がアナウンスされる。「〇〇警察署から連絡いたします。△△地域で、 90歳の男性の方が行方不明となっています。服装は……」といった内容に、ご家族の方はさぞ心配されているだろうな、 と気の毒に思ったりする。昨年1年間で警察に届け出が有った認知症の人の行方不明が、1万7556人にのぼるという、 警察庁の発表が有った。8年連続で数字が増えているそうだ。都道府県別では、大阪(1990人)・埼玉(1745人)・ 兵庫・神奈川・愛知・東京と続く。昨年中に見つからなかった人が214人だそうだ。大都市部で行方不明になる人が多いのは、 地域の成り立ちによるものだろう。厚生労働省では、警察・企業・団体などと情報共有して不明者を探す仕組みを 築いているそうだが、地域住民のつながりが、こういった事故を未然に防ぐものだろう。都会的生活では、 人と人のつながりが希薄になりがち。地域の再生が求められる。
精神障害を発症し、労働災害に認められた人が、2020年は603人だったという結果が、6月23日に厚生労働省から発表された。 最も多い原因はパワハラだったという。昨年から労災の認定基準が見直され、パワハラも要因として明記されたことから、 パワハラが労災の原因の表面に出て来たということだろう。職場でのパワハラ、自身も会社員時代に受けたことが有るし、 何度もそういう現場に出くわしたことが有った。組織の中で上位上司の人格、人間性によるものだが、 人間社会いろいろな人が居る。人間関係を円滑に保てない上司もいるし、自己のステータスをただ印象づけたい上司もいる。 上司の上司からいたぶられてそれを部下に受け売りする者も居るし、何らかの自身のもやもやをただ発現する者もいる。 そういう上司を持った時にうまく対応できる部下ならいいのだが、まともに精神疾患になってしまう人も居る。 部下は上司を選べないから、そういう上司に当たってしまったら、余計なエネルギーが必要だ。 組織の中でどううまくやって行くかも、仕事のうち、さまざまな性格の上司に出会うが、パワハラ上司には向き合うのが難しい。 その時の職場環境の中で高いパフォーマンスを出して上司に認めさせるにはどうしたらいいか、と筆者の時には思っていた。
日本財団が2013年から始めた「電話リレーサービス」が7月1日から公的サービスとしてスタートする。聴覚障碍者の人たちは、 電話を利用することができない。耳が聞こえない人が、電話で用件を伝えたい時や用件を受けたい時に、オペレータが介在し、 コミュニケーションができるサービスだ。消防や警察などへの緊急連絡、 電話による申し込みや問い合わせなどに威力を発揮するだろう。 耳が不自由な人がスマホや専用の電話機から電話をかけると、オペレータが出て通訳をする、という仕組みだ。 日本財団は、さまざまな社会的な課題に果敢にトライする有能な組織だ。競艇事業の収益をもとに活動するソーシャルイノベーターとして、 教育、福祉、貧困、人権、医療、自然保護、平和、国際理解など、多岐にわたる活動は、テレビの公共広告で多く紹介されている。 電話リレーサービスは、聴覚障がい者の福音となるに違いない。
このコラム、2日続けての訃報だ。ジャーナリストの立花隆さんが4月にお亡くなりになっていた、というニュースが昨日テレビで流された。 1974年に発表した「田中角栄研究」では、政治とカネにまつわる実体をつぶさに取材、時の宰相の辞任にまで発展した。 “知の巨人”の異名を持つ、その広いジャンルの取材力、レポートには定評があった。徹底的に取材、関連する資料の読み込み、 それを確たるテーマとしてまとめ上げる。他のジャーナリストたちが舌を巻いたという。自ら教壇に立ち、後進の育成にも 力を入れた。蔵書が10万冊にもなる読書家で。常に勉強していたそうだ。その取材力と鋭い洞察は、 今を生きるジャーナリストやさまざまな人たちに大きな刺激を与えているという。ジャーナリストの鏡として偉大な生涯だった。 ご冥福を祈りたい。
高校生時代、エレキギターにしびれた。クラスにひとり、上手な奴がいて羨ましがったものだ。 あのギターとアンプが欲しい、 と思ったが、家の経済力を考えると、買って欲しいとは言えなかった。そのかわり、 中学時代に買ってもらったクラシックギターに熱中した。 しかし、惹くのはクラシックでは無く、フォークソングだった。エレキギターと言えば、寺内タケシさん。 エレキの神様の代名詞を欲しいままにしたが、6月18日(金)、82歳で鬼籍に入った。多くのアルバムを出し、 民謡やクラシックの曲をアレンジ、当時流行っていたベンチャーズの“テケテケテケテケ”よりも好きだった。 エレキギターでバンドを組む、なんて当時は不良の集まり、と思われ、彼はそれを払拭するため、 全国の高校をコンサートで廻り、その回数は2010年で1500回を数えたそうだ。健全な活動、 と思われるまで時間がかかったが、彼の音楽性で救われた高校生も多く居ただろう。寺内さんのご冥福を祈りたい。
間宮林蔵という人が居る。昨日の伊能忠敬の弟子として、測量で業績を残した人だ。 間宮林蔵の業績は、 北海道、北方島の地図を完成させたことだ。伊能忠敬と蝦夷で出会い、子弟の関係を約し、測量技術の指南を受けた。 やはり徒歩で蝦夷(北海道)の地を歩き、小舟で海岸沿いを探検して地図を完成させた。 サハリンを探検し、ロシア大陸と陸続きではなく、島で有ることを発見、後にシーボルトが日本を紹介する時、 大陸と島の間の海峡をマミヤ海峡として紹介し、その名が付いたのだそうだ。間宮林蔵記念館は、生家のある茨城県つくばみらい市の 田園の中に有る。伊能忠敬しかり、間宮林蔵しかり、志のある偉人のおかげで、今の私たちの暮らしの基礎が築かれていることを知ると、 知ることの面白さを再確認する。
茨城県つくば市に、国土地理院が運営する地図と測量の科学館が有る。 国土地理院は、日本地図の総本山。展示の内容はとてもおもしろく、見ごたえがある。今年は、江戸時代に日本全国を歩いて測量、 伊能忠敬が歩測で日本地図を完成させて200年に当たるそうだ。車や高度な観測機器の無い時代に、その道具を工夫し、 歩いて日本地図を完成させた、という偉業にただただ感動した。今私たちは簡単に車のナビで行きたいところに簡単に行ける。 スマホで自分の位置を知る。こういった大元になる地図を制作するのが国土地理院、私たちのあまり知らないところで、 こういった社会に役立つ研究や事業をしている人達が居る。伊能忠敬の業績もさることながら、彼の経歴も驚きだ。 17歳で造り酒屋の養子になり、事業で成功を収める。49歳で子どもに事業を任せて隠居、19歳年下の歴学者に師事、学び、 55歳から測量の旅に出る。9回の旅で地図を完成させ、73歳で入眠。50歳から学んで偉業を達成した、ということが心を打った。 志有れば、困難をものともせず、前に突き進むすごい人生だったのだ。千葉県香取市には、 伊能忠敬記念館がある。
6月の第3日曜は父の日。毎年子どもたちやカミさんから何がしかのプレゼントが有るので、“密かに”期待はしている。 5月第2日曜の母の日は、当然私も贈り物や食事に行くなど、いろいろ考えるので、お返しとは思わないが、よほどのことが無い限り、 私の期待は、何らかの形で実現する。 しかし、父の日よりも母の日のほうが、子どもたちの思い入れが強いような気がするのは考えすぎだろうか? 筆者だけでなく、世の中のおとうさんたちのほとんどがそう思っているようだ。 先日、朝日新聞が調べた「父親の呼び方」という記事が目にとまった。多い順に、おとうさん・おやじ・おとうちゃん・ とうちゃん・とうさん・パパ・おとん・名前で呼ぶ・おとう・おとうさま、と10位まで。中には父上・パピィという 人も居た。子ども時代はパパ、おおきくなってからとうさん、などよく有ることだ。我が家は息子がとうさん、娘がおとうさん、 カミさんはおとうさん、孫たちはジージだ。私もカミさんを名前で呼ぶことは無い。おかあさんと呼ぶ。 困るのは、人ごみの中で呼ぶとき、“おかあさん”と呼ぶと数人の女性が振り返る。その時は、恥ずかしい気持ちを押さえて、 慣れない“名前”で呼ぶことになる。
油や大豆や小麦の相場が上がっている。その原料のほとんどを輸入に頼る日本は、価格変動の部分が消費者に転嫁される。 穀物の相場が上がっていることが原因のようだが、生産量としては世界的に増えている中で、価格の上昇が続いているのは不思議な感じがする。 生産量は増えているが、需要が増えていることが起因だ。ひとつは、中国経済の台頭で、中国国内で消費される肉の需要に伴い、 豚肉や牛肉生産のために、大豆やトウモロコシを大量に輸入していること、国際取引の60%を占めるという。もうひとつは、 クリーンエネルギーとしてエタノールの需要が増えていること、これはトウモロコシが原料だ。原油価格が上がると、 エタノールの使用料が増えるという相関関係があるそうだ。こういった需要が穀物相場を左右、 われわれの口に入る油や小麦粉に影響するし、開発途上国などでは、食料難となり、飢餓が発生する、という影響になる。 世界情勢、なかなかうまく行かないものだ。
鉄でつくられた動物、鳥、昆虫などの造形展が開催されている。 正野豪勇さんの作品を集めた珍しい展示だ。 正野さんは、馬の蹄鉄をつくる装蹄師、仕事で使うヤスリが大量に捨てられるのを見て、これを材料に造形物をつくれないか、 というところから、鉄の立体造形を趣味でつくることに没頭したそうだ。出来上がった作品は、黒光りする、精巧な出来栄えで、 今にも躍動しそうな雰囲気を醸し出す。会場にいらっしゃる正野さんにお話しを伺ったが、淡々と素材と作品のかかわりを、 熱く語る。鉄のリメークで環境保護、なんて気負ったところが一つも無い。作品を生み出す、そのプロセスが楽しいのだそうだ。 この作品展7月18日(日)まで、水戸市の常陽資料館 で開催されている。常陽資料館は、常設展示が“お金”にまつわる情報館、こちらのほうも楽しむことができる。
薔薇と書くと、バラと書くよりも気品があるような気がする。筆者は「♪バラが咲いた」のイメージだ。 茨城県フラワーパークに行って来た。 今年春にリニューアルして薔薇のエリアや展示方法が変わった。 薔薇に詳しいわけではないが、観るのは好きだ。 薔薇のパンフレットから、そのうんちくを受け売りしてみよう。
原産地は北半球の亜熱帯から寒帯にかけて広く分布、開花期は4月〜11月と長い。5つの主な種類があり、 クライミング(つるバラ)、フロリバンダ(四季咲き中輪房咲き)、ハイブリッド(四季咲き大輪)、ミニチュア(ミニ)、 イングリッシュローズ(イギリスの育種家ビット・オースチンしが作った)に分かれる。樹形は、木立ちのブッシュ、 半ツルのシュラブ、つる性のクライミングの3種類。 バラ園を眺めると、花の色や形、樹形などがさまざまだ。新しく品種改良されたものがすごく多い。 愛好家にはよだれが出るものもきっとあるのだろう。薔薇の花言葉は、色によって違う。赤=愛情、 白=純潔、ピンク=しとやか、青=奇跡、といった具合い。心満たされて園をあとにした。
緊急事態宣言やまん延防止措置の県や市の首長発言が、会見の場などで明らかになる。さまざまなコントロールを中央から行いたい政府、 実体を睨みながら住民にことこまかく情報を出したい自治体、地方分権などといいながら、結局は西村大臣のような、 地方にクギを刺す発言になってしまう。中央政府は現場の声を聞かず、その都度判断を誤って来た。首長からすれば、中央は実体を 把握しているのか!と怒りたいところだ。各県、各市町村はそれぞれの特色があり、足並みを揃えたい政府の見解には納得しづらい ところも有るだろう。加えてオリンピック、衆議院解散というファクターも加味しなければならない政府はピリピリしている。 専門家会議の発言も、政府が神経を張りつめているらしいから、感染防止という実態と政治的な駆け引きの中で、 今後の流れが気になる。接種を早くやりたい政府のやりかたと、自治体の摂取券の発行にズレが出て来た。 大規模接種会場に早く行きたいのに、自治体から摂取券が郵送されていない。 自治体は、配布するワクチンの量に合わせて摂取券の発送、予約受付をしているのに、 政府の身勝手さに自治体はイライラしていることだろう。
昨日、関東地方の梅雨入りが発表された。まだか?まだか?と気をもんでいたが、11時に気象庁が発表した。 各テレビ局の専属気象予報士の方々は、予報に梅雨を盛り込むことができず、視聴者からの問い合わせに、 気象庁任せであることをやんわりと表現していた。昨日の発表でひと息入れられた格好だが、一夜開けて今朝は、関東地方が晴れ、 梅雨入り宣言の翌日、「昨日の降雨は、前線によるものではなく、冷たい空気が上空を通ったので、弱い雨が関東地方で降り続いた」、 と今朝の天気情報で話していた。 気象予報士も大変なのだ。東海地方まではいつもより早くトントンと来たが、関東地方で足踏み、新潟県の視聴者から、新潟はいつ発表? という質問にも答えなくてはならない。NHK朝ドラの主人公モネちゃんは、これからこういった予報士の仲間入りにチャレンジ、 ドラマ展開が楽しみだ。しばらく気象情報に興味が湧く。
数年前、スポーツ用品メーカー「ナイキ」社が児童労働によって製造されたシューズを販売していたことが問題になった。 開発途上国で物を生産する過程で、児童労働に頼ることがある。経済力が無いため、子どもを働かせることが常態化、 子どもは学校に行けないことになる。コーヒー豆などの農産物も児童労働によって生産される場合が多かった。 こういった生産物を輸入するとき、フェアトレードと言って、違法な経過で製造されたものでないことを確かめる貿易を目指すことが、 多くなった。国際労働機関(ILO)によると、児童労働を強いられている子どもは世界中で1億6千万人と推計されている。 子どもたちの義務教育の妨げになること、法律で禁止されている18歳未満の、 危険・有害な労働から子どもたちを守るためのNGOが世界各国で活躍している。SDG's(持続可能な開発目標)の目標8には、 2025年までに、あらゆる形態の児童労働を終わらせるとある。
5Rとは、ごみを減らすために私たちが心がけておきたい、5つの単語をいう。ひところは4Rと言っていたが、最近Rがひとつ増えた。
Refuse(断る)、Reduce(抑える)、Reuse(再利用)、Repair(修理する)、Recycle(再生利用)が5Rだ。 このところ、容器リサイクル法の効果で、お店でレジ袋を無料で配らず、欲しい人に3〜5円で有料販売になったことなど、 身近なReduceだ。近くのお煎餅屋さんでレジ袋の有料化に合わせてお遣い物の包装サービスの代金を徴収するようになったが、 これは便乗値上げでサービスの省略としか思えないが…。お店によっては、まだまだ過剰な廃棄物が出るところがある。 ハンバーガー店などは、ドライブスルーで買って食べたあと、ゴミの始末に困ってしまう。日々の生活の中で5Rに知恵を絞れば いろいろなことが出来るのに、便利な暮らしに慣れた現代社会では、ひと手間加える生活を敬遠しがちな弱点がある。 最近加わったRepair(修理)などは生活上で工夫のし甲斐がある。ひとつのものがひと手間で蘇った時、 その物に対する思いもまた強くなり、結局永く使えるものに変身する。
『おうち時間 家庭で点検 火の始末』これは日本損害保険協会が昨年の秋に募集した令和3年度の防火標語だそうだ。 地域の防災情報誌を見て知った。標語募集は第56回を数え、全国から17,588通の応募が有ったという。 最近、マンション火災のニュースをよく見る。ひと頃マンションの4階に住んだことが有ったが、一度10階から出火した火事が有った。 消防車がうまく活動できず、放水で火元の上下左右が災難に遭った。火災では最悪は火元の人が亡くなったりする。家事は怖い。 山火事も国内、海外で発生している。ハイキングコースなどでガスバーナーを安易に使って出火したり、バーベキューの残り火から出火、 といった火の粗末な扱いから生じる事故が多い。昔のように家の中に囲炉裏が有ったり、焚火をしたり、という文化が消えたことから、 火の怖さを肌で感じたことが無い人が、便利なキャンピンググッズなどを粗末に扱ったりするのは怖いものだ。 今一度、防火標語の意味を感じて“火災が発生するかもしれない”という、『かもしれない』精神を持っていたい。
今、作家の山本一力さんの作品を次々に読んでいる。 江戸の庶民の暮らし風景を描いた作品が多く、さまざまな江戸時代の文化風俗を丹念に描いている。 ストーリー展開も小きみ良い江戸っ子気質のことばで掛け合い、トントン進んで行く。長屋、てんびん担いだ売り子、商家の丁稚、 目明し、花街の娼婦、鳶、大工、飛脚、武家などなどさまざまな人物を登場させる。時代考証をよくやったもんだ、 と感心する。中でも江戸時代の暮らしぶりに興味が湧く。小説から想像した解釈にしか過ぎないが、 ものを大切にする暮らしや人と人の繋がりと人情、生活の工夫、その中で描かれる江戸町民の幸せな暮らし。 今とは比べ物にならない質素で貧乏な暮らしだが、たいせつなものをほんとうに大事にしながら人間らしい暮らしをしている。 そんな風景を垣間見るのが、山本一力の小説の魅力なのかもしれない。
梅の収穫時期だ。我が家の5年目の梅の木、3メートルほどになる。今年は青梅の実をたくさん収穫できた。7キロほどあった。 今まであまり実が成らなかったので、梅シロップくらいしか作れなかった。今年は梅シロップの他、うめジャム、梅ぼしなどを仕込んだ。 うめジャムは初めて食べたが、朝のヨーグルトに相性が良くてさっぱり、おいしい。梅干しも栄養価が高いから期待している。 梅の産地紀州和歌山でも今年は豊作らしい。昨年は不作に加えてコロナの影響で、売り上げが伸びなかったとか。 梅が不作になるのは、花が満開期の時に、みつばちがうまく活動しないことが影響しているそうだ。環境の悪化でミツバチが減っている、 という話を聞くが、農業にも大きな打撃となるとのこと、温暖化の影響はあちこちで囁かれている。
夏野菜がスーパーなどで少しずつ価格が安くなって来た。路地物が出回るようになって、 太陽をたっぷり浴びた野菜たちがおいしくなって来た。農家の畑は今、ハウス栽培が多くなって、 年中どんな野菜でも栽培できるようになっているから、いつが旬なのだかわからない感じだ。 野菜は、旬に食べるのが一番おいしいし、栄養価も高い。トマトやきゅうりを冬に食べても良いが、これはハウス栽培した人工的なもの。 夏の日差しをたっぷり浴びたトマトやきゅうりは、香りと肌の張りが違う。我が家の菜園はあと2週間くらいでトマト・きゅうり・ ピーマンなどが採れるようになる。トマトなどは、植え付け後の気温の合計が1000度になると、おいしい採り時だそうだ。 玉ねぎはすでに収穫、ジャガイモは来週あたり収穫、茄子、いんげん、ブロッコリー、キャベツ、枝豆など次々に収穫体制になる。 品数が増えてクッキングの楽しみも増す。
昨日の朝、輝かしいニュースが飛び込んで来た。アメリカ・サンフランシスコ・オリンピッククラブで 開催の全米女子オープンで、笹生優花さん優勝との報、たぶん日本中が笑顔になったに違いない。 この優勝、畑岡奈紗さんとのプレーオフとなったこともすごいことだ。笹生さんは、おかあさんがフィリピンの方、 おとうさんが日本人で、日本とフィリピンの国籍を持つそうだ。19歳にしてチャンピオン、すごい!。 スポーツの、こういった輝かしいシーンに市民は感動する。あと50日を切ったオリンピックの開催に、 まだすっきりしない議論が続いているが、IOCや政府が推し進める、感染リスクをミニマムにした開催論は、 こういったスポーツの感動で、ふさぎ込んだ世界を変えようとする希望があるのではないか、とも思える。 リスク論ばかりでは、その先の展望が見えて来ない。どの程度の大きさのリスクなのかにもよるが、 リスクを乗り越えて希望を手に入れることにも一理は有る。
テニスの大坂直美選手が記者会見を拒否して罰金を科せられ、大会の出場を辞退した問題。 スポーツ選手に対するマスコミの対応の仕方で物議を醸している。こういう、 自己への問題に対して、その逆境への対応することは、 プロ選手としては、直接の試合ではないにしても、『当然行わなければならない』 という説、『プロ選手といえども人間なのだから主張していることは大事にしなければ』 という説。どっちにも理が有る。こういった逆境に立ち向かう力のことをレジリエンスという。 もともとは、「反発性」、「弾力性」という物理学の用語だったのが、教育、子育て、地域づくり、 環境問題など、さまざまな分野で使われるようになって来た。レジリエンスが有る人は、 逆境に立ち向かい、解決の糸口を見出す…。 間もなく始まるパラリンピックに登場するパラスリートのスポーツへの挑戦なども、 レジリエンスが多く語られる。 心理学の分野では、ストレスに対応する力を付けつためのレジリエンスの研究が盛んだとか。 今、子どもたちの暮らしにも、レジリエンスを高める習慣を大人が経験させなければならないのだ。
今日のタイトルは変換ミスでは無い。6月4日はゴロ合わせでムシ、これに合わせてアース製薬が新聞に出した“閲覧虫意”の一面広告だ。 自然界には、虫といえども危険な毒を持った生物が多い。アース製薬ではこれらをやっつける殺虫剤を販売している。 これを虫ケア商品という名前に統一するそうだ。殺虫剤→虫ケア商品 と呼び名を変える大キャンペーン広告だった。 殺虫剤と聞けば、薬屋さんで買うのをちょっとためらう。薬の毒性で虫をやっつける訳だから、 人間や部屋の環境に良くないのでは?と思ってしまう。筆者も殺虫剤なるものは買わないように、使わないようにしている。 ところが、“虫ケア商品”となれば、人間にやさしいイメージになる。アース製薬は考えたものだ。 毒性のある虫たちも自分を守るために必死で生きている。 毒性のある虫は怖い。アマガエルなどは可愛いが、皮膚に毒性があるから、触った手で目などをこすると、 チカチカ痛くなったりする。アマガエルの場合にはすぐに治るのだが、死に至る毒性の強い虫も居る。 これからも虫ケア商品と上手に付き合っていかなければならないのだ。
環境問題への関わりが、私たちの生活のさまざまなところで目に見えるようになって来た。 最近までは、環境問題を考える人は、一部の意識のある人、という認識のようだったが、身近な日常生活の中で 自分ができることを淡々と実行することが、環境問題の解決につながると筆者は思っている。 身近なところでは容器リサイクル法で、レジ袋が有料化、コンビニでレジ袋をもらわず、 商品を素手で持って出て来る人をよく見る。郊外を通ると太陽光発電のパネルが遊休地にたくさん並んでいる。 環境破壊や生態系の変化の映像がTVで多く見られる。小学校などで環境教育が多く実施されている。 ガソリン車から電気自動車への移行が進んでいる。ファストフード店からプラストローが消えた。などなど具体例が多い。 集中豪雨で水害が多発するなどの異常天候も気になる。世界環境デーは、そういった日常生活の中で地球が持続するための 行動を考えることでもある。それがSDG'sにもつながる。
今年2月11日に、同じテーマで書いたので、今日はその2。その後の国際的なジェノサイドのテーマは、 ミヤンマーでの軍事政権のクーデター。 国民の意向を無視した軍事政権が、国際的な非難にも関わらず国民を人権弾圧し、同じ国の中で武力で国民の殺害を繰り返している。 人はこういった愚かな行為を権力のために行使する。みんな幸せを求めて生きているのに。もうひとつの例として、 これも国際的な批判になっている、中国のウィグル族への弾圧。中国政府はジェノサイドではなく、中国をひとつにするための、 中国の内政の問題だと反論する。実ははっきりとした証拠が得られていないのに、米国を中心として中国をジェノサイド批判して、 国際的な標的として巻き込んでいるのでは、という観測もある。確かに米国対中国という、政治問題化していていることは否めない。 一方、中国もあらゆる自国への批判に対して、「内政に干渉する」、などと自国の論理で反論する。ジェノサイドということば、 それに当てはめて政治ショウ化して、誰かを攻撃する手段にするのもいけないことだ。自国の論理で、他国の批判ばかり繰り返す 中国の姿勢もいかがなものかと思う。
リヤカーが売れているそうだ。今時なんで?と思うが、コロナ禍に関係がありそうだ。食料や雑貨などを、 リヤカーで消費者の近くまで出かけて販売する、という事業主が増えたのだそうだ。 近頃リヤカーをあまり見ない。30数年前に子ども会の廃品回収で使っていたことを思い出す。 キャンプ場で駐車場とキャンプサイトの荷物運びに事務所から借りたことがある。 人力モビリティーはなかなか重宝なものだが、車に押されて廃れて来た。 農家生まれの筆者は、子どもの頃畑や田んぼから収穫物を運ぶのはリヤカーだった。どっさり積んで重いものだから、 取ってのところにロープをつなぎ、引っ張る手伝いが子どもの役割だった。リヤカーが空いている時は、自転車の荷台 に括り付けて3輪車ゴッコをした。危ない遊びだった。
ライスカレーとカレーライスの違い、どっちでも構わないのだが、違いが有るそうだ。ライスカレーは、カレーが予めかかっているもの、 カレーライスは、カレールーとごはんが別々の器で出て来るものを言うそうだ。 とすれば、我が家はライスカレーだ。カツカレーにする時が多いが、カツをご飯に載せてルーを別にしたら、何か変な感じだ。 子どもの頃、固形のカレールーがまだ販売されてない頃、母のカレーはカレー粉を入れて、小麦粉をといてとろみをつけるものだった。 豚肉ではなく、鶏肉だった。時々のごちそう、楽しみだった。翌朝も食べられるから嬉しかった。 カレーのレシピは千差万別、最近の筆者のカレーは、多めの玉ねぎをみじんに切って、あめ色になるまで炒めてつくる。 隠し味にコーヒーを入れる。ジャガイモが溶けるのがいやなので、少し遅れて鍋に入れる。福神漬けではなく、 手づくりの大根や玉ねぎのピクルス。子どもの頃と同じで翌朝もカレーの楽しみが有る。
北海道・北東北の1道3県にまたがる17の縄文遺跡群が世界文化遺産への登録勧告が成された。国内では20件めになるという。 世界文化遺産に登録されると、該当地域では観光資源として大いにPRされ、多くの観光客が期待される。 登録になったとたん、土産物を準備し、大きな駐車場を整備し、観光パンフレットを大量に用意し、観光ボランティアの養成に走り出す。 文化そっちのけで経済効果を狙うところが多い。数年前に登録されたT市などは、最初は好調な人出だったが、今は閑古鳥、 実際に訪問したが、その賑わいは文化に程遠い感じの違和感があった。そもそも世界遺産の目的は何なんだろう、ということを考えた 地元の対応が必要だろう。今回の勧告に伴って、観光道路や周辺の建物が遺産にそぐわないところもあるようだ。 文化の保存・伝承はエネルギーと熱意が必要だし、お金もかかる。経済効果も大事なのだが。